わたしのごきげんな 【 田村正和&三谷幸喜 】

田村正和&三谷幸喜「総理と呼ばないで」

素晴らしい出演陣のドラマで、
あらためて感動します。

是非、今この時期に御覧になってみては。
(途中音声が何度か途切れて編集されていますが。)


蛇足。そういえば2010年頃かな?三谷映画に私は出演しそこねてしまった事がありました。。監督、本当にあの時は誠に、誠に申し訳ありませんでした。キリッと素敵な女優さんが主役の映画で、某横浜の高級レストランのお客役のエキストラに選んで戴いた事がありました。もっと目立たぬ通行人役等のつもりで応募していたのですが。。当時はまだ杖なしである程度歩けたのでネ。

私は田舎にいた20才の頃、大道具さんのお手伝いをしたくて行ったある劇団で、
何故か主宰の先生から、先生が関係しているNHKの全国区ドラマに私を出したい話が出ていたらしく、そのため、元々俳優志望の方々から一方的に冷たくされるようになり、
私の事なんかで先生の大切な劇団や劇が一丸となれなくなる事にとても抵抗感があり(いじめは小学生の頃にとっくに克服していたので全然平気だったのだけれども)、お手伝いをやめることにした経緯がありました。
その後、仕事を必死に頑張る事で忘れようとしたのですが、
半年後に、やはり先生の傍を離れる事は間違いだと気付いた時には、既に私に難病の症状が幾つも出ており、
今先生の所へ戻っても迷惑になるだけだと思い、治ったら戻ってまた俳優でも何でもやろうと思っていました。
が、
結局医者からも見放され、悪化の一途で、
とうとう倒れて仕事を病欠をした日に、
偶々目にした新聞の訃報欄で、先生が前夜に急逝の訃報を知りました。
実は、
私は前日に倒れた帰り道、
何故だか、先生とはこれで今生の別れになる気が妙にしてきて、先生達のところへ出向きたいと思ったのですが、
とても出向ける身体の状況ではなかったため、「私が戻るまで生きてろよ、先生、」と心の中で言った記憶があります。
実際、
その時刻から先生の所へ出向けていれば、
先生が倒れて意識のなくなる直前までに到着していた筈である事を、確認しています。

私にとって先生は「初めて出会えた、生きている心の父」のような存在で、ゆえに先生を背いて俳優をしなかった事が、ずっと申し訳なかったこととして心にありました。
そんな時に、偶々三谷映画の募集を見掛け、応募をしたら、スルスルと通ってそのエキストラ役になりました。
蛇足の小咄です。

P.S. そういえば、こちらもありましたね。☆

https://youtu.be/EtTa5QBJPOo
中井貴一&三谷幸喜『記憶にございません』