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高橋 史朗さん

臨床教育学と歴史学を専門にされている、高橋史朗さんにお話を伺いました。

高橋史朗(たかはし しろう)さん プロフィール
出身地:兵庫県
活動地域:東京都
現在の職業及び活動:麗澤大学大学院特任教授、モラロジー研究所教授。10周年を迎えた親学推進協会会長として、全国的に講演活動を行なっている。

徹底的に肯定的な言葉を聞いて変わった

Q:自分を変えたいと思った時はありますか?

高橋史朗さん(以下、高橋 敬称略):10代の頃は、感動しても自分はダメだなと思っていました。どんなに素晴らしい話をしてる人でも、どんなに立派に見えた人でも、いやー実は違うんじゃないかなという風に、思っていたんです。

結局、自分をどう思うのかによって、人をどう見るのかが決まるので、自分自身に対して冷たく見ているわけですよ。すると人を冷たく見る、人生も冷たく見る、歴史も冷たく見る、全部を冷たく見てたわけです。その見方が変わらないと人生が変わらないなと思ったのが20歳になる頃です。

僕の誕生日の半年前に、目覚まし機能付きのカセットテープレコーダーを買いました。ずいぶん高かったんですけどね。自分が元気になる文章を僕の声でぶっこんだんです。

朝3時に目覚まし機能を使って、僕が吹き込んだ話が出るようにセットしました。
ジャンルは、文学や哲学やいろいろでしたね。毎日、自分をあたたかい目で見れるような言葉、肯定的な言葉のシャワーを自分に浴びせかけたんです。
半年間やるとやっぱり潜在意識が変わるんです。

大学のつまらない授業のときは僕のテープを聞いてました。電車の中とかも、一日の半分以上はずっと聞いてました。すると、夜中にふっと目が覚めて、ニコニコしている自分がいるんです。

僕の場合、潜在意識が暗かったんです。人間というのはダメだとか、生きる意味はないとか。立派に見える人にも、実は裏があって、裏では冷たいんだという先入観念、固定観念で見ていました。

父親に教わったんですが、万葉集のやまのうえのおくらに「大和の国は言霊のさきはふ国」というのがあります。言霊ってのは、言葉の力。さきはふ国は、幸せな国。ということは、言葉の力で幸せになる国だよと。だったら、肯定的な言葉を使えば肯定的な気持ちになれるんじゃないか。言葉の力だし、思考は言葉だからと思ったんです。

そこで、半年間、徹底的に肯定的な言葉を聞いていたんです。すると潜在意識からあったかく見るようになったんですね。それがきっかけで子供が変わるときってどんなときかなということを研究し始めました。

子どもをあったかい目で見ていれば、おのずと立ち直るんです

Q:子供が変わるには何が必要なんでしょうか?

高橋:高校中退者とか非行少年とか、少年院とか、子供が立ち直る時は、なにが原因で立ち直るんだろうというのを研究しようと。臨床教育学っていうんですけどね。それが僕の専門なんです。歴史も専門ですが。

横浜に、家庭裁判所が指定していれる施設があるんです。そこに行くと、全身刺青してるような、少年が暮らしています。ところが、その少年とのれん一枚で先生夫妻が暮らしてるんです。

そこへ足を運んで、何が子供を変えるのかっていうことを学んで、それを理論にしようと、先生や子供と会っていました。

一番驚いたのは、先生が、この少年たちの人格を疑ったことがないと言われたんです。僕はそれ聞いて、目が点になりましてね。全身刺青というのは、中途半端な窃盗とか、軽犯罪ってわけじゃないわけですよ。もう根性がひん曲がってたり、人間性のそのものが崩壊し始めてたりするんです。
そういう少年を目の前にして、人格を疑ったことがないというその言葉にまずびっくりして、さらにのれん一枚で暮らしているというのは、全人格信頼してないと、鍵をかけないで生活なんてできないでしょう。

先生は「善をひらく」と言ってましたが、人間はみんな善くなろうという性質を持っているんだと。でも、反発せざるをえない親に出会ったり、反発せざるをえない社会や先生に出会ったりして、どうしようもなく非行に向かってしまうんです。
反抗したくて反抗してる子はひとりもいないんだと。

僕が自分を冷たく見てたのと正反対にあったかい目で見てるわけです。100%信じてくれる人を子供は裏切らない。これはなかなか大事なところで、大人が子供をどう見てるのかというのが、子供に大きく影響するんです。

犯罪はコップに付いた汚れだから、コップと汚れを区別しなさいと言われたわけです。僕らは、汚れを犯罪とか、非行とか、問題だと言ってしまいます。
汚れれば汚れるほど、コップが汚くなったと思って、コップそのものを否定するんです。要は、人格と行為を区別しなさいと。でも、我々はどうしても人格を責めてしまう。おまえはーってやっちゃうんですよ。

教育においては、子供をどうするかじゃなくて大人、親、教師たちが子どもをあったかい目で見ていれば、子供はおのずと立ち直るんです。

親が幸せになったり、親が元気にならないと、子供は元気にならないんです

Q:親子の関係で大事なことは何ですか?

