見出し画像

革命と漂着物

その日はついに訪れた。


読み終わった本を本棚に置いたときのことだった。

ミシッ…


嫌な音がした。

本棚を覗くと、天板にひびが走っている。

「流石に限界かぁ…」と声を漏らした。

私が使っている本棚は、
小学生の頃に親から買ってもらったもので、

以来、

本を買うたびにそこに片付けていた。

私は本棚に本が増えていくことが好きだった。

夏休みのラジオ体操のスタンプカードのように。

自分の知識が増えることが目に見えるようで。

実際は何の身にもなっていないが。

便宜上、本棚とは言っているが、

入らなくなった本を平積みしているだけの箱だ。

棚というよりは重なった本の塊。

さながら本の墓場と化していた。

その様子を見た親は、

「これを機に売っちゃえば?来年には就職してここ出るんでしょ?」
「それとも持ってくの?」

「持ってかない…」

だから私は本を売ったり、バイトの後輩にあげた。

思い出が貰われていく様を見て、
寂しい気持ちになったが仕方がない。

でもこれからも私は本を買い続ける。

趣味だからな。

したがって減らす努力をしても結局減らない。

だから私は思い切って、
これからは電子書籍を買うことにした。

読む用のkindleタブレットも購入した。

これならスペースを取ることはない。

しかし懸念点はあった。

電子が紙に勝るのかという所だ。


私は電子書籍を何かと毛嫌いしていた。

紙の質感とか重さとか匂いとか。

読んでる感がないのではと。

でも使ってみると意外にいい。

慣れてくると読みやすいし、
分からない言葉は文章内検索ですぐ調べられる。

文字の拡大もできる。

防水で風呂でも読める。

何より読みたいときに買えるのだ。

深夜、本屋が閉まっていても、
電子書籍であればいつでも買える。

品切れも起こさない。

個人的にいいなと思ったのは、
旅行でも数冊持ち歩けることだ。

本は旅行中に読み終わってしまうと
家に持ち帰るまで、
ただの荷物と化すのだ。

フランス文学家のボーブナグルが言っていた。

「この世で一番重い物体は、もう愛していない女の体である。」

なぜかいつもこの言葉を思い出す。

まぁ本を嫌いになったわけじゃないんだが。

そういった点で電子書籍もいいもんだなと思った。

使ってみないとわからなかった。 


 
 
 
 
 
 

