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心細さが原動力

デンマークでは、週末にはよく散歩に出たものだ。だいたい8kmほどの道のりを2時間ほどかけて歩く。森の中、海岸、草原など自然の中を、空気を感じながら歩くというのはなんと贅沢なことか。
秋も深まっていた頃だと思う。デンマークは冬にかけて湿度が高くなり、雨でなくてもいつも路面が濡れているような状態だった。日没も早く、散歩から帰る頃はすっかり暗くなっていることも多かった。そんな日の散歩の帰り、私は海岸から学校へ帰る上り坂を歩いていた。あたりはとっぷり暮れて、植木と言うには相当ワイルドに伸び放題の雑木の壁を挟んだ向こう側の車道をヘッドライトを這わせながら車が行き来している。車道の反対側は夏の間に伸びきった長い足の草が露に濡れた様になってびっしりと生えている様な状況だ。

ちょうど私のすぐ横を登ってきた車が異音を発して進まなくなった。私はすぐに気づいたが何しろ暗いのと、車道との間にある雑木の茂みのために状況がよく見えない。しかしタイヤが空回りしている様な音がしていることから、どうも車道を外れて草の上に乗り上げてしまい、濡れた草でスリップして脱出できなくなった様だった。大きな車ではなさそうだったので同乗者がいれば一緒に押せば抜け出せるだろうと思い、車の方に行こうとするが、雑木に阻まれてこちらの歩道から出られない。100mほど登ったところにようやく出口を見つけ、車のところに行ってみたら別の車が気がついて助けに入るところだった。降りてきたのは若い男性数名。ああこれなら大丈夫だろうなと思ったが、まあこちらもせっかく遠回りしてきたのだから、屁の足しくらいにはなるかもしれないと一緒になって車を後ろから押す。思ったより重たい。足がすべる。若者たちと声をかけながら、それでも5分くらいで脱出。こちらははねた泥やぬかるみでだいぶ汚れたが、何しろ人と一緒に何かを達成したという嬉しさが勝り、今日の散歩は良かったと足取りも軽く帰ったのだった。

部屋に帰って寝る前にその日1日を振り返ってみたが、あの時どうしても助けに行かなければいけないとなぜ思ったのか、日本で同じことに遭遇したら同じ気持ちになっただろうか、と考えた。同じ助けるにしてもJAFに電話するとか、別の選択肢がいろいろあるように思う。その分気持ちの余裕があるだろう。しかしここはデンマーク。あの時自分は外国人、言葉もよくわからず、電話は圏外、かけられたとしても言葉が通じないし、どこへかけるかもわからない。とっさに自分にできることを考えたら、側に行って車を押してやることだけだった。そしてもう一つ、若くもない自分がしゃしゃり出て怪我でもしたら返って面倒なことになるから、そのまま通り過ぎるという選択肢もある。なぜ、通り過ぎなかったのか。結果的にあの車は若者たちに助けてもらえたはずだし、私は邪魔になっただけだったかも知れない。

よく考えると二つ思い当たる。一つは自分がここでは外国人であり、地元の人たちに比べたらはるかに心細い状況にいたということだ。遭難した(とはちょっとオーバーだが)人の心境を考えたらとても黙って見過ごすことができなかった。自分の心細さが映し出されたのだろう。何もかも恵まれている中で他人の窮状を推し量るのではなく、自分が窮状に近い位置にいるという心細さが他人を助ける、助けなければという強烈な動機になったということを体験したのだった。もう一つはこれは、自分のトラウマとでもいうべきか。これまで違和感を覚えつつ通り過ぎてきた経験が何度となくあったからだ。違和感に声を上げない、上げられない空気があったのだろうか。それは恵まれた社会の代償なのだろうか。実は恵まれていないことに気づいていないだけなのか。よくはわからないが、そんな感じを持っていた。しかしデンマークまで来てその空気まで持ち込むことは何としても避けたかったという思いがある。

この二つがこれ以外にもデンマークで私を向こう見ずなまでに体当たりさせた原動力だろうと思う。そして、帰国して振り返るとき、自分の心細さが他人も同じだという平等観をストレートに経験させてくれたのではないか。デンマークにはヤンテロー(ヤンテの掟)という10カ条があると聞いているが、一言でいうと「自分は特別な人間だと思ってはいけない」ということが書いてある。それは私が感じた様な心細さを忘れるな、という戒めなのかも知れない。

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