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「4か月以上たつのに?」 「直接話したこともない芸能人なのに?」という言葉に思うこと

バカラのシャンデリアが好きで、毎年クリスマス時期になると恵比寿に見に行く。

隣のウェスティンホテルにサルーがいて、猿彦さんを思い出し、久しぶりに「かね恋」のビデオを見た。リアルタイムの放送の時は泣けて泣けて仕方なかったのだけど、不思議とほんわか見ることが出来た。

8月以降、電話で話す方や何かの関係でお会いする方と、必ずと言っていいほど春馬くんの話をしている。最近は世論リサーチも兼ねて。

「久しぶり、元気?」
「元気は元気だけど、春馬くん好きだったんですよねー」
「あー!私も........」

「〇〇から(or の時)好きだった。」
「“せかほし”見てた。」
「特別ファンじゃなかったのに、ニュース見て気になって動画見てからはまってる。」

感覚的に40代以上の女性は6割以上がどれか。
なんとまあ、すごい率だこと。

一方で、当然、そうではない方もいらっしゃる。
そんな方が大概仰る言葉

「4か月以上たってるのにまだ?」
「直接話したこともない芸能人なのに?」

時々、メディアでも見かけるこのフレーズ。中には、これを言われるのが嫌で誰にも話さずにいた、という方もいらした。

「直接話したこともない芸能人」

直接話したことのない芸能人の存在は、友達以下なのだろうか?

世の中には芸能人や特定のスポーツ選手などちょっと離れた存在の人に対して、その人が作り出す作品やプレースタイル+α、人間性も含めて好きになったり応援したり何かしら影響を受けるタイプの人と、

競技や音楽、映画などの作品を楽しむことはあっても、それを作っている(演じている)人には特に思い入れを持たず影響も受けないタイプの人と、2通りいるように思う。

後者の方にとって、直接話したこともない芸能人の存在は、実際に会って話をする友達や家族とは全く別の遠い存在だろう。だから分からない感覚だと思う。

人それぞれ、感じ方やとらえ方は色々だから、それで良い。

私は間違いなく前者のタイプ。子供の頃から誰かのファンで、季節的に見るサッカーやフィギュアスケートだったとしても中心に応援する選手やチームが常にいて、試合前のドキュメンタリーから試合後のインタビューまで見入る。実力や作品の魅力+α、人間性も共感できる人を応援したいし、結果的にそれが自分の趣味や仕事にも繋がっている。

比較的女性に多いタイプなのかも知れないけれど、AKBの総選挙でお気に入りの子がセンター取るようにCD買ったり応援する人もいるから、男女の差、という訳ではないと思う。

必ずしも恋愛対象としてのファンだけでなく、浅田真央ちゃんや羽生くんのように子供の頃から頑張っている姿を見ていれば、試合の日には自分ごとのように緊張し、優勝すれば自分ごとのように嬉しく、誇らしく思い、怪我をすればまるで家族が怪我をしたように心配に思う。

真央ちゃんがチョコレートのCMをしていれば、コンビニで「チョコでも買おうかな」と思った時、真央ちゃんがCMをしているパッケージに目が行く。

特別なファンとまで行かずとも、そう感じ、行動を起こす人が多いから、人気のある芸能人やスポーツ選手はあれこれ報道され、CMにも起用されるのではないだろうか?

家族や親友ならまだしも、友人や離れて暮らす親戚に対してそこまでの思いや、行動の変化は起きない。

だから、一方的であれ、同じ時間軸で生きてきて、活躍している姿を見て、話を聞いて、何かしら共感や感銘を受けた人というのは、近くにいる友人と同じか、場合によってはそれ以上の存在感になり得ると、私は思う。

特に、ファンと自覚して長年見続けていると、顔を見ただけで機嫌がいいか悪いか、緊張しているのかリラックスしているのか、疲れているのか、我慢しているのか大体わかるようになる。
発信する側のオープン度と、受け取る側の感受性の度合いにもよるけれど、これが合致した場合は、勝手ながら家族や親友と同等の存在になる。

そして春馬くん。人によってはまだ子供っぽい時から姿を見ていて、18歳から数年間は「大丈夫?眠れてる?」ってくらいメディアに出ていて、直近2年は毎週せかほし。これだけ見る機会があると、離れて暮らす家族よりも良く会っている気がする。

特にファンじゃなくとも、目にしていた機会はどこかであったから「近所の子」くらいの感覚がある方が多い。大人になった近所の子が普通に会社に行っている分には特に気にならないけれど、突然亡くなった、となれば、気になるのは当然のこと。

で、気になって見てみたら、「なんだこんないい子だったの?こんな優秀な子だったの?」「いつの間にこんないい大人になっていたの!」「あれ?また話題になってるの?」となれば、一気に「近所の子」から格上げされるのは自然なこと。


人の死を受け入れるということ

初めて人の死というものを意識したのは小5の時の祖母だった。

1年くらい入院していて、亡くなる2日前くらいに「おじいちゃんが迎えに来ている気がする」と話していたので子供ながらに予感はしていたし、夢の中でお別れを言いに来てくれたように思うので、比較的すんなり受け入れることができた。

その時のお坊さんが「あなたが思い出しさえすれば、いつでも会えるんですよ。あの雲の上におばあちゃんはいます。」と教えてくれた。
夕暮れ時のオレンジに光る横長の雲を見ると、そこに祖母がいるような気がする。

