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趣味が欲しい。

いつからか、そう考えて生きてきた。

自分には、趣味がない。なにかハマれるものが欲しい。

趣味をみつけるために、趣味一覧ページに飛び自分の趣味に出来そうなものをひたすら探した。

でも見つからないのだ。

映画を観るのが好き。でも、別に俳優の名前を覚えているわけでも、ストーリーを鮮明に覚えているわけでもない。趣味ではないな。

外食が好き。色々なお店に行って、美味しいものを食べるのが好き。でも、別に食材がどうだとか、調理法がどうだとかに興味がない。これも趣味ではないな。

お笑いが好き。でも、これって大阪出身だと当たり前に皆そうだし。芸人の名前に詳しいのだってそう。これも趣味ではないな。

そう考えて私は、趣味を探しているのに可能性の蕾を否定し続けた。

否定したのは自分なのに、ひたすら趣味を探し続ける。なんなら今も趣味を探している。

それがいつからか、趣味を探していたはずの自分はなにものかになりたいと思うようになった。

なにものかになるために、自分が没頭出来るなにかを探さなければいけない。

なにかに没頭してなにかを生産する。私は、なにかを生産する何者かになりたい。

そう思って、Tシャツを作ったりネイルチップを作ったりした。絵も書いた。

でも、なにかが違う。圧倒的になにかが違うのだ。

なにものかになりたい私が、なにものかになるための手段はこれではないのだ。

明確なものがなにかもわかっていない私に、何故違うとわかるのか。

自分でも意味不明だ。でも、なにか違うことだけはハッキリとわかる。

ずっとなにかを探している。なにを探しているかもわからずに。ただずっとなにかを探している。でも今だになにも見つかっていない。

次は、オタクになりたい。なにかに詳しくなりたい。なんでもいい。なんでもいいから、何かにハマりたいのだ。ハマらせてください。そう願っている。

ずっとこんな調子で生きてきた。

悩みはないと思っていたが、これが私の悩みではないか。

そして昨日。

私のネイリストさんがオタクなので、オタクになりたいと相談したらネイルをしながらカウンセリングをしてくれたのだ。一日の生活スタイルや好きなものはなにかなど。

そこで話ながら気付いたのだ。

執着心がない。私には執着心がないのだ。

終わった・・・

趣味も、なにものかにも、オタクにもなれないのだ。

絶望する反面、今まで何にもハマれなかったことの原因がわかって納得した自分もいる。

そこで気付くのだ。

あれ?執着がないと言いつつ、「なにか」に執着しているではないか。

こんなにも。

でも、そこは華麗にスルー。

誰しも得意不得意があって、なれるものも違う。

なにかを探すのは少しお休みにして、自分と似た人たちはどういった生き方をしているのか。執着心がない人も、なにかにハマるのか。そもそも何故なにかを探しているのか。やみくもになにかを探すのではなく、自分を理解し、そのパターンに当てはまる人たちの経験を知ってこれからを生きていけたらなあと。

そんなことを考えた一日でした。








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