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 昼の12時に目覚める。昨日の夜1時までバイトがあったので長めに眠った。このところ睡眠の質が悪い気がする。酒好きとしては、毎日よく眠るというのは至難の業だ。もう少し量を減らさなくてはならない。タバコを吸い始めようか迷う。チャーチルは、赤ん坊が哺乳瓶を常にくわえているように、常に葉巻をくわえていた。ハンナ・アーレントは鋭くクールに冷めていながら、また一方で隠し味ほどに薄められた母性を思わせる目つきで、その生涯の多くの時間タバコを吸っていた。愛煙家を思い浮かべたときに僕のリストに挙がるのは、クレバーで、堅実に年を取った人が多い気がする。一方で酒飲み代表、チャールズ・ブコウスキー。それだけは避けたい。「ある朝何の気なしに鏡の前に立つとそこにはいつもと違う男がいた。だが見覚えがあった。体は丸々と太り、肌は浅黒く荒れ、卑俗と猥褻に犯されたその目は不健康に充血していた。その顔はどこからどう見てもヘンリー・チナスキー。彼はバドワイザーをあおる口実をつけるべく、二日酔いのパラノイド頭を抱えて重々しい足取りでキッチンを横切り、レコード棚からバド・パウエルの中で最も粗野なアルバムを一枚選んでプレイヤーにのせ、乱暴な手つきで針を落とした。」本当の悪夢とはこういったものだ。何かしらの夢から覚めるとそこにはもう一つの夢。デカルトの言葉はどこへ行った。先味から後味にかけてあくまで不味すぎる。最後までチョコたっぷり?笑わせるな、こっちは最後まで泥まみれだ。
 CharはSmoky!と歌ったが、もしそれがWhisky!なら絶望的に格好がつかない。乾杯か、というほど滑稽だ。タカアンドトシのトシならもう一歩先の洗練を見せるべく「…」といったところだろう。前者はあくまで気が確かで、抜群に冴えていて、あらゆる欲望に燃えて溌剌とした男の姿を想起させるかもしれない。彼はたくましい表情でキレッキレのカッティングリフを弾いているかもしれない。後者はもう、うんざりするほど曖昧にチューニングされたクラシックギターで、ヨレヨレのバッハを弾いている中年男性といったところだ。

 枕元に置いてあるスマートフォンで旧ツイッターを開く。誰もゴダールに反応しないのか、とか、くだらねえ、などと思いながらスマートフォンを閉じる。シアリングとナンシー・ウィルソンのアルバムなんかをデカい音量でJBLの安いスピーカーから流しながら歯を磨き、服を着替えて外に出た。14時からまた別のバイトがあるのでそれまでにやることを済ませる。急いでいるときに最も適しているジャズは間違いなくフィニアス・ニューボーン・ジュニアだ。彼について詳しく知っているわけではないが、彼の演奏にはどこか「ポッと出」を思わせる雰囲気がある。年上のジャズメンからは嫌われていたに違いない。それは例えば33歳の若さでライブの休憩時間に愛人に発砲されて死んだリー・モーガンなどにも言えることだ。「ダーフード」は規格外、さらに言うと不謹慎といったほどにテンポが早く、聴いているこっちがちょっとした不快感を抱くほどにカッカしている。レジで若い店員を矢継ぎ早にまくしたてるおばちゃんのギャンギャンした声を思い起こさせる苦しさすらある。「バウンシング・ウィズ・バド」はもはやほとんど原型が見受けられないほどにアレンジされていて、もしかしたらタイトルが間違っているんじゃないかと思うほどだ(Spotifyなので本当に間違っているかもしれない)。おばちゃんの例えでいくとこっちのほうが当てはまってるかもしれない。バップであることは確かなので、つまりバップ的な洗練を突き詰めれば、最終的にあらゆる曲は同じということになるのではないかという下衆の勘繰りを展開させる。
 ニットセーターを買わないといけないので、エイヤ!でセール品を3着ほど買う。「いやぁーエイヤって本当は金持ちの連中の特権なんだけどね(笑)オレみたいな金のない学生じゃなくてさぁ。でもここはひとつ体裁だけでも金持ちのフリしてみっかぁー」などというセリフを菊地成孔風の声で脳内再生しながらショッピングモールを出る。文筆家であり医学博士である北杜夫は、ある程度まとまった金があって、しかも躁状態のとき(彼は躁鬱病だった)は、エイヤ!で大量の株を買い占め、やむなく大失敗に終わり、絶望の淵に叩き落されたかのように打ちひしがれたワーストコンディションで鬱状態を迎えるのだった。そんな話を思い出しながら、僕ももうちょっとちゃらんぽらんでもいいんじゃないかというケルアック的にビートな安堵感を覚える。
 バイトが終わって、今は自室でこれを書いている。時間は20:51。僕の手元にはキーボードとマウスと、その横に菊地成孔の「スペインの宇宙食」が置いてある。スピーカーからはアル・ヘイグの「ニューヨークの秋」が流れている。リスが冬眠しているような音楽だ。リスって冬眠するのか?
 明日の本番で3分ほど司会をするので、その大まかな筋を考えて、今日は早めに眠りにつくことにする。バーボンをエイヤ!はしません(笑)
 ちょうどいい疲労感がある。付け加えることはなにもない。領収証もいらない。レジ袋も結構。スマイル?いらないいらない(笑)第一マスクしてっから分かんないっしょ。(菊地成孔風)


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