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ゲットーにされた街 テレジーンを訪ねる ~チェコ旅行2023夏(15)

要塞として建設された街テレジーンは、プラハから60キロほどのところにある小さな街です。

ドイツがチェコを占領していた時期、テレジーンの東側の小要塞と呼ばれる区域は、前者を拘留するための刑務所として、西側の大要塞の方は普通の街でしたが、まるごとユダヤ人を収容するゲットーとして使われました。

小要塞から見学したのですが、予想よりも見るところがたくさんあって、丸々2時間経過。すでに夕方の5時になっていました。

大要塞の方にもたくさんのミュージアムがあるので、急いで移動、特に重要と思われるところに行きました。

まずは、ゲットー博物館へ。


ここは、ゲットー時代、13-15歳の男の子たちの住まいにされていました。数少ない生存者の方たちが、1970年代に博物館をつくろうと働きかけましたが、共産党政権は、ここを北ボヘミア地方の警察博物館にしていたそうです。(林幸子編著『改訂新装版 テレジンの子どもたちから ナチスに隠れて出された雑誌『VEDEM』より』新評論 2021年 → 後日、関西ウーマン信子先生のおすすめの一冊で紹介します)

民主化後、もと被収容者の人たちが組織をつくり、ゲットー博物館の設立の準備をしました。民主化2年足らずで、1991年10月17日、開館しました。のちに別の建物にも拡大しています。(後で登場します)ここには、ゲットーの子どもたちが作っていた雑誌(Vedem)や絵画、人形などが展示されています。

この建物に収容されていた男の子たちが発行していた雑誌「Vedem」
子どもたちが残した絵


子どもたちが残した絵(を写したもの)は、作家の野村路子さんらが日本に紹介し、30年に渡り、各地で展示されています。テレビ番組にもなっています。私も、授業でよく紹介してきました。(野村さんの著作も、後日、関西ウーマンの書評で紹介します)

犠牲になった人々の名前や生年月日
階段の踊り場にも子どもたちの絵

収容所や監獄を何か所も訪ねていますが、多くの場所で、収容されていた人たちが、なんとか手に入るもので工夫して、いろいろなものを作り出しています。

食べるものにも事欠く毎日、心身を傷つけられる辛い日々でも/だからこそ、人は心を慰めるものや、この辛い日々を記録するすべを生み出そうとするものなのだなと毎回、感心し、心打たれます。

この非常によく出来ているお人形たちは、ここに収容されていた、Erna Bonnova さんが作られたものですが、当時に制作したものなのか、ちょっとわかりませんでした。彼女が作ったお人形は、ほかにも展示されています。いずれもとてもよく出来ています。

このお人形は別の人が作ったもの。L318号館の子どもが、お世話をしてくれていたチューターのために作ったもののようです。

ほかにもたくさん興味深い「作品」たちがありましたが、次の建物に移りましょう。

なんとかあと一軒、入れないかと行ってみました。

「マグデブルク兵舎」の博物館へ

閉館15分前というのに、快くOKしていただけました! ありがたや~~~ 

でも、館の人が一緒に後ろからついてきて、私たちが見終わったら鍵を閉めていくという慌ただしさ(笑)いや、入らせてもらえただけで御の字です。

こちらは、当時の生活の様子を再現しているのが特徴です。

ただ、生還者の方によれば、ここまで物は持てなかったとも。

ほとんど駆け回るように見ていくと、私たち親子の共同研究(?)の対象ともいえる、音楽家たちのコーナーがありました!!

ヴィクトル・ウルマンのコーナー
テレジーンでの音楽活動に関する本

親子で注目している作曲家、パヴェル・ハースのコーナーもありました!

テレジーンは、ナチが、ユダヤ人に与えた新しい街だという触れ込みで、宣伝映像なども撮っています。撮影のときだけ、国際赤十字などの視察のときだけ、街をきれいにして、健康そうな人々だけを身ぎれいにさせて、元気そうに幸せそうに映した映像です。

そのなかで、きちんとした服装をした人たちがホールに集って、オーケストラの演奏を聴いているシーンがあります。

そのときに演奏されているのが、パヴェル・ハースがテレジーンで作った、A Study For Strings という曲です。

その事実を私たち親子は、ラトヴィアのホロコースト博物館で流れていた記録映像で知ったのだったか? 曲は後で知ったのだったか?

とにかく、この曲の不穏さと、複雑なつくり、ハースが辿った運命(演奏会のあとアウシュヴィッツに移送されて、すぐに亡くなる…)が重なって、ものすごく衝撃を受けました。

ハースについては、あまり情報が得られないので、ちゃんとコーナーがあって感激しました😢

でも、このときも、もうバタバタしていたので、とりあえず撮れるだけ撮っただけになったので、また絶対、再訪したいと思っています。

テレジーンには、チェコ中から、ユダヤ系の文化人らが集められていたので、制約の多いなかでも、文化的な活動が行われていました。これは、演劇の舞台装置の再現だったかと思います。

テレジーン大要塞側には、まだまだ見るところがありましたが、時間切れ。近くのリトムニェジツェという街にも強制収容所があったので、今度はそちらも併せて見たいです。

三浦先生ご夫妻とテレジーンのなかのベトナム料理店でお食事。おいしかった! 


テレジーンの街 左の建物がベトナム料理店

プラハまで送っていただき、充実の一日を終えました。車中では、ご夫妻といろいろお話できました。その時間もとても楽しかったです。

テレジーンで購入した案内書

6日目につづく。

チェコ旅行2023夏シリーズはこちらからまとめて見ていただけます。

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