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プラハのユダヤ人地区④日本占領下の「上海ゲットー」関連展示物を発見する ~チェコ旅行2023夏(21)

チェコ旅行記2023年夏、久々の更新です。早くしないと一年経ちそうです。今年も行きたいのに。行く前に書いてしまいたい!

さて、プラハのユダヤ人地区にある華やかなスペインシナゴーグの展示物には、ナチによる占領に伴うチェコのユダヤ人の苦難を示すものも多数ありました。

これは有名な切手。ヒトラーがプラハ城に入場して街を見下ろしている写真を使ったもので、ヒトラーの54歳の誕生日記念切手です。

切手と言えば、この1~2年、ちょこちょこソ連や東欧のものを集めています。大昔も集まってくるものを保存することはしていますが、最近は、時代を映す資料として、「らしい」ものを中心に、いいのが安く出あれば、くらいの緩さで、メルカリやアンティーク市などで買っています。

東欧の古いものはレトロカワイイと人気で、雑貨や切手も、案外出回っています。手芸などの材料にどうぞと束で売られているのを見ると、ひ~~!と思っちゃいますが。そういうのはきっと大量に出回っているのでしょうけどね。

この写真のかたまりは、チェコスロヴァキアの郵政70周年記念切手(新品)と、チェコがドイツに占領されていた頃のものを混ぜた、ありがたいセットでした。

上の1列は、チェコスロヴァキア建国当初に作られたデザインの切手。デザインは、アルフォンス・ミュシャ(ムハ)です。そのミュシャの肖像画を切手にしたのが、右のシート。一番下のも同じくミュシャの顔とミュシャデザインの切手の柄で、郵政60周年記念切手のようです。

ヒトラーとその横の切手は、ドイツに占領されていた、ボヘミア・モラヴィア保護領の時代のもの。いかついわ。ミュシャのデザインとはずいぶん違うわ。

スペインシナゴーグの展示に戻って。

ん? 日本語で書かれた証明書?


上海無国籍避難民処理事務所」が発行した「移動猶予許可証」です。

いったいどういうものなのか。

日本が占領していた上海の租界に、1943年2月18日、「無国籍避難民」の居住地区を定める布告が出されます。3か月後の5月18日以降、「無国籍避難民」は、特別な許可なくして地区外に出ることはできなくなります。

この「無国籍避難民」というのは、ほぼ、ドイツ占領下の中欧から上海に非難してきたユダヤ人と同義です。ナチのユダヤ人への締め付けが厳しくなっていくと同時に、ユダヤ人の受け入れ先もなくなっていき、上海しか逃れる先はなくなっていき、大勢のユダヤ人が上海を目指したのです。それ以前から、上海には多くのユダヤ人が住んでいましたが、ロシア系やそのほかの系統のユダヤ人はこの規制の対象外です。

指定地域に住まわされることになった「無国籍避難民」が、この地区の境界を越えるには、「通行許可証」という証明書が必要でした。そちらは、参考にした書籍、関根真保『日本占領下の〈上海ユダヤ人ゲットー〉「避難」と「監視」の狭間で』(昭和堂、2010年)に写真が載っていました。

スペインシナゴーグに展示されていたのは、この指定地域に居を移すことを猶予された人に発行されたものです。医療従事者や、公共機関に勤務する者、高齢者、病人などが対象となったようです。この「猶予」は期限付きですが、更新・延長もできたようです。写真の「猶予許可証」も、何度かの更新のあとが読めます。(キャプションがちょっと合っていない気がしますが)

というわけで、思いがけずプラハのユダヤ人地区でみつけた日本語の展示物について、ようやく記録が書けました。(;´∀`)

ちなみに、上海には、上海ユダヤ難民記念館というのがあります。日本経済新聞2015年4月19日の記事によれば、第2次大戦中、中国・上海でユダヤ人が暮らした記録を世界記憶遺産に登録しようという動きもあるとか。

なんと今学期の受講生さんの一人が、そこを見学したことがあるという話を聞かせてくれて、俄然、気になってきています。ここも「千畝めぐり」※の一環になるし!

※「千畝めぐり」=私の造語。リトアニアでユダヤ人に大量の通過ビザを発行した杉原千畝に関連のある場所をめぐる旅のこと。ちょっと日本語的にはおかしいけど。

チェコ旅行記、まだまだ続く。(終わらない予感もしてきた…)


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