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2時半

サラリーマンの生活は、サッカーばかりをしていた小学生の頃にも増して、変化のない生活である。

毎日決まった時間に起きて、朝からキーボードに向かい、決まった時間に昼食をとる。午後は眠気と戦い、舟を漕ぐ寸前のところで立ち上がりコーヒーを一杯飲み、再びデスクに向かってキーボードを打つ。やや残業し、帰宅ないしは飲み会、シャワーを浴びて、眠りに着く。
こんな生活のままでいいのか。

もっと遊ぼう。もっと楽しいことをしよう。などど気軽に言える男友達もいないがゆえに孤独を今日まで太らせ続けてきている。それに加えて日常生活ではほとんど動かないもんだから僕自身も太る一方だ。このままの生活を続けているうちに、僕も孤独も太り過ぎてしまって、家から出られなくなってしまいそうである。早急に手を打たなければならない。

職場の友人は、「ジムに行って運動しているよ」「出勤前に朝走ってからきている」と軽々しく言ってくれる。だが僕は、どうも走る気にならない。彼らは健康的に見えるし少しの我慢で済むならば自分も走ってみよう。そう思うも僕の下駄箱にはコンバースのオールスターしかない。ローテクのスニーカーに魅せられた人間に、走ることは許されていないらしい。

結局今日も帰宅後はただ家でTwitterを眺め、絵をちょろちょろと書いて、仕事の続きでSNSに流すネタを考え、餃子を食べたくらいだ。これではまた太る。運動のことはさておき、餃子を消化しないまま寝ることへの罪悪感からnoteを書くことにした。

罪悪感からキーボードに向かうも、文字が一つとして思い浮かばない。ベッドに座り、本棚から2、3本を見繕ってパラパラとめくる。目に止まった本を手に、再び机の前に腰掛け、本を片手に「今度こそは」とnoteをかき始めた。

目に止まったのは星野源さんのエッセイ「いのちの車窓から」
パラパラと読んだだけなので、内容が定かではない。だがこんなことが書いてあった気がする。音が響くアパートで毎日のように音楽を作っていたこと。朝おきてyoutubeやネットサーフィンをしているだけで14時まで過ごしている日があること。
星野源さんのこう言うところも僕は好きだ。煌びやかすぎないところとでも言うのだろうか。

この本を流し読みする中で僕は、このままの変化のない生活でも良さそうだ。わざわざジムに通って走らなくても大丈夫そうだ。と言う結論に至った。

変化のない生活に対する悩みや葛藤。そんなものはどうでもいいのかもしれない。好きな仕事ができていて、やりたいことがはっきり見えているのが僕の今の状況である。ならばこれらを、寝る間も食う間も惜しんで続けていたら、痩せたからだと、変化のある生活との、どちらも得られるのではないかと思う。いつか星野源さんにあってこのことについて話しをしたいと思った。

自信に満ち溢れた深夜2時半。
読み返すとダメなところが目立つが、睡眠を優先することにした。

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