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愛よりも必要なモノについて。

(これは有料記事になってますが、最後1行を除き全部無料で読めます。隠してある部分は有用なわけではなくちょっと個人情報っぽい話なので有料結界を貼っているだけなので買わないでいいからね!)




ちょっとわたくし反省したことがあるのね。

わたくしついつい何でもかんでも

「それは愛ではない、執着である」

「それは愛ではない、肉欲である」

「それは愛ではない、自分の身代わりの操り人形で自己顕示欲を満たしたいだけである」

などと、せっかくの男女関係とか師弟関係とか親子関係とかをバッサリ批判して切って捨てる癖があるんだけど。

じゃあ、本当の愛、自己顕示欲も執着も肉欲もゼロパーセントの愛って…魅力的か?って言うとそんな、仏様のお慈悲かよ、そうでなかったらそんなもの、まるでやる気のない児童相談所のやる気のないカウンセラーのやさしさだよね、そんなつまんないモノを貰えて…嬉しいか?ってね。じつはそんなモノ貰えても誰もうれしくないんだよね。

別にあなたには特別な魅力も能力も感じてないけど気の毒だから神の愛で分け隔てなく救ってあげる、って言われても、ねえ。

そんな愛、給食配られてるみたいじゃない?

神の愛ってそれはもう無関心に近い。

ケダモノである我々は無関心が一番つまんない。無関心が一番つらい。

むしろ

「お前の幸せなんか1ミリも願ってない、でも俺はお前が気が狂うほど欲しい、なぜってお前は魅力的だから独占したい、俺にはお前しか居ない、ただただお前が欲しい、お前を独占したせいでお前がどんなに不幸になってもどうでもいい」

の方が100万倍嬉しかったりするのよね。そういう完全に道徳を排した部分だけで十分に純粋な独占欲・肉欲・自己顕示欲をお互いがお互いに強烈に感じあえるのが、

究極の男女の恋であったり、究極の師弟関係とか、究極の親子関係だったりするんじゃないかな。

無関心の反対。

「究極の関心」を持ってガッチリと求めあうこと。

私はめんどくさい人間なのでそこに相手の幸せを思いやる覚悟がなければ「そんなもんは愛ではない」と呼ぶけど、でもそれはキリスト様にはなりきれぬ、知性である前にケダモノの一種である我々にとっては、それは時に「愛よりも100万倍も大切な何か」。

わたくし自身、愛よりもそっちの方が、欲しい。

そして、お互いがお互いに対してちょうどカッチリ歯車が合うようにそういうドロドロした究極の関心が持てた時、それは究極の悦楽であって、それはもう愛と呼んでも良いものであり、そして多くの場合、それは実際に、「そこまでの喜びを呉れた相手のためなら、自分を犠牲にしてでも相手を幸せにしてやりたい」という、本物の愛に育っていく。しだいに神の愛的な、どこかで私利私欲を超えてしまうようなモノに育っていく。

「美女と野獣」の野獣が、美女に恋するあまり、(ここで美女を逃がすと自分が人間に戻れる可能性が消えることを知りながら)美女の望みを受け入れて美女を自分の元から解放してやる、みたいなやつ。

肉欲→神の愛への昇華

動物のお母さんが本能に任せて命を捨てて子を守っちゃうとか、ただ本能にゆだねることでそういう尊いものが自然に生まれたりする。それも

肉欲→神の愛への昇華

ただし、もしも、歯車がはじめから合わなかったら。

合っていた歯車がどこかで外れたら。

もしくは、相手から何を貰っても、そこに感謝も愛も感じられないサイコパスが相手だったら。

生理的に大嫌いな相手に拉致されて一生監禁されてレイ●され続けたらそれはもう最高に迷惑なわけで。

志半ばでオリンピックに行けなかったお父さんに幼少のころから無理やりオリンピック選手になる特訓を血を吐くまでやらされた、自分は本当は電車オタクで駅員さんになりたいのに!オリンピック選手の才能もないのに!ってのも究極の児童虐待なわけで。

いまの時代だと、男女よりも、親子関係でこういう不幸な食い違いがおこる気がするな。

じつはわたくしは遠い遠い昔、まさにサイコパスとしか言えない人物のそういう毒々しい執着に絡めとられて、まあ簡単に言うと命を落としかけた、そもそもその人物ひとりが思いつきで行った行為とかその人が家族親戚の何人かの実印を盗んでいろいろしたことで親戚一同丸ごと倒産・破滅・滅亡した、まじか、みたいな過去が、あるのですが。

