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ちょうど良いタイミング

なぜエンジンは回るのだろう。なぜモーターは回るのだろう。そしてなぜ、コンピュータは動くのだろう。例によって突然考えが降りてくる。燃料を供給するから、とか、電力を与えるから、というのではない。経験上動いているものは放っておけば止まるではないか。エネルギーを与えるだけではなく、動き続ける仕組みがあるからだ。それでもまだ大雑把すぎる。安心できない。エンジンはクランクというコの字に曲がった部分を燃料の爆発の勢いで押すから軸が回る。しかしコの字が右や左に向いているときは押せば向こうに回るが、手前やいちばん奥にある時に押しても突っかかってしまい回らない。要するにコの字が例えば右側にある時に燃料がちょうど良い大きさに爆発して押すから回るのだ。丁度良い角度になった時に爆発する。これが大事だ。

そしてモーターは周りを囲っている部分がゴム紐のような見えない磁界を張っている中で回転部分がそれを歪ませるような磁界を出すので、磁界同士が押し戻し合って回転するが、これも押し戻す角度によっては回らない。つまりちょうど良い角度の時に回転部分の一部に電気が流れて磁界が発生し押し戻される。回転して押し戻しがなくなりそうになると次の一部に電気が切り替わって再び押し戻されて回転する。そうやっていつも押し戻そうとする角度が続いて回転するのだ。

さてコンピュータはわけが違うぞと思いがちだが、あれはあれでメトロノームのように規則正しく1秒間に10億回くらい刻んでいる信号によって回路の電気状態が一つずつ変わっていくことで動いている。機械時計にはテンプという振り子の歯車があるが、あれのようなものである。この信号が0から1に変わる時にカチャッ、1から0に変わる時にカチャッと電気状態が移り変わっているのだ。しかし移り変わるには時間がかかる。次の切り替わりに間に合わないと回路は不安定になり誤作動してしまう。膨大な回路がそれぞれ遅れを持ちながら不安定にならないようにちょうど良いタイミングで動いて行く。

そう考えると、ものがうまく動くためにはエネルギーをちょうど良いタイミングで与えることが大事だということだ。そのタイミングというのは突っかかって動きにくい時ではなく、また切り替わりの途中の不安定な時でもない。安定していて動きやすい時である。それは機械に限ったことではないように思う。生活の中でも安定して動きやすいときは気持ちにも余裕があるし、色々考えて工夫もできる。しかし機械と違うのはそれが良いタイミングなのかどうかがわからない。防災活動などはその典型ではなかろうか。その違いは何だろうか。どうもストーリーの有無のように感じる。機械はこのタイミングの次に何が起こるか予め設計されていてそれに向けて最適なタイミングが定められている。うまく動くわけである。しかし生活の中で防災意識を高めよといっても、災害が予定されているわけではない。今が安定しているからなおさら動きづらいのである。

予定されていないとうまく動けないのだろうか。予定ではないが、ビジョンというものがある。展望と言うべきか。人間社会では良いタイミングを作る方法の一つとしてこの展望を語るということがあるだろう。騙るのではない。語るのである。私は響く言葉で展望を聞くことができれば、そこへ向かって動こうという気持ちになるだろう。しかし今それができにくいと感じるのは何故なのか。自分の頭が硬いからか、何らかの圧力があるのか。なかなか糸口がつかめない、もどかしさを感じている。自分の知らなかった価値観に浸ったという経験がこうしていまだにのしかかる。仕方がないからこうして吐き出す、そんな日々になっている。

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