見出し画像

King Gnuは天才だ!



私は昔から唐突にこういったものを始めたくなる。

そしていつも三日坊主とは言いますが、
1ヶ月坊主くらいの、なんとも言えない、だらしない結果になり終わります。

それでも何かを懲りずに始め続ける。
始め続けて、始め続けて、自分でこの愚かさを自覚しないまま、
なにかを始め続けて生きていくのだろう。

今回も仕事をしている時に、自分の中で、突然何かを始めたいのか、吐き出したいのか、産み出したいのか、
大きな渦のようなものに巻き込まれた。
(ストレスのような何かの液体が渦巻くような、激しい衝動のような理解のされにくいものだろうが、誰にでもあるんじゃないかと勝手に思っているもの)


しかし、いつも衝動で動きがちな私ではあるが、
またすぐやめるんじゃあないのかッ?という、
自分を疑うという行動も忘れてはいない。
これは常に忘れてはいけないと思っている。

仕事をしながらではあるが、始めたいと思った瞬間に、
頭の中では既にいくつか、実に衝動的に数個、確実に、記事のようなものを完成させて、
やっと始めるという行動に至っているので、まだ「衝動的行動」のカテゴリーの中では、
「衝動的ではあるが、確実に始めたいもの」の1つであったので、
これから始めようと思う。


なんだか、急に何かを産み出したい!なんて、
クリエイティブで、天才ぶってるな、と心の隅の
小さく座って周りを睨んでいるひねくれた自分が言うけれど、
実はこんな文章を書いてみたいと思ったのは、紛れもなく、自分が今読み進めている大好きな芸人さんのエッセイに影響されている訳である。

なんという凡才だろう。

簡単に人に影響される事は、良くも悪くも、凡才に思われる。「凡才ぶれる」から好きだ。

世間は天才に憧れてはいるが、凡才が好きなんだろ?と思っている。


私は他人よりは少し手先は器用だが、他人の話が一切理解出来ない事が多いので、
欠けている、浮いていると言われ続けている。

それでも毎日朝起きて、夜に寝て、普通に生きてるの超ポジティブに生きてるんじゃない?
なんて思っている。

でも正直私は自分は自分の事を天才だとは、そもそも一ミリも思った事はない。
天才だったら金持ちだわ、と思うし、
天才はそもそも、こんな事を衝動で始めたりはしないのだろう。

天才にしては、ガサツだし、
天才にしては、アホだし、
天才にしては、ブスなのである。

天才といえば、聞こえはいいが、天才と呼ばれる事に価値があるのだろうか。
呼ばれたい人もいれば、
呼ばれた時に、自分の努力を才能という言葉に包んで甘く見られた、舐められたような気はするけど、言葉上褒められていて、悪気は無いんだろうから、何も言えないような、なんとも言えない感情を抱く人もいるだろう。

私が何者で、他人が何者なのか、本当は誰もそんな事は興味ないのだ。


私は天才と呼ばれても、特になんの価値も見出せないような、
小賢しく、世間知らずの、果てしなく面倒臭い人間という事だけが、自覚出来ている。

だから私は他人に簡単に天才なんて言わないぞ!

なぜ唐突に自分が天才か、凡才か、などと
この世界中の人類が、一番興味無いような話題で1つ目の記事を書いているのでかは、自分にも到底理解できない。

でも自分がこういった、誰も見てないであろう場所に
自分の考えや思っているどうでもいい事を書き出すのが好きなのです。

理解されなくても、されても、どっちでも微妙な表情になるような
どこにも言えないような事こそ、自分は好きなのだ。
それは、私の中の原動力になる!って程ではないけど、
眠る時に優しく握るブランケットのように、すぐそこにある、自分の大切なものの一つなのだろう。

そんな事を、今後だらだら書き進めていきたいと思っている。
こういう時間もたまには必要だろう、と
いつもゆるく自分を正当化して生きている。

とはいえ、今問題を抱え始めている。

いつも始める事は簡単である。
一番難しいのは終わる事だ。
終わらせる事が上手い人は
無条件にすごい!と私に憧れられます。


そして私は今日も終わらせられない。
何も終わらせられない。
恋も友情も人生も、何も終わらせられず、
だらだら生きている。

そして、この記事の終わり方も全く分からないのである。

目の前に炊きたてのご飯が用意されているので、早急に食事を始めたいのに、
これをうまく終わらせないと食べられないという、
誠に謎の自分ルールを既に心の中で作成済みである。

これの終わり方が分からないので、トイレも我慢してしまっている。
全然この作業、リラックスできない。

みんなどうやってこういうの終わらせるの?



いただきます。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?