ある日、次は何を読もうかと
検索窓に好きな作家の名前を打ち込んでいた。


すると、私の知らない作品が出てきたのだ。


晴れた日は謎を追って


作者名が複数あることからアンソロジーであることが分かる。

複数人で一つの主題に沿った作品を持ち寄って一つの作品にする手法。

CDではコンピレーションアルバムと呼ばれる類の物だ。

こういう本はあまり本屋には置かれる傾向にない。

これはあくまで私の想像だが、

出版社ごとに分けている本屋ならまだしも、
作者ごとに分けていると
誰の棚に置けばいいかわからないからではないかと思う。

電子書籍でないと見つからなかったかもしれない。

ちなみに私が検索窓に打ち込んだ作家名は「伊坂幸太郎」である。

何を隠そう私は彼のファンで、
私の本棚をつぶしたのも彼だった。

私はたびたび昔、神話や童話を作った人間は、
きっと伊坂幸太郎のような人間なのだろうなと空想する。

彼の小説はテンポがいい。

登場人物のキャラクターが立っており、
会話は軽快で、皮肉や洒落が効いていて飽きない。

脇役一人一人でスピンオフが書けるのではないかといつも思う。

そして引用がいつも素晴らしいのだ。

ボブディランやビートルズのような有名人はもちろん。

トランスフォーマーを引用して感動させられる作家は彼しかいないだろう。

また、この本の表紙に道尾秀介の名前があるのだ。

これが私の眼を惹いた。

彼の小説の魅力は巧妙などんでん返しだ。

とにかく人を欺く技術が高い作家である。

叙述トリックが最も巧い作家だと私は思う。

伊坂幸太郎の伏線回収は綺麗なものだ。

オリンピックに例えると体操のような優雅ささえある。

審査員が並んで10点の札を挙げている。

対して道尾秀介は柔道のような一本背負い。
天地がひっくり返り、物語が180°回る。

そして今までの登場人物の行動、情景の意味ががらっと変わるのだ。

そんなことが1作で何度も起こる。

これでは一本どころではない。

ちなみに私はオチを当てられたことがない。

彼の小説は創作ではなく、発明に近いと思う。

気になった方は『片目の猿』を是非読んでみてほしい。

自分がいかに偏見や先入観をもって、
本を読んでいるかがわかるだろう。

ここまでトリックに視点を置いていたが、

ミステリー小説であるが故、
事件の裏側にある感情のもつれや複雑な過去の描き方も巧みである。

私が好きな作家を5人あげろと言われれば間違いなくこの2人は入る。

それくらい好きな作家だ。

とりあえずサンプルを見よう。

この本は蝦蟇倉市という架空の町で起きたミステリー集とのことだ。

冒頭数ページが見れるため、どんな話が収録されているのか気になった。

道尾秀介「弓投げの崖を見てはいけない」
伊坂幸太郎「浜田青年ホントスカ」

作品名を見た時に思ったことがある。

どちらも読んだことがあるということだ。

『弓投げの崖をみてはいけない』は文春文庫から出ている『いけない』という短編集の一番最初のお話だ。


いけない

『浜田青年ホントスカ』は新潮文庫から出ている『ジャイロスコープ』という短編集。こちらも一番最初のお話だ。

ジャイロスコープ

ふたつともこの本が初録だったのか。

両方読んだのは数年前だから少し忘れている。

確か先にジャイロスコープを読んだかな。

収録順は逆になっているが、

これも何かの縁と思い、購入して再読した。

『晴れた日は謎を追って』を読み終えたとき、
抱えていた2つの謎が解決したのだった。


『弓投げの崖をみてはいけない』は自殺の名所である弓投げの崖で繰り広げられる復讐の話である。

物語の中盤、
とある事件で視力を失った主人公である安見が復讐するために犯人を
石で撲殺するシーンがあるのだ。

このシーンで不可解に思ったことがあった。

(視力がないのに人って殺せるもんなの?)

特にここの説明はされず、物語は終わる。

まぁそんなもんか、と数年前の私は思った。

そして『浜田青年ホントスカ』に話は移る。

『浜田青年ホントスカ』は「本当っすか」が口癖の浜田青年が相談屋の稲垣に出会い、アシスタントとして働き始める話だ。

物語の中で相談屋の稲垣は依頼人の悩みを解決するのではなく、
軽くするような助言を行う。

例えば、隣人を疑われずに殺したいという女には、
少し罪は被るけど免許を取って轢き殺せば初心者の事故として処理されると助言する。

そんな倫理や常識を無視している稲垣なのだが、
中盤でこんなエピソードが差し込まれるのだ。

稲垣が自転車に乗って景色を楽しんでいると、
目が不自由そうな男を見つけた。
その男を注意深く観察していると、若い男を石かブロックで殴りつけようとしているように見えた。
そこで稲垣は目の見えない彼のために「もう少し右だ」と声を掛ける。
どうしてそんなことをしたのかを聞かれた稲垣は「困っている人がいると助言したくなるんですよ。職業病ですかね。」というのだった。

このエピソードは終盤以降も一切回収されずに終わる。

なかなかなエピソードであるから、
この後男が出てくるのかなと、
何かの伏線かなと思い、注意して読んだ記憶がある。

読み終わった数年前の私は、
『いけない』と同様になんだったのかと思っていたが、

『晴れた日は謎を追って』を読んですべてがわかった。


安見を助けたのは稲垣であったのだ。


これを知った時、思わず声が出た。

(そういうことかぁ~!!!)

列海王みたいになった。

同じ作者の作品の中で他作品の登場人物が出てくることはあるが、
まさか別の作者でクロスオーバーが見れるとは思っていなかった。

少し調べたが、このことに触れている人は探した限りいなかった。

『いけない』『ジャイロスコープ』単体を読んでだけでは気付きようのない内容だ。

電子書籍を買っていないと知り得ないものだったと思う。

ああ、買ってよかった。

心からそう思う。