高橋:最近は、育児から育自へと言っているんです。子供をどう育てるのかは方法論じゃなくて、自分自身を育てられるようになれば、子供は育つんだと。
だから一言で言えば、大人が変われば子は変わるということですね。

何を変えたらいいのかというと、自分をあったかい目でみる。人をあったかい目でみるということ。社会をあったかい目でみる。人生をあったかい目でみる。歴史をあったかい目でみる。

子供が生まれたからお母さんになるというのは、生物学の話です。親心というのは、親と子が通じ合いながら共に育っていくんです。親心も育つし、子供も育つ。

昔、ギャルママ協会の幹部の方と対談したことがあったんです。その協会は4万くらいの組織です。10代後半に結婚して離婚して、シングルマザーで、多くの人は虐待に苦しんでるんですね。ところがお話ししてると虐待を受けたママが多いんです。親から愛されたことがない。だから子供がかわいいと思えないっていうんです。子供がかわいいと思えない親にね、お母さんはこうあるべき、お父さんはこうあるべきといっても辛いだけです。

じゃあ、子供がかわいいと思えない若いお母さんにどうやって変わってもらうか、子供の壁になれないお父さんにどうやって父性原理を持つお父さんになってもらうのか。親が幸せになったり、親が元気にならないと、子供は元気にならないんです。これが僕が非行少年たちと接してきて、たどり着いたひとつの結論なんです。

僕が育ててきた教師が次々に教壇を去った

Q:教師を育てる師範塾をされていましたね

高橋:先生を育てる師範塾を10年以上やっていました。
東京、大阪、埼玉、福岡と。先生が変われば子供は変わると思ったんです。
先生に人間力があれば、嫌なことがあっても先生と関わっていれば子供を元気にできるんじゃないかと。でも壁にぶつかったんです。

1999年から、学級崩壊というのが広がったんですね。これは新聞が大きく報道して、僕もテレビの番組で解説したんでよく覚えてるんです。保育士456人へのアンケート調査が、新聞に大きく出たんです。ここ3~4年で幼児が変わったと。

子供の中に社会対人関係能力、社会と人とうまく関わることができない、集団遊びに参加できない。それから自己制御能力、自分で自分を抑えられず、カッとなったらすぐキレてしまう。言葉遣いが荒くなってるとかね。
でも、それは親の変化と関係があるというのが保育士の見方でした。

小学校でも30人学級で3人くらいが授業中に教室から出たり入ったりしたり、教室をウロウロし始めたりするんですね。どんなに教育力があっても、こっちの子を指導してたらこっちの子が動き出すわけですよ。それで先生の教育力をいくら育てても、小学校に入ってくる段階で家庭の影響を受けた子供たちが学校にやってくる。

学級崩壊が起きて僕が育ててきた教師が次々に教壇を去ったんです。自信を失って。親から、先生の教育のおかげでこうなった、先生が悪いんですと、非難されて。教育の在り方なんですけどね。家庭の教育と学校の教育があるわけです。
学校に入ると秩序とか規律とかルールとか必要になりますね。でも家庭でそういうことやらない人が増えてきたわけです。うちの子は個性豊かに育てる、のびのび育てるって言って実は何もしない、自由を放任と間違えてる。

それで僕の教え子も何人も自信を失って教壇を去ったんです。
それで教師だけではダメだ、親が親として育っていかないと難しいなと。

なんのために教師になるのか

Q:親学はどのように始まったんですか?

高橋:師範塾の後に、PHP研究所で1年間、親学(おやがく)の研究会をやったんです。1年研究して親学の1冊の本にしました。親学の教科書。それでちょうど今年10年目ですけど、一般財団法人親学推進協会を立ち上げたんです。一番の目的は親を支援する、親育ち支援と言ってますけど、親が親として元気に幸せになる。

例えば、子供に夢を持てと言っている親は、夢を持っているのかと。先生が生徒へ、将来に向かって夢を持ちなさいと言っても、その先生は持ってるのかと。

ある時、僕のゼミの生徒が念願の教員採用試験に合格して喜んでるかなと思ったら、元気なくなっちゃったんですと言うんです。どうしたって聞いたら、もう目標達成しっちゃったと、小さい頃から小学校の先生になるのが夢だった。でももう合格したからと。

なんのために教師になるのか、それをよく考えてほしいと伝えたんです。
どういう子供に育ってほしいのか、願いですよね。自分が教師として子供にどんな願いを持っているのか、ということをもっと自分で大事にして見直したほうがいいんじゃないって言ったんです。

なぜ日本が日本を失ってしまったのか、その事実を知りたい

Q:歴史へのこだわりも強くお持ちですね。それはどうしてですか?

