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蕎麦の豆知識を2つほど -霧下そばと討ち入りそば-

 サムネイルの写真は屋根からずり落ちている雪の写真です。重さに耐えきれずどこかの時点で落ちると、ズドーンと凄まじい音と地響きがします。未だに慣れず、ビクッとしてますね。

 さて、利賀村の冬は雪が多くて農作業が行えないので、そばについて勉強する期間にする予定です。せっかくなので皆さんとも知識を共有したく、このお便りに掲載していきたいと思っています。今回は「霧下そば」と「討ち入りそば」について調べてみました。


■ 霧下そば

 まず霧下とは「霧下地帯(山裾の標高500~700mの高原地帯で昼夜の気温差が大きく朝霧が発生しやすい場所)」から取られたもので、特に具体的な地名を指す名称ではありません。

 霧下地帯では8月下旬から10月上旬に朝霧がよく発生し、ちょうど秋そばの結実期と時期が重なります。そばは冷涼な気候を好みますが、霜には弱いです。うまいことに、この朝霧がそばを霜から守ってくれるというわけです。

 こうした環境下で育てられたのが「霧下そば」。香り高く粘力があり、最高の風味があると評されています。新潟と長野の県境の妙高、黒姫、戸隠などが古くから産地として有名です。余談ですが、私ども茶屋ファームのそば畑も標高600m台のところにあります。

『利賀の夏2023』

 先日、冬は雪が多すぎて大変だということを投稿をしました。妙高、黒姫、戸隠や利賀なんかの冬は過酷ですが、そんな環境だからこそできることがあります。自然は厳しい反面、恵みも与えてくれます。機会がございましたら、ぜひ霧下そばをお試しくださればと思います。しれっと利賀を混ぜていますが、そこはひとつ、ご容赦ください。

■ 討ち入りそば

 12月14日に「討ち入りそばってご存知ですか。」と、さも訳知り顔でつぶやきましたが、実は前の日に地元のニュースを見て初めて知りました。

 コロナ禍の間は休止してましたが、砺波市飲食店組合さんが市内の福祉施設で「討ち入りそば」を振る舞うという活動を40年以上も前から実施されています。何とも心温まるお話です。

 改めて「討ち入りそば」をご説明すると、赤穂義士一党が吉良邸に討ち入る前夜、江戸市中のそば屋に密かに集まってそばをすすったという逸話が由来となっています。下記のような川柳が残っており、

打ちの縁切のゑんにて義士はそば

江戸時代後期の川柳集『誹風柳多留』

 「そばを打つ」⇒「敵を討つ」、「そばを切る」⇒「敵を切る」といった感じで、江戸の人々は赤穂義士とそばを結び付けていたようです。実際のところは、吉田忠左衛門ら数人だけが集合前に茶屋でそば切りなどを食べたそうです。大勢が1か所に集まると目立ちますからね。

 赤穂義士にゆかりのある全国各地で12月14日に祭が行われており、討ち入りそばを振る舞うのが恒例となっているようです。今年は木曜日でしたが、来年の12月14日は土曜日です。これはもう行くしかありません。

 代表的な開催地をいくつか挙げておきます。

◇ 兵庫県赤穂市

 パレードが行われ、今年は俳優の中村雅俊さんが大石内蔵助役として義士行列にご出演されており、東映剣会さんによる殺陣(たて)も披露されています。露店販売や忠臣蔵交流物産市なども催されています。

◇ 京都市山科区

 討ち入り装束に身を固めた義士隊の行列がまちを練り歩き、「刃傷松の廊下」や「討ち入り」などの芝居が東映太秦映画村の協力を経て展開されるほか、幼稚園児による子ども義士隊、女性陣による「大石音頭」「元禄花見踊り」が祭を盛り上げます。

◇ 東京都港区泉岳寺

 こちらは映像でどうぞ。TOKYO MXさんの2016年のものになります。

  以上、冬の間はこのような形でそばについての情報も発信していきたいと考えています。来月の『茶屋のお便り』もお楽しみに。


 私ども茶屋ファームは富山県南砺市利賀村で主にソバの栽培をしている農業法人です。日頃の農作業や六次産業化の過程、そばを使った料理、蕎麦についての豆知識など色々と発信していこうと思っています。

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