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log : 自覚している自分について

ここ最近、何かと忙しい日々を過ごしていたが、
ようやく、嵐が去ったような気がして、
ひと段落を入れるついでに、これを書く。

嵐が去ったとは言ったが、最終的には「たくさん作り出したものを消す作業に入った」が正しいのかもしれない。
いわゆる、消化活動である。
自分で作り出した気持ちを、自分で消さなくてはいけない事に、とても傷ついていた。
駄々を捏ねていた。

引っ越しや仕事、環境が変わるということは、とても大変だとは思う。
しかし、身体は重く動かないが、
心は動かされないので、割と楽だと思った。

しかし、この消化作業が苦手だ。
正直、本当にしんどくて泣いていた。泣き疲れていた。

実に抽象的ではあるが、今の私の疲れ切った脳が、
もう辞めよう、逃げよう、消した方がきっと楽だと言っている。
そんな自分の脳を今は褒めることができる。
そう言ってくれる自分の脳に感謝している。

心が動くこと。
これが私にとって、かなり難しい。
辛く、叶わない、欲望に負ける、本能でわかる勝敗。

恋も友情も、人間関係が一番苦手なのは、今も昔も変わらない。
効率の悪い、損と感じる、焦燥する気持ち。
とても苦手だ。

私の気持ちを測るのは他人。
相手の気持ちを測るのも、また私であり、他人である。
自分がどういう気持ちで話してようが、行動してようが、
相手の受け取り方次第なのだ。
他人が結果を決めるのだ。

主張ばかりされて、話し合いにならない事へのストレスが日に日に募った。
なんと自分は不器用で、頭が悪い生き物なのだろうという自己嫌悪と落胆。

これは、そんな醜い私について書くとする。


私は、小中学校ではあまり人気者ではなかった。
暗かった訳でも、特別明るかった訳でもない。

きっとその頃から少し客観的に物事を見るところがあり、
思春期の真っ只中にクラスに溶け込むのが、本当に下手くそだった。
その頃から人間関係を上手に作るのは下手だった。

兄もいたので、年上に対しての抵抗がなく、
基本年上の人といる事も多かった。

高校に入って、人に恵まれた。
それもかなり恵まれたと思う。
いつも感謝している。いつも恵まれていると思っている。


歳をとって気づいたこと。

私は優しすぎる事。

自意識が過剰だとか、そういう事ではなく、
ただ、周りから見て、少々異常はまでに、理由もなく、優しいのだ。

しかし、当の私はどこからどこまでが優しい行為なのか、分からない。
人のためにしてあげる、助ける。
それらの行動に何も特別な気は起こらないのだ。

よく人に「優しいね」と言われる。
私はいつも「???」となる。

恥ずかしながら、最近友人に言われて気づいた。
「お前には痛覚が無い」と言われた。

優しさを優しさと自覚せず、義務のような気持ちでやってしまうので、
優しくする事にそこまでの価値を見出せないのだ。

面倒臭いとすら、あまり思っていない。その人への好意もあまり関係は無い。
優しさに気づかれなくても、見返りがなくても、酷い事をされても、あまり傷つかない。
人に対して、一周回って冷たく、興味がないだけだと思う。

しかし、あまり興味を持つ事がないが、私が他人に愛情を向けることも、あった。
でも今は自分は苦手だと思っている。

必要以上に優しく、あまり人にも物事にも興味がない自分は、
たまに利用され、価値がなく、軽く扱われる気がした。

だから辞めた。
辞めるしかなかった。
もう何もしないのが一番だな、と思っている。
自分は頑張る選択を間違ってはダメだと学んだ。


元々体もそこまで痛みを感じることがあまり無い人生だった。
大きな怪我もなく、健康に育ってきた。
タトゥーや注射、爪が剥がれたり指を切ったりするくらいのものだった。
なので、あまり「痛くない」と大きな声で言える訳でも無いが、
きっと、痛くない訳ではなく、我慢強いのだと思う。

