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「大切にしているものは何ですか」と問われた時に感じること

普段自分が大切にしていることは、あまり意識しない。無意識のうちにそれを大切にしようとする。優先順位を上げる。それを損なわないように自然と行動する。そこで、「あなたが大切にしているものは何ですか」と問われると、はて、何だろう。急には言葉にできない。言葉にするとなんだか大切にしているものではなくなってしまうような感じさえある。

要するに、私はそのようなことをあまり考えずに生きてきたのではないだろうか。もちろん問われれば答えることはできる。自分の時間であるとか、家族や友人とか、平和な日常とか。もう少し具体的にもありそうだが、ただ言葉になるとなんとなく空々しく自分の耳に響いてしまうような気がする。

デンマークのフォルケホイスコーレでは自分を観察することが重要だと何度か言われた。それは無意識の自分を客観的に言葉で表現するということではなかったか。なぜそのようなことをするかというと、それは対話で必要だからだ。デンマークでは一人ひとりが異なる価値観を持っているという前提で言葉によってそのギャップを理解し、共通の目的に向かって行動していかなければならない。そのためには自分を言葉で適切に表現しなければならないからだ。自分をよく観察し、自分を客観的に言葉で説明できるようにしておく必要があると理解している。

日本には暗黙の価値観というようなものがある。それは個人の行動を制限するような規範的なものが含まれる。礼儀作法といったことだ。だからそれに沿って行動する限り自分のことをあまり説明する必要がない。大切なものはみな同じ、ということだからだ。私はそのように生きてきたので、自分のことを言葉で表現することが苦手だ。そのような経験をしていなかったので、いざ言葉にしようとすると空々しさを感じてしまうのだろう。

これだけのことを取り上げてみてもデンマークと日本との差は非常に大きい。しかしだからこそ自分に対して気づくことが沢山ある。そして今まさに日本で課題になっていることに新たな切り口で答えを示す可能性があると思う。

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