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コビリシ射撃場に散った人々を悼む チェコ旅行2023夏(10)

チェコ4日目の朝は、今回絶対行きたかった場所へ向かいました。大好きな女性政治家フランチシュカ・プラミーンコヴァー(過去記事にプレート探訪記録)をはじめ、多くの人々がナチによって処刑された場所、コビリシ射撃場跡です。😢

もともと軍の射撃場として使われていたこの場所では、ナチ占領期の1942年、ナチ高官ラインハルト・ハイドリヒ暗殺事件の報復として市民が大量に処刑されたほか、抵抗運動に加わった人など、1941-45年の間に、少なくとも700人以上が処刑されています。

戦後はチェコスロヴァキア軍の管轄下になり、しばらくは射撃場として使われていたようです。

グーグルマップからのスクリーンショット


ずいぶん外れなのかと思っていましたが、いや、たしかにトラムの終点まで乗って、そこから少し歩かなければいけないのですが、行ってみると落ち着いた郊外の住宅地といった感じの地域です。途中にはテニスコートや、整った公園があって、子どもたちが楽しそうに遊んでいました。

あれ?こんなところにあるの?? なんか爽やか。想像と違うなと思いながら、歩いていくと、看板がありました。まちがいありません。

ああ、プラミーンコヴァー😢(右から5番目の女性)


1978年に今のような形に整備されたようです。トンネルのようなところをくぐって悲劇の場へと進んでいきます。

あれ? そんなに広くない… そして緑がきれい。向こうには団地が… 


なんか想像と違う。もっと荒涼とした砂っぽいところなのかと思っていた…

大量処刑が行われたような場所は、当時は町から離れたところだったのが、その後、開発が進んで町のようになっていたり、きちんと整備されていたりすることがあります。ここもそうでした。


十字架や嘆いている人の像がなければ、ここがそんな悲劇の場所であるとは思えません。

でも、右手の壁には、ここで殺された人々の名前が刻まれていて、たしかにここで尊い人命が奪われたのだということがわかります。

我らがプラミーンコヴァーの名前も…


モザイクと詩

土手のように盛り上がったところには、射撃場の名残りが。

盛り上がったところからの眺め。左手の長い壁に犠牲者の名前が刻まれているのです。

リトアニアのカウナスの第9要塞を訪れたときも、ビリニュス近郊のパネリアイの森メモリアルに行ったときも、今回も、真っ青な空に澄んだ空気で、青々とした緑が眩しい日でした。

行く前に思い浮かべていた、陰鬱でどんよりした灰色がかったイメージ、あるいは砂色のイメージが覆されます。

人々が処刑されたときも、もしかしたら、こんなに明るくて爽やかな日だったのかもしれないと思うと、なんとも不思議な、混乱するような感覚になります。

そんな日でも、人は何の恨みもない人たちを次々に殺してしまえるものなのかと。

というようなことは、リトアニアでも感じて、「リトアニアにおけるホロコーストの記憶」にも記録しています。

今回は、さらに、すぐそばに団地があって、あそこに住む人たちは、日々、この場所を見下ろして暮らしているのかと思うと、リトアニアのときとはまた違う感覚がありました。

私たちが訪れたときには、像に花が手向けられていましたが、2022年11月6日のこちらの記事によると、どうやらここはそんなには知られていないようです。

プラミーンコヴァー最期の地を訪れられた感慨にふけりつつ看板があったあたりに戻ると、噴水のようになっているところで、お散歩中の大型犬が水と戯れていて、ますます、過去の出来事と、現在の平和で微笑ましい情景とが見事に一致しないなあとしみじみ思ったのでした。

つづく。

プラハ8区のコビリシ射撃場の案内ページ

チェコ旅行2023夏シリーズはこちらからまとめて見ていただけます。


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