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名取さな「さなのばくたん。 -ハロー・マイ・バースデイ-」に行ってきた話

1.川崎チネチッタに行ってきた

独特な作りをしている川崎チネチッタ

中学時代から映画にハマり早15年。川崎チネチッタは歴史ある映画館として知られているが一度も行ったことがなかった。先日、有識者からイタリアの同名映画撮影所公認の場所と伺っただけに興味は持っていたのだが、まさか初めて行く機会がVTuberのライブだとは思いもよらなかった。

劇場入り口前に彼女の存在を感じられるブースがありました。
映画好きでもあるのでパロディポスターが飾ってありました。
個人的に『羊たちの沈黙』の惹句「サイコ・ダジャレの金字塔」に爆笑。
『シン・ゴジラ』のパロディポスター

昨年3月から、VTuber文化に興味を持ち研究を進める中で、名取さな」という個人勢VTuberの存在を知った。ぽこピーとのコラボ動画で知り、その後『MOTHER2』のゲーム実況で注目するようになった。

彼女の特徴といえば、ひとたび語り始めれば、疾風怒濤のように雑談を繰り出すテクニカルトークだろう。その引き出しの幅は広く、ゲーム配信中に『ミザリー』の話をしたり、あらゆるアニメキャラクターのモノマネをしながらのプレイングを披露したりする。特に、ブルーアーカイブとハリー・ポッターのネタになると異様に高い解像度でテクニカルトークを始めるので、そのコンテンツに疎くてもついつい笑ってしまうものがある。しかも、スパイスとしてダジャレを随所に挿入してくる。このスタイリッシュさに魅了されたのであった。

さて、今回、名取さなさんの誕生日記念ライブが開催されるということで川崎チネチッタに行ってきた。

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』を再観し、マルチバースを使いこなせていないのではと思いつつ、CINEMAS+さんに寄稿したばかりであった。そんな中このライブを観ると、VTuberの方がマルチバースの概念を使いこなしているのでは?と思わずにはいられなかった。

今回、ネタバレありで本公演の所感を書いていく。

3/31(金)までアーカイブチケットを買うことができるので、未見の方はご視聴の上、読まれることを強くオススメする。

2.あえて制約を設けることでリアルさを追求する舞台設計

会場に入ると、本公演のヴァーチャル空間を設計した技師による解説が流れていることに気付かされる。

ヴァーチャル空間はなんでもできるけれども、本物に近づけることでチネチッタと会場が繋がる空間にしたい。

といったことを技師が語っていた。映像ではUnityを使ったライティングに関することを掘り下げて解説していたが、実際に公演を観てそのこだわりを感じた。

まず、本公演は実際の舞台同様、空間自体が動くことはない。YouTubeで配信される3Dライブの場合、カメラを自由に動かすことで躍動感を与えたり、壁抜け、サイズ変化といった物理世界では不可能なことを演出することが多い。しかしここでは、舞台自体は基本的に変化しない。正面からのカメラワークでステージを映す。「名取さな」の表情は物理世界のライブ同様、ヴァーチャル空間背面の巨大スクリーンに映す演出となっている。服装が変化する場面も、終盤までは暗転によって演者が着替えているような間を与えるのだ。

我々は映画館のスクリーン越しに名取さなさんのパフォーマンスを観る。だが、これは特別なライブ。YouTube配信とは違った距離感を魅せる必要がある。至近距離に彼女の存在を感じさせるために、舞台を動かさない制約を与えたのだろう。確かに、カメラを移動させたとたん、それは「映像」を観ている感が強まってしまうだろう。映画館という空間、他の「せんせい(観客)」の存在を感じられる状況で至近距離主観撮影を選択し、VRでの体験っぽい演出に魅せることは難しいだろう。

実際に、公演を観ているうちに、ヴァーチャル空間は現実のものとして感じるような躍動感を感じた。

3.マルチバース的世界観と個人の関係

大きなプロットとして、誕生日を迎える「名取さな」は、森羅万象検索くんを使って、理想の誕生日パーティを作ろうとするが、トラブルによって別の世界線に飛ばされ、「王様名取さな」「キョンシー名取さな」「学生名取さな」「実体としての名取さな」と対峙していく内容となっている。それぞれのパートではゲームあり、雑談あり、ダンスありバラエティ豊かなパフォーマンスが披露される。

いろんな側面の「名取さな」が、キャラクターにあったパフォーマンスをするのだが、一貫して個人と他者との関係に悩んでいる面を魅せていく。

「せんせえ(視聴者)」を前に、明るく振る舞う彼女であるが、本物のナースでもなければ王様でも学生でもない。「なりたい自分になる」エゴを満たす。それを「せんせえ(視聴者)」が祝福する状況に対して自分なりに飲み込もうとする葛藤が見え隠れするのである。

VTuberを哲学の方面から研究する山野弘樹氏が「フィルカル」に寄せた論考『「バーチャルYouTuber」とは誰を指し示すのか?』で以下のように解説されている。

Bredikhinaが述べる通り、VTuberがVtuberであることの所以は、(YouTubeというプラットフォームに制限されることなく)何らかの配信活動を行う点に存している。そして、そうしたVTuberとしての配信活動の蓄積と、生身の配信者が送る人生物語との間に徐々に開きが生じることによって、VTuberのアイデンティティが、生身の配信者のアイデンティティから独立していくことになる。

