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日本の誇り

バタバタしていて、
気づけば10日以上過ぎてしまいましたが、

先日、祖父が亡くなりました。

大好きな大好きな祖父でした。

身内が亡くなるという経験は、
23歳にして初めてで、
たくさんのことを受け取りました。

その中でも、
私は日本人としての、
誇りと涙を一番感じました。

祖父は、
頑固者で、真面目で、厳しくて(孫以外には)、人付き合いの少ない、だけど自分の意見をハッキリと言い、いつも自分よりも家族が幸せに苦労せずにいることを望み、
読書をよくして物知りで、手先が器用でものづくりがとても上手な、(母の実家は祖父が設計したそうで、設計図を自慢げに見せてくれたことがありました)
そんな人でした。

昨年末ごろに入院し、
3ヶ月程で退院したものの、
もうトイレにも自分1人では行けず、
食べ物もあまり食べれず、
ほとんどベッドの上で寝たきりになりました。

物忘れがだんだん酷くなり、
最近は朝薬を飲んだことや、
お医者さんに診てもらったことを
夕方には忘れてしまっていたようです。

そんな自分に対して祖父はよく、
「自分が一番悪い。情けない。迷惑をかけてすまないね。」
とこぼしていました。
体が悪くなっていくほどに
介護をしてくれている祖母に対して、
文句を言ったり言うことを聞かなかったりと、
わがままがひどくなっていたのですが、
そうしながらも時々申し訳なさそうに、
私に話すのです。

戦後貧しい中で、
成績が優秀だったにも関わらず、
大学には進学せず就職して弟の高校の学費を稼ぎ、
その後も自分の事は置いておいて
家族のために働いていた祖父でしたが、
もしかしたら、
迷惑をかけないようにと自分を犠牲にしていたのかもしれないなぁと、思います。

戦後は誰もが貧しく、そんな家庭が当たり前だったのだと思いますが、
私はこの事が、終戦と共に集団で決断をした日本と繋がりました。

アジアの近代化はアジアでやるんだと、
西洋列強の植民地支配からアジアを
守りたかった日本は、
その決意と共に戦争に突入し、
小さな島国であるにもかかわらず、
空母を作り零戦を作り、
どんなに苦しい戦況になろうと戦いました。

でも、
焼夷弾で都市は焼かれ
世界で初めて原爆を2つも落とされ、
軍人ではない民間人がこれでもかと命を奪われていく、
そんな中で降伏を宣言した日本がありました。

そして、
東京裁判では、
西洋列強から"戦争犯罪国家"というレッテルを貼られ、
自分たちが命を投げ打ってでも守りたかった
アジアの尊厳、日本の大きな夢を壊され、
アジアを守りたくて戦ったことは、
犯罪であったと結論づけられたのです。

その時、日本は決断しました。

全世界に、迷惑をかけて、
申し訳ありませんでした。

と。

私たちは悪い事をした。
もう二度と、戦争はしません。

と。

その後もアメリカがどれだけ凄いのか、
テレビを通して見せられると、
こんな偉大な国を相手に戦った我々はバカだったと、
さらに自分たちの国を否定していくのです。

戦争で生き残った人たちは、
そうして自分の国を否定し、
日本人である自分自身を、
無意識深くで否定するしかなかったでしょう。

祖父が、
自分自身を否定して、ダメだダメだという姿を見ると、
日本がそう言っているようで、
私はとても悲しかったです。

私は心から思いました。
祖父の世代のように戦後の貧しい日本、
犯罪国家と言われながらも
ここまで経済成長を遂げる日本にまで作り上げてくれた人たち、
そして日本やアジアの尊厳を守ろうと戦った人たち、
そんな人たちの魂が、
本当に癒されるためには、
日本人が一番叶えたかった夢、
恒久世界平和。
格差を取ってみんなが1つになる世界。
それを日本の心で具現化させていく必要があると。

そして自分を否定しながら亡くなっていく祖父を前に、
私は、もうこんな事を繰り返したくないと思いました。

私自身も、ついついそれが当たり前かのように、
自分で自分のことを認められなかったり
無意識深くで常に周りに対して申し訳ない気持ちを抱えたりしてしまう時があります。

日本が負った傷は、自分の中にもあることに気づきます。

だからまずは、
自分自身が無限大自分の尊厳に確信を抱くこと。
無条件認め受け入れること。
それがなくては始まらないと。
日本は私であり、私は日本だから。

もちろん、否定できるのは誇りがあるから。

本当はこんなもんじゃない!

そのプライドがあるから。

誰にだってあります。
だって本来は尊厳そのものの唯一無二の自分だから。

たった1人の人間かもしれませんが、
戦後を生き抜いた1人の人間の死は、
私たちにとって大きなものでしょう。
これからの日本や世界をつくっていく私たちは、
そんな人たちがいた事を忘れてしまってはならないと思うのです。

じじ、沢山の愛を本当に有り難う。

※私は戦争賛美したいのでも、民族主義に走りたいわけでもありませんので、
誤解のないようにここに記しておきます。

写真は3年前。本当に可愛がってくれたなぁ。

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