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日本から出国できなかった話

みなさんは、海外旅行はお好きですか?

コロナ禍になる前、私は海外旅行が好きで40ヶ国近い場所を訪れていました。社会人になっても、休暇を見つけては韓国やキューバに行っていた程でした。それだけに、もうそろそろ海外が恋しくなってきました。

さて、海外旅行にまつわる小話をひとつしようと思う。

海外旅行の醍醐味に「スタンプ」があります。パスポートに乱雑に押される、個性的なスタンプ。旅をした記憶が刻まれる瞬間には誰しも胸が踊らされることでしょう。しかし、そんな「スタンプ」の中にも哀しいものがございます。

それは「出国中止」スタンプです。

海外旅行好き、トラベルジャンキーでも滅多に押されることのない「出国中止」スタンプ。どういう場合に押されるのか?今回はそれについて語っていきます。

第一章:雨男レベル100

■雨男の記憶

時は2010年代。私は「雨男」であった。

釜山国際映画祭に行った時、あたり一面破壊されていて身の危険を感じた
あまりの暴風雨にミシュランマンの腕がもげていました。

ほとんどの旅行で雨が降るのだが、それは殺意溢れるものであった。アイスランドに行った時には、未曾有のハリケーンが押し寄せていて傘を差していた私は『メリー・ポピンズ』のように宙へと舞った。

釜山国際映画祭に行く時も、映画祭が終わる頃に台風が来る予定だったのだが、私が出国するタイミングで台風が韓国に上陸。あたり一面、ガラスの破片や廃材が飛び交う中で、「死ぬかもしれない」と思いながらラース・フォン・トリアー『ハウス・ジャック・ビルト』を観に釜山を彷徨った。

毎回のように大雨が降るものだから、大学2年生の私はこう考えた。

■雨とは無縁の国「モロッコ」へGO!

「雨とは無縁の国を旅行すれば良いのでは?」

大学の地下道には、旅行会社のパンフレットが多数並んでいる。その中から、雨が降らない国選びが始まった。最終候補に残ったのは「モロッコ」と「エジプト」。エジプトは高校時代の同級生が行ったとFacebookで報告していたのでモロッコを選んだ。

さて、いざ出国の日。天気は晴れ。旅行日和だ。空港のロビーの開放感はいつ来ても心地よいものだ。私の旅を祝福してくれる気分がした。何もトラブルなく、機内へ乗り込む。

しかし、30分、1時間、2時間経っても飛行機は飛ばなかった。

■大変申し訳ない

やがて、アナウンスが響き渡った。

「大変申し訳ありません。機長が体調を崩しました。協定で23時以降に飛行機は飛ぶことができません。つきまして、このフライトは中止となりました。」

なんということでしょう!飛行機にまで乗ったのに、直前になって機長が病で倒れ、代理も見つからず、時間切れになってしまったのだ。しかも、時間はもう23時半を超えている。どこで寝泊まりすればよいのだろうか?そもそもこのツアーはどうなるのだろうか?

明らかに異常事態となっている。

アナウンスの指示に従い、乗客は飛行機から降ろされた。一度出国した扱いになっているので、手続きが必要とのこと。入国審査場へ行くとポンっとスタンプが押された。

これが「出国中止」スタンプであった。

■シェラトンホテルのスイートルームで、「断食映画」を撮る

出国ゲートでは立ち尽くす人で群れをなしていた。全員が『ターミナル』のトム・ハンクスのように空港で暮らさねばいけないと失意に暮れていた。ある者はツアーコンダクターに、ホテルは?今後の日程は?と畳み掛けるように詰め寄っている。彼女は、必死に電話をしながら30名分の宿泊先の交渉にあたっている。

待つこと2時間、深夜1時半。ぐったりとした民を前に彼女はこう語った。

「とりあえず一泊分のホテルは抑えた。フライトに関しては明日の朝交渉するから、まずはホテルへ向かいましょう。」

シェラトン・グランデ・トーキョーベイ・ホテル

バスの車窓から段々と、お城と火山が見えてきた。夢の国である。シェラトン・グランデ・トーキョーベイ・ホテルだった。旅行会社の交渉もあって無料で泊まれるとのこと。空いている部屋の都合上、私は最上階付近のスイートルームに泊まることとなった。明らかに家族部屋である。ミッキーマウスのぬいぐるみがニコやかにお出迎えしてくれる、そんな部屋であった。浴室には窓がついており、こんにちはとベッドルームに挨拶することができる。異様な光景、私の胸踊らされる。

翌日、天気は曇天。ツアーコンダクターからの連絡はなし。暇だ。何をしようか?

そうだ、映画撮ろう!