中学の時、吹奏楽の仲間が途中から学校に来なくなり、高校の時に亡くなった。彼のお母様も白血病で、リスク覚悟で彼を産み、間もなく亡くなっていたという。祖母の時よりショックが大きかった。

高校生だらけの法事は、お坊さんが丁寧に色々な説法をしてくださった。
高校卒業時、彼のお父様からお祝いと共に「息子の分まで大学生活を楽しんで」と言われた言葉が忘れられない。彼の分まで生きようと思った。

中学3年の時、先輩から「かっこいいだろう、綺麗だろう」と見せられたデビュー直後のX JAPAN(当時はX) のポスターに「え?こわい??」と大きなクエスチョンを持って以降目が離せなくなり、いつの間にかすっかりファンになっていた。

当時はまだ公表されていなかったが、ある時Yoshikiさんのお父さんは自死していて、ラブソングのように聞こえる詩はお父さんを想って書いた詩だと知った。(以下、メンバーの敬称略)

ステージ上で本当に気を失ってしまうYoshikiはとても危なっかしく、お父様が亡くなった年齢が近付くにつれ、彼が消えてしまいそうな気がして、いつも「このライブが最後かも知れない」と思って見ていた。

生きる意味とは?人の命とは?運命とは?など、色々なことを考えさせられた高校、大学時代だった。

97年、Toshiの洗脳問題が本格化し9月に解散。かつてあんなに熱狂したライブなのに、12月31日のラストライブは辛く痛々しいものだった。

そんな中、唯一ファンを元気付けるように明るくソロ活動をしていたのがhide。

ところが4か月後、突然彼は旅立った。Yoshikiのお父様が亡くなった年齢と近く、色々な意味でショックが大きかった。

たまたま会社が近かったので通夜も葬儀も行き、深夜のラジオでメンバーや関係者の話も聞いた。結局、酔っていた意外に理由は見つからず、「事故」ということになったけれど、そんな状況で逝ってしまうものなのか?今でも謎に思う。
ただ、突然別れが来ることはあるものだ、と知った。

その後の報道はあまりにも辛く、心の一部を封印して、以降しばらくテレビと音楽から離れた。

10年後、2008年3月の再結成ライブの時、98年にYoshikiがHideを思って作ったという「Without you」で、東京ドーム中が泣き崩れた。以降しばらく、その曲が流れるとパブロフの犬状態で泣いていた。

ある時からふっと、不思議と辛さはなくなって、思い出せばすぐ近くに遊びに来ているような気がするようになった。亡くなった後の登場の仕方にも、ずいぶん個性があるな、と感じている。

4か月という時間

どんな別れも辛いけれど、家族に囲まれての老衰や、ある程度心の準備が出来る病死は幸せな旅立ちなのだと思う。それでも寂しさが消えるまでは、それなりの時間がかかる。ただ、年齢が若いと辛い。

そして、心の準備のできない突然の事故や事件はもっと辛い。
さらに、原因がわからない突然の別れは、辛いを超えて心が凍る。

まだ遺書があって、内容は知らされずとも本人の意志とわかったならば、それも受け入れようと思えるけれど、全く何だか分からないと、答えのない「なぜ?」が頭の中をぐるぐるとループする。

直接話したことのない私が思うのだから、家族や実際に直接会っていた人たちはどれほど辛いのだろう。私がその立場だったら、おそらく強い自責の念にかられている。

俳優さんというのは、難しい職業だな、と最近思う。
どんなに体調の悪い時でも、明るい役なら明るく振る舞わなければいけないし、自分が表現したいものがあったとしても、演出と脚本と合致しなければ表現できない。

よほどの機会がない限り、自分の思いを勝手に喋る機会がないし、自分が関わる作品は、常に他にも共演者や関係者が多数いるわけで、自分の一言で炎上でもすれば作品に影響も与えてしまうから、自由に発言はできないのだろう。

「影響が大きいから報道を控える」のかも知れないけれど、出来れば思い出を語って、みんなで涙して、自然と癒されて行くのが一番良いと思う。
「話す」は「放す」。涙は浄化になる。
経験上、10年凍結したところで癒るものではないから、悲しい時は悲しみに浸って心が受け入れられる時を待つしかない。

「天外者」の公開がこの時期に決まったというのは、春馬くんからのプレゼントのような気がしてならない。きっと公開から数日はファンで席が埋まるだろうから、これまで我慢してきた人も思い切り泣いていいよ、と。

映画館に行けない人や、足りない人は「恋空」の再放送が3回もあるからそこで。美嘉ちゃんの言葉が今に重なるようでどうかと思うけれど、本当に、あの言葉の通り。

乗り越えたらきっと、思い出した時にはいつでも近くにいるような、あったかい感覚が訪れる。
それは、同じ時代に生きて、辛さや悲しみを乗り越えた人だけが得られる特権。
乗り越えた分だけ、きっと、優しく強くなれる。 

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だから、今まだ辛い春馬くんファンの方
世の中には「そろそろ半年経つのに?」なんて言う人もいるかもしれないけれど、気にせずに、頑張って乗り越えてください。

きっと春馬くんは「いいよー、ゆっくりで」と、言ってくれていると思います。



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