僕は、なぜ日本が日本を失ってしまったのか、その事実を知りたい、その歴史を知りたいと思ってアメリカに行ったんですよ。

それには理由があるんですが、特攻隊は犬死だったって高校の日本史の先生がニヤッと笑って言ったんです。そのニヤッと笑ったのが気になって気になって。
なぜニヤッと笑うんだって。少なくとも命を張って、愛する妻や恋人がいた人もいたし、愛する親、お父さんお母さんがいた人もいたでしょう。それを伏せて、日本の国のために死んで行ったんです。それをどこからそんなニヤッと笑う気持ちが生まれるんだと思ったわけです。

そこには屈折したものがありますよね。実はこれは戦後という時代の屈折なんですよ。
特攻隊という少なくとも命をかけた生き方を犬死だったとニヤッと嘲笑冷笑するという、それは僕が冷たく自分を見ていたように戦時とか歴史を冷たく見てしまう。そこに同じものがあるわけですね。

僕はその時どう思ったかというと、先生はそういうけど、それを犬死かどうか決めるのは後に生きた若者だと。僕らがもし特攻隊の気持ちが分かってそれを受け継ぐという気持ちが生まれれば犬死じゃない。だからそれは僕次第だと思ったわけですよ。
そして少なくとも命をかけた人たちを犬死とニヤッと笑うというのは、教育として間違っとると。
そういう名誉を取り戻さないといけないと思ったんですね。

僕は昭和25年生まれですから、日本が戦争に負けて占領中だったんです。で史朗という僕の名前は歴史を明らかにしてほしいという父の願いでもありました。歴史を調べるということは僕の天命だったんです。

30歳から3年間、アメリカへ行って、240万ページの英語の資料を調べたんです。GHQの資料を。

日本人自身が自分の文化に対して自信を失ってしまった

Q: 戦後の屈折は日本人にどんな影響を与えたのでしょう?

僕の祖先は武士なんです。脇坂藩家老なんですけど。
よくね、おじいさんから武士道っていうのは、刀は抜けるけど抜かない、自分を修身する。昔は道徳を修身といってました。腹が立ったら刀を振り回すのが武士じゃなくて、グッと抑えるんだと聞かされていたんです。
自分を自分で見つめて、本当の自分が弱い自分をコントロールする、自制心ですね。克己心。これ武士道の1番大事なものです。

ところが占領軍は武道を禁止したんです。戦争につながる、軍国主義につながるからと。占領軍がいなくなったら、すぐ日本人が復活させればよかったんですが、復活しなかったんです。なぜかというと、やっぱり武道は戦争につながるからと、日本人自身が自分の文化に対して自信を失っちゃったんですね。

それが戦後の日本に起きたんです。日本人の日本の文化とか、日本が大事にしてきた武士道とかそういうものは封建主義的で、戦争につながるから間違っているって否定して、自信を失っていったんです。
だから、僕はもう祖父母世代に入りましたけど、僕らの世代と、今のお父さんお母さんの世代、孫の世代、3世代揃って日本を失っているわけですよ。それは、生き方としての日本です。

自分をあたたかい目で見るという、自己尊重を広げたい

Q:この先、どんなことを夢としてお持ちですか?

高橋:子供の幸福度調査、孤独感の調査っていう世界の調査があるんです。
世界の15歳の調査で圧倒的に日本が高いのが、孤独感。孤独感世界一が日本なんですよ。孤独感が世界一ということは、日本の子供は幸せじゃないわけ。
教育界はね、生きる力を育てると言っているわけですけど、生きる力なんて全然育ってないんですよ。

ある高校生が新聞に投書したんです。「先生は、強く生きろという。でもなぜ強く生きなければならないか、教えてほしい」と。

強く生きるっていうことは、自分自身をどうみるかっていうことなんです、自己認識。

でも、僕が自分を冷たく見ていたときに、強く生きろと言われてもたぶん無理だったと思うし、若い人たちの日記を読むと、どんなに夢を持っていても、結局自己不信になって、強く生きられないとなってしまうんです。そうすると、自己不信をどうやって回復するのかとなる。

虐待している親はね、やっぱり自分を冷たく見てるんです。単に攻撃性っていうのは外に向かっているわけじゃなくて、自分自身を冷たく見てるから攻撃的になっちゃう。自分をあたたかく見るっていう習慣をまず親の中に育てないと。いくら、虐待はいけないと頭の中で教えても解決しない。

1番大事なことは、自分をあたたかい目で見るという、自己尊重。そういうことをどれだけ、広げていけるか。それが大事なことじゃないかと。

自分も相手も変わる、これを変容というんです。
高見から何かを教えるとか、こうあるべきと理屈として教えるのではなくて、まず徹底的に相手の立場に立って受容する、丸ごと受け取る。
そしてそこからちょっとずつ、ちょっとずつ引き上げて行くということをする。
徹底的に弱さとか、もろさに寄り添わないといけないんです。

お互いに新しい交響的創造をね。響き合わないといけないんですね。
お互いに響き合う関係性をつくって、そこで新しい何かをつくっていく。
そういう新しい対話を僕は自分の残った人生で、やり遂げたいと思っています。

【編集後記】
インタビューをさせていただいた阿部と福田です。現場主義で自らの眼で観察し現場の声を確認し、現在も講演活動も多くされている高橋さんの益々のご活躍をこれからも楽しみにしています。

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この記事は、リライズ・ニュースマガジン “美しい時代を創る人達” にも掲載されています。


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