だから、その人物から離れる時に、もう念仏のように「アレは愛ではない、執着で、肉欲で、自己顕示欲であるが、あの人は私の幸福は一ミリも願ってない」と繰り返し繰り返し唱えるようにしてやっと離れることでいま生きているのだけれど。

でも。

あの人はサイコパスで、自分の3000円くらいの損得のためには、自分の事を心底大切に思う家族や友人が何人死んでも完全に平気な人であることは事実だけれども。


そして大金と虚言を駆使して自分を思いやる人々を地獄に堕とすふるまいを堂々と実行し続けていた人であるけれども。

でも。

あの人が私に浴びせた執着、あの人が私にぶつけた肉欲、あの人が私を操って満足させようとした強烈過ぎる自己顕示欲、あの人が破壊した私の人間関係、あの人が起こした民事事件、あの人が廃人同様にした私の大切な人達、あの人の、あの途方もない熱量。

まあ正直、あれは、リアルDIOさまですな。その人はDIO様と違って、能力も知性もむしろ並以下なのですが、反社会人格障害特有の、なんの根拠もないのに他者を圧倒する断固とした態度、途方もない虚言、とめどない欲望は、まさにDIOさまで碇ゲンドウでジョブズでデ〇ィ夫人だった。

クズだけど、魅力的かというと…なかなか魅力的、だったよ、確かに。

でもま、リアルの悪人って、意外に小さい浅はかな存在。ふたを開けて種明かししてみると意外とバカで小者でつまらなくて…がっかりではあるね。彼らは頭がいいから人をだますんじゃなくて「正常な人が想像不可能なほどどうでもいい理由で平気で人を陥れる、しかも自分を誰よりも大切に思っている相手を平気の平左で踏みにじってなんとも感じない」から、それが正常なふつうの人々にはあまりに想定外すぎるためにどんなに浅はかな嘘にでも、いや、浅はかであれば浅はかなほど、非人間的で刹那的な行動であればあるほも『いやまさかそんな事がある訳ないだろう』と頭の良い人がホイホイと騙されていくだけなんだよね。

いっそジョブズとかDIO様くらいのすごいのに振り回されてみたかったな(でもそしたらいま私は死んでるけど)。

私があなたから逃げてから数ヶ月して、あなたはわたくしに、いかにも高級そうな、深紅に細い白の縞の入った斑入りの赤い薔薇の100本花束に『お誕生日おめでとう、愛しているよ』と書いたメッセージカード、そして沈香だか白檀だか知らんが如何にもとてつもなく高そうな数珠を贈って来たね。

あんな究極にキモいプレゼント、さすがだよ。あれはあなたでなければ中々思いつかないだろう。

あなたはあの日、わたくしに長い年月ではじめて『愛』という言葉を使ったね。

なんというペテン。

わたくしをどんな目に合わせても、数文字の手描きの嘘さえボールペンに走らせれば、あなたはわたくしが再びあなたの話を信じると知っている。無限に騙されて、あなたのために命を捧げ、泣いて縋ると知っている。なぜって今まで何百回騙しても素直に騙されたから。だから今回も必ず帰って来ると、あの日も信じて書いていたんだね。

残念だったね。

あなたのそれは獣も恥じいるような最下等な愛ではあるが、愛と呼べるようなシロモノですらないが、つまり最終的には私はふんだんに毒を浴びたわけだが、だがそこから離れることに成功した今となっては、わたくしはあの人のその獣も恥じいるような低俗な愛を浴びてとめどなく歓喜していたことを、15年以上の歳月を経て、はじめて、今日、あるきっかけで、自覚した。

あなたのあの海のように溢れかえっていた毒の海は、今やわたくしの血となり肉となり実はわたくしの究極の自信にまでなって、あなたではないもっと平和な人々を慈しむためのわたくしの肉から湧き出る愛の源泉にすらなってしまっているのかもしれない。

二度と会う気はない。だが。今でもあなたの事を忘れた日はない。あなたのあの強烈な狂気を浴びたときの常軌を逸したあの、悦楽。

15年をゆうに超える年月、あなたが今でも毎週送ってくるびっしりと呪文のような文字が綴られた葉書。1文字も読まずにシュレッダーにかけてるよ。

まだあなたはわたくしが罠にかかるかもしれないと思ってる。

もちろんわたくしもいまの瞬間にもあなたの罠に掛かる可能性があると思って日々足音を立てぬようにいまも歩いているよ。

これはわたくしとあなたが死ぬまで続く、命を賭けたゲームだね。

わたくしが最後まで逃げ切れるかどうかの。

わたくしは負けないよ。

そして、いまでも、あなたの狂気が、たまに、恋しい。



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