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不言実行の信頼関係

TEDexをYouTubeで見ていたら、デンマーク出身の研究者がデンマークの信頼関係について語っていたものがあった。それによれば信頼関係を築くシンプルな方法は次のようなものだという。
「自分のする・したことを言う」
ちょっと意外な気もするが、これが多様な価値観を認めつつ理解し合えない部分がある人々が築くことのできる信頼関係の歴史的な解なのかもしれない。またこれが580万人の国民の80%が相互に信頼しているといえる、根拠なのかもしれない。この信頼関係の特徴は「完全に理解する必要がない」ということだ。わかりあえない部分があっても構わない。いや対立する意見の持ち主でも構わないようなのだ。ただし、「自分のする・したことを言う」というその一点においては確実に信用できる、それがどうもこの国の信頼関係ということのようだ。
一方日本は「沈黙は美徳」「不言実行」の国である。良い師匠は「背中を見せる」。弟子は黙って師の技を「盗む」。分をわきまえ相手の気持ちを察して動くのが良いとされる。ほとんど言葉のない世界である。いや、もっとも現代はそのようなことは減ってきているのかもしれないが、もし減ってきているのならばどうやってお互いを理解するのだろうか。言葉もなく察して動くこともしない関係性は信頼関係にどのようにつながるのだろうか。私のような古い考えの人間は私も含めて一定数残っているだろう。つまり信頼関係は全人格的なものであり、何も言わなくてもわかってくれるという関係性だと理解するのである。当然そのような関係性を築くには相当の時間をかけて相互に深く理解していなければならず、意見が対立して「同じ空気を吸うのも嫌だ」となれば、徹底的に距離を取るので信頼が成り立たない。だから信頼関係はあまり多くの人とは築けないだろうと思っている。
どちらの信頼関係にしても関係を作ってゆくためにはそれ相応の時間と場所を共有する必要がある。言葉を交わして信頼関係を築くデンマーク流は言葉を交わしやすくする環境を作る必要がある。それがヒュッゲであり、デモクラシーなのだろうと思う。一方行動を見せて信頼関係を築く日本流は行動を見せやすい環境を作る必要がある。それが所作・作法であり、分相応の立ち居振る舞いということなのだろう。私はデンマークのフォルケホイスコーレで若い学生たちと歌を歌い、一緒にゲームをし、パフォーマンスを作り上げる経験を通して心が近づくのを感じることができた。それは日本と変わらない、全人格的な信頼関係とつながるものだった。一方で言葉を通じて社会の中で人々が支え合うための信頼関係が実はもう一つあるのだと、今では理解している。

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