心も同様、我慢強いのだろう。

我慢をする事が多すぎて、感覚が麻痺した。判断力を失った。
なので、実際には痛くない訳ではないとは思う。
我慢が出来るのだと思っている。

そしてよく、見てしまうし、考えてしまうタチである。
体は止められても、心は誰にも止められない。
本能で、好奇心で、見ることも、考えることも終わらない。

考え始めてしまうと、何をしていても、
答えが出なくても、目に見えない速さで、止まらない。

周りとの差を感じる。いつもより少し汗をかく。
他人はどうやって生きているのか、と思う。
こんな事を考えずに生きているのか、と。
こんなに切迫した気持ちにはならないのだろうか、
なったとしたら、どうやって自分を認めるのか、と。
たまにそう思う時間が訪れる。

そんな時、自分はものを作る、創作に耽る。絵を描いてみる。
自分はこんな性格で、面倒臭く、自分でも呆れる程である。
ものを作る、創作の仕事をしていてよかった。
ものを作る術を知っていて、本当によかったと感謝する事が多い。

自分の趣味と、仕事選びだけが、唯一正しい選択をしたと思う。


昔から古い漫画が好きなので、少々昭和的な古風な考え方をしている、とも友人に最近言われた。
気合い!根性!ではダメだと。

もちろんそれが全てでは無いことはわかっているが、
人は、大切な事こそ、気持ちこそ、伝わる手段として、
気合い!根性!覚悟!が必要では無いのか?と漫画を少々読みすぎた私の脳は思ってしまっている。
そう実感した事が多かった。

そのど根性ヤンキーな思考が、私の感覚を今日も鈍らせている。

嫌がらせを受けても、殴られても、悪口を言われても、私は泣くことがなかった。
自分が辛い思いをしているという実感があまりなかった。
どこか他人事で、自己防衛本能として、
どこか平気でいないとダメだという気持ちが強かったと思う。

人前では泣いてはダメだ。
人に甘えてはダメだ。
強くいないとダメだ、と。

しかし、大人になってよくわかる。
もっと人は適当でいいのだと思った。

よき友人を持ち、影響を受け、いい環境で生きれて大変幸せである。

必要以上に頑張らない人の方が、社会では役に立っている事に気づく。
そして、そういった人は、頑張るタイミングを見極めるのだ。

それを知った今も根本的な気合い!根性!覚悟!な部分は持ち合わせてはいるし、
人前では泣けない、が、あまり頑張らなくなった。
社会ではあまり頑張るタイミングが無いように思う。
頑張るというか、分け合っている。

よくやっているぞ、自分。と褒めている。
自分を褒めすぎて、甘やかしつつある。

今でも恋愛も友情も人間関係も苦手だが、少しづつ、
人の気持ちがわかるようになり、考えられる頭がついたと思う。
考える必要のあるもの、無いものを選択出来るようになった。

社会人として働くようになって、
段階的に物事を考え、展開を考え、頭に余裕を持たせる努力をした。
何かと忘れやすい自分を自覚して、何事も忘れないように工夫と癖をつけた。
それが今、少し自分に役立ってきたと思う。

実は先月まで海外に住んでいた。
そこでもかなり役に立った。

年齢が下の子に囲まれても、あまり汗をかかなくなった。
余裕を作って物事を考える事の大切さを実感した。
自ら騙されてあげる事も、正しく無いと分かっていてる事も、出来るようになった。
ご飯が美味しい事に、以前より感謝するようになった。
人生は全ての経験がつながるのだな、と思った。

人の気持ちは複雑で、数珠では繋がらないが、
私がいつ、どこにいたとしても、1つ1つの事は、数珠繋ぎになっていた。

もうすぐもう一つ歳を取る。
今は少し誕生日を迎えるのが嬉しい。

えらいぞ、自分。
今日はご褒美にヤクルトを2本のもう。

大人って楽しいね。


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