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なんとなく黒っぽい感じ

デンマークのフォルケホイスコーレに一人で行ったのが3年前、その当時は全くの別世界に飛び込むような気持ちであったし、実際そのような体験をしたのだろうと思っている。しかし、帰国して丸2年、よくよく考えてみると、別に他の生命体のいる地球外惑星に行ってきたわけではない。同じ人間が普通に暮らすちょっと自然豊かなありふれた町に行ってきた、とも言える。人間が暮らすということは世界中のどこであっても、かなり殆ど全く同じようなものだと思える。それは人類という同じ種だからだ。地政学的、気候的な制約から暮らし方のバリエーションはできるだろうが、ホモサピエンスとして生きていくことには大きな差はないように思う。その上に膨大な違いを作り上げてきたというのが歴史であるように感じる。ほぼ全く同じ人間なのに、違いを作り上げてきたということだ。
デンマークについた時に、真っ先に感じたことがある。特にオーフスという大きな街の駅に降り立った時だ。大きな街だから人もそれなりにたくさんいる。初めての国だから映画の中にでもいるような気持ちかと思いきや、そうでもない、街並みは確かに日本と違うが、暮らしている人々にとっては普通の風景なんだろうなと感じていた。狭い歩道、工事中の建物、3色の信号、店の看板。買い物帰りなのか袋を積んだ自転車。乳母車を押す父親。そんな普通の風景を感じ取った時に少しだけ違和感を感じたことがあった。服装である。8月だから、気温は22、3度はあっただろうか。最近こそ猛暑もあるらしいが、私のいた時は長袖をはおったくらいだった。そこで見る人は皆、黒っぽいのである。いや確かに黒だけではないことはわかる。しかし「黒っぽい」のだ。私はこんなに地味な国にきたのかと本気で感じていた。
それから3ヶ月ほど経ったころ、グループに分かれてテーマを決めてパフォーマンスをするというワークがあった。私たちのグループのテーマは「パンク」タイヤのパンクではない。1980年代の個人の主張を表現したファッションである。私は場末的な風情を想像していたのだが、他の学生は「黒で決めよう」という。何から何まで黒ずくめでしかもピカピカのつやつやの、ビシッと決めているのだ。ああ、そういうものなのか、と黒は黒でもよれよれの黒の私は、それでも黒いメーク(黒いアイシャドウと黒い口紅)をしてもらい、死神のような風体でパフォーマンスに臨んだのだった。
今から思えば、この黒いファッションに対するかっこよさというものがあったのかもしれない。当時はなんとなく皆黒っぽいなあと感じていただけであった。そして私は冬用の上着として真っ白な防寒ジャケットを持っていったので、だれもが遠目からでもすぐに私だとわかったようで、学生も教職員も、地元の人も、私が散歩に出てスマホで写真を撮っているのを何度も目撃していたようだった。やっぱり黒っぽいんだなあ。

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