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大切なことを大切にできない日常

今日はデンマークから届いたニュースについて感じたことを書こうと思う。リベラル(自由主義的)左派の中での議論のようだが、デンマークの一部の自治体に暮らす障害者はいつも監視されている。障害者は監視ではなく、尊厳を持って扱われるべきだという内容の記事であった。

私は社会的に弱い立場の人たちが尊厳の守られた日常生活を送るとはどういうことか、ということを知りたいと思い、2年前にデンマークのフォルケホイスコーレに留学した。留学といってもこの学校は試験も成績もない、さまざまな体験を通して自分を見つめる機会を与えてくれるところで、学生たちはそれぞれの思いを持ってやってきている。私もその中の一人として地域社会の暮らしを多少なりとも体験して帰ってくることができた。そのデンマークではもはや「尊厳」という言葉をあまり目にしなかった。少なくとも日本よりは。それが、なぜか最近目にするデンマークのニュースにはこの言葉が少しずつ増えてきたような気がする。

この記事の内容が意外だったわけではない。同じ人間なら同じ課題を持つものだろうと思うからだ。ちょっと考えさせられたのは、それがニュースになって国民(市民)に問いかけられているということだ。日本でも政党の代表者が集まって政治討論をすることはある。しかし大体は選挙に関係する期間の中で行われることが多い。デンマークから届くニュースは私たちが日々忙しい中で、大切だと分かってはいるが、考えている暇がないような話題を報道し、問いかけている。このことは何を意味するのか、気になったわけだ。

私はとにかく忙しい。暇がない。生きるために、生活するために寝る間を惜しんで、何をしている?  それは幸福な人生を送るためにしていることか? そもそも幸福とは何なのかを考える暇もない、いや、考えることを止めてしまってぼんやりとスマホを眺めている私がいる。だからこんな文章を書いて自分のすべきことを、すぐに忘れてしまうすべきことを、思い出させようとしている。そんなことを一つの記事を見て思ったのだ

小さな一本の記事が大切にしなければならないことを大切にできていない、私を諌めている。

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