私の脳裏にあるヴィジョンが浮かんだ。

ある日、目の前に断食の神様が降臨し、男は断食に目覚める。そしてモロッコへと旅立つ。今の旅行をそのまま映画に収めてしまおう。

9年前の映像が出土した。

三脚を組み立て、バスローブを身に纏い、ファーストテイクを撮りはじめた。

ٱلسَّلَامُ عَلَيْكُمْ (アッサーラム アライクム)

異常事態に良い知れた、私は撮って、撮って撮りまくった夜を彩る花火のように。深夜にホテルにつき、あまり寝られていない興奮状態で、異様な画が次々と撮られていった。監督、脚本、主演、すべて自分である。

そうこうしているうちに電話がなった。

「ブンブンさん、行きましょう!飛行機に乗れますよ。」

到底、飛行機が飛ばなそうな状況である。
a-haの"The Living Daylights"を聴きながら飛ぶのを今か今かと待ち望む。

二度目の羽田空港。天気は未曾有の大雪。『大空港』さながらの大雪である。なんとか登場するも、時間が経てば経つほど、暴風と大粒の雪で窓が覆われていく。天気がなんとしてでも私のフライトを阻止しようとする強い意志を感じるのだ。「雨男」レベル100にもなると、フライト日をズラして大雪を降らせてしまうらしい。なんて日だ。ジョン・マクレーンも真っ青なほどに運がない。しかし、私は修羅場のプロフェッショナルでもある。「不幸中の幸い」を引き当て続けて早何十年。そう簡単にバッドエンディングとはならない。

つまり、飛行機は飛んだのだ。そして、新たな修羅場が始まったのである。

第二章:パキスタンに不時着事件

みなさんは、長時間のフライト、どのようにして暇を潰しますか?私は、映画好きなのでひたすら映画を観て過ごします。座席のポケットに入っている映画のラインナップを観て、どれだけ多くの映画を観られるかタイムスケジューを組み、ひたすら映画の世界に没入します。2本ぐらい観た段階で、ある異変に気づきました。

なぜか韓国上空から飛行機がまったく進んでいないのである。

普通だったら、インドを超えたあたりであろう。しかし、飛行機地図を見ると、映画1本観たにもかかわらず位置が同じ場所なのだ。明らかにおかしい。すると、残念なアナウンスが機内を包み込んだ。

「暴風の影響で燃料が底を尽きました。これよりパキスタンに緊急着陸します。」

あまりに風が強かったらしく、前に進めず、燃料が底をついてしまったとのこと。飛行機はパキスタンで1時間の補給タイムに入ったのだ。今回の旅では、カタールで乗り継ぎがある。乗り継ぎ時間に間に合うのか?一抹の不安が頭をよぎった。

パキスタンは晴れだった。だが、夜中だったため、外はまったく見えない。横には、関取のような人が爆睡しているため、立ってストレッチすることもできない。ようやく飛行機は再度上空へ。ながいながいフライトを終えて、ようやくカタールへ到着するも、息をつく暇もない。

「10分後にモロッコ行きが出発するので走ってください!」

老人が多いツアーながら、皆が走って次の飛行機を目指す。ナニコレ?ハンター試験?と思わずにはいられないハードさだ。

第三章:睡眠時間2時間で観た絶景とは?

無事にモロッコに着いたものの、約2日遅れの到着となっている。ツアーもスケジュールに追いつけとばかりに爆速で進む。息を着く間もなく、ホテルへ到着。夜中の2時だ。サハラ砂漠をラクダに乗って朝日を観る企画のため、朝4時に起きなければならない。2時間の仮眠を取ることとなった。

バンに乗せられること1時間、突然暗闇に降ろされる。満点の星が夜空に広がっていたが、目の前に何があるのかさっぱりわからない。ラクダと思しきシルエットに乗り、道なき道を進む進む。マッサージチェアさながらの振動が眠気を吹き飛ばす。

「ここだ!」と止まる。

あたりは真っ暗だ。しかし、段々と陽が差し込んできて…

過酷な旅を経た甲斐があったと思うほどの黄金ここにあり。

かつて、マルコ・ポーロが日本のことを「黄金の国」と呼んだ。なら、私はモロッコのことを「黄金の国」と呼ぼう。黄金が大地を照らした。雄大に広がる静寂を前に私は言葉を失った。出国中止になったり、飛行機が不時着したりと壮絶な旅だったが、それはこの感動のためにあったんだと涙が出てきた。サラサラ、キラキラと光る砂漠は美しかった。

朝日に照らされながらゆらめくラクダに、数千年前の旅人のロマンを感じた。

レストランではモロッコの伝統的な音楽の演奏が行われていた。
恍惚に包まれるジャマ・エル・フナ広場

連日ハードスケジュールということもあり、旅の最中、ずっと夢の世界にいるようであった。恍惚に包まれたジャマ・エル・フナ広場にどこか魔術的なものを感じた。

モロッコで買った服

活気あふれる空間が広がっていた。

アッサラーム  アライクム

と挨拶すれば、

アライクム アッサラーム

と返してくれる。店では、面白い服を見つけたので交渉をする。

ハリ、ハリ!

と現地人のように交渉して今のTwitterアイコンの原点ともなる服を買った。こうして、あっという間の1週間は終わったのである。

第四章:映画祭に出品した断食映画の行方は?

DVDのパッケージを作る
社会人になった今振り返ると異様なDVDだったと思う。

ところで、断食映画はどうなったか気になる方もいるだろう。帰国してから、3日くらいかけて映画の編集を行った。

「ラマダーン」と名付けた本作は沖縄国際映画祭に出品した。

お察しの通り、落選となったのであった。

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