フィルカル Vol. 7 No. 2「『バーチャルYouTuber』とは誰を指し示すのか?(山野弘樹)」
(株式会社ミュー/2022年8月31日発行)より引用

最初は、軽い気持ちで「なりたい自分になる」とVTuberを始めたものの、徐々に文脈が生まれて、配信者としてのアイデンティティとは別にアバターと配信者が相互に影響しあって、さらに「せんせえ(視聴者)」と積み上げていったVTuber「名取さな」としてのアイデンティティがある。それも、身に付けているものによって微妙にアイデンティティが異なり、その狭間の中で自分とは何者なのかを模索する。それだけに「名取さな」と「実体としての名取さな」が共演して歌う楽曲「ゆびきりをつたえて」に涙が出てくるし、最後に流れる、

わたしのなりたいわたしを見つけてくれてありがとう。

というメッセージが非常に重く、切なく、感傷的に刺さった。

これは物理世界とは別に映画界隈の人間che bunbunとして活動する私にも重なるものがあり、なおさらであった。いつもは、雑談配信で軽妙に言葉の杖を振る彼女の心の深部に触れた気がした。

昨年のピーナッツくんのライブ『Walk Through the Stars Tour』もそうだが、VTuberはアバターを介して世界を作っている。一見すると、好きなことをして生活しているようだが、その中に果てしない血の滲む努力や、葛藤がある。それが作品に注ぎ込まれる。これを観てしまうと、単なる都合の良いどこでもドアのように使われたり、陳腐な家族の物語に収斂してしまうアメリカのマルチバース映画に物足りなさを感じてしまう。「マルチバース」ってもっと自由で、自由だからこそ壮絶で唯一無二の葛藤があるのではないかと思うわけだ。

4.健在なテクニカルトーク

今回のライブで改めて、名取さなさんのテクニカルトークの超絶技巧さに驚かされた。彼女からは、チネチッタのスクリーン8~12、そしてYouTubeに有料ライブ配信会場と複数の次元が同時に見える。彼女は、各次元ごとにコールを行う。

「自分の会場がわからない方?」

「8番スクリーンが多いようだね」

「9番スクリーンの方、おいおいなんで8番スクリーンの人がペンライト降っているんだよ」

「9番スクリーンは真面目だ」

「おいおい、9番スクリーンも荒れ始めたぞ。腐ったミカンかな?」

と畳み掛けるようなマシンガントークで複数のスクリーンを束ねていく。「せんせえ(観客)」は自分のいる次元しか分からないにもかかわらず、段々と異なる次元と繋がっているような一体感を得る。彼女だけに広がるマルチバースではなく、まさしくマルチバースの扉が開かれ、我々を異なる次元へ誘うようなトークをするのだ。均等に異なる次元に触れていくため、飽きさせることはない。その特性故、ペンライトのバイブスも盛り上がっていき、新曲だろうとも一体感ある動きが生まれていくのである。発声がなくてもここまで熱量が生み出せるのかと感動した。

彼女の盛り上げが最高潮にいたるのは、「キョンシー名取さな」が行う水平思考ゲーム(ウミガメのスープ)。「せんせえ(観客)」によるペンライト捌きを見て「キョンシー名取さな」が問題の答えを探るゲームだ。

解答があまりに長文で「本当に答えられるのか?」と思う。

実際に「せんせえ(観客)」の揺さぶりの反応もあって、これは正解に辿り着くのは難しいだろうと思ったのだが、徐々に答えへと彼女は辿り着く。このプロセス。ライブじゃないと出せない緊張感に痺れた。「せんせえ(観客)」とインタラクティブに対話する。配信だと文字だけだが、身体を伴ったコミュニケーションがライブで実現する。それは、彼女をより間近に感じる体験であった。しかも、このギャグパート的ゲームの答えが、終盤の実体とナースとの関係性に結びつく。実体としての「名取さな」は内気だが、数々の世界線の「名取さな」(=着ぐるみ)を纏い、陽気に振る舞うことで「せんせえ」(=子供たち)を喜ばせる。その伏線回収のさりげなさと、強固なプロットがまた体験を強烈なものへと昇華させていたのであった。

5.最後に…

普段、あまりライブに行かないので、名取さな「さなのばくたん。 -ハロー・マイ・バースデイ-」に行くかとても悩んだ。彼女の配信は良く観るけれどもミーハーだしなと思ってかなり悩んだのだが、実際に行ってみて正解であった。

やはりVTuber文化は映画畑に10何年もいて、様々な映像演出を知っているつもりになっている自分にとって良い刺激である。映像表現の可能性は無限大。個人勢VTuberがここまで大規模なライブを開けてしまう、世界を作れてしまうという状況にただただ圧倒された。

「マルチバース」って全然フィクションじゃないじゃん。

我々のすぐそばにあるじゃんとね。

名取さなミュージックコレクションVol.3購入しました。
本記事はこの収録曲をヘビロテしながら書きました。

↑名取さなミュージックコレクション Vol.3の感想も書きました。

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