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〇大人の博物館見学・・と言う名のオタ活(笑)〇 鉄道博物館② 古い名車を見る楽しみ

大人の夏休みで訪れた、鉄道博物館。鉄道が好きな人にとっては、やっぱり聖地のような場所で、新たな発見が本当にたくさんある場所です。前回の記事では、博物館の入口に鎮座する、「1号機関車」を主役に書いてみました。次は、往年の名車たちに焦点を当ててみたいと思います。
(前回の記事はこちら)

■まずは、北海道を走った「弁慶」と「開拓使」号

最初は、北海道を走ったSL「弁慶」です。
1880年、米国から輸入された機関車です。
車輪にも刻印されているのが印象的です。
「BENKEI」と書かれた銘板も素敵です。
炭水車には、漢字で「弁慶」と書かれています。
客車は「開拓使」と書かれた、政府高官以上の人が乗る特別車両。
明治初期の列車とは思えない、豪華な車両です。
当時からトイレ付だったのですね。

■甲武鉄道を走った初めての電車

こちらは、甲武鉄道を初めて走った電車。

木造の電車、かなり古い感じを受けます。
プロジェクションマッピングで、当時の風景がよみがえりました。
万世橋と中野の間で走っていたそうです。

■かつての工事用小型蒸気機関車、「善光」号

蒸気機関車の中でもとりわけ小型の、「善光」号。
床下を見せてくれていますが、シリンダを車輪の中に収めたので、
こんなにコンパクトな車体にできたのだとか。
説明看板。埼玉初の鉄道車両で、日本鉄道の上野~熊谷を
建設している時に活躍したのだとか。

■「ムーミン」の愛称の、「EF55 1」

流線形の顔が特徴的な、EF55 1。
その特徴的な顔から、「ムーミン」という愛称で親しまれました。
流線形のフォルムですが、最高速度は90km/hしか出なかったので、
実用性があるというよりは、装飾の意味合いが強かったようです。
昭和11年、日立製作所によってつくられました。
その時期にしては、車体にリベットを使わず、電気溶接を採用したとか。
やっぱりとことんおしゃれにこだわった車両だったのでしょう。

■旧型国電代表 クモハ40

ムーミンの優雅な顔と違って、こちらは実用的な電車。
ムーミン(EF55)と同じ昭和初期に製造された車両です。
車両のメインフレーム部分は、リベットで板を重ね合わせて作られています。

■碓氷峠のアプト式で活躍した、ED40

こちらは、碓氷峠(信越本線:横川~軽井沢)の急勾配区間で活躍した
電気機関車です。

この機関車、今写っているのは坂の上側(軽井沢側)から見ています。運転台は反対側(横川側)にしかついていません。機関車は上り・下りともに坂の下に連結される形だったのです。

ED40を側面から。
床下から見上げたところ。
真ん中に歯車(ラックレール)が付いています。
碓氷峠の旧線はトンネル断面が狭いので、第三軌条集電方式でした。
ラックレールが敷設された状況。
鉄製のマクラギも使用していたそうです。
1968年に準鉄道記念物に指定、2018年に重要文化財に指定されました。

この碓氷峠の旧線、今は「アプトの道」として整備され、誰でも気軽に歩くことができます。昨年ここを訪れていました。

■昔の政府要人が利用した、展望車

こちらは、「富士」のテールマークをつけた、展望車。
昔の花形特急列車の姿です。
車内はこんな感じです。
サミットでも開かれそうなくらいの空間ですね。

■まだまだ往年の名車がいっぱい

こちらは、国産機のお手本にするために輸入された、ED17。
こちらは、昭和に大活躍した旅客用電気機関車、EF58の61号機です。
お召列車等をけん引する、EF58の中でも稀有な存在でした。
こちらは、明治末期から大正初期に作られた、ホデ6110。
昔は集電装置が2つ付き、給電した電気をレールでなくもう一つの電線に返しました。
2017年に国の重要文化財に指定されています。
こちらは、戦前に作られた気動車、キハ04(キハ41307)。
こちらは、明治時代初期の一号御料車。
明治9年に出来上がったもの。2003年に重要文化財に指定。

■終わりに

今回は、多分自身がほとんど対面したことの無い時代に活躍した名車を紹介しました。どの車両も、これはすごい、と思うものがしっかり保存されていて、それが重要文化財に指定されていたりするのは、やはり素晴らしいと思います。

次回は、同じてっぱくでも、自身が見たり乗ったりした時代の車両を中心にご紹介しますので、お楽しみに。

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