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クジラの中で寛ぐ:オスロ・ナショナルシアター『部屋の中の鯨』公演レビュー (横堀応彦)

カバー写真:Erika Hebbert / Nationaltheatret

2022年11月3日、ノルウェーのオスロにあるナショナルシアターで『部屋の中の鯨』(作・演出:岡田利規)が初演された。日本とノルウェーの共通点である捕鯨を1つのモチーフとして、岡田がこの公演のために書き下ろした新作公演の模様を紹介する。

ミュンヘン、ハンブルク、オスロ


 筆者が初めて岡田利規の作品を海外で観たのはドイツに留学していた2012年だった。ドイツ語漬けの日々から解放されるために、久しぶりに日本語の演劇を観たいという思いで観に行った記憶がある(注1)。しかし最近ヨーロッパで上演されている岡田作品の多くは「日本語の演劇」ではない。なぜなら、それらの作品に出演している俳優は現地に住んでいる俳優で、岡田が日本語で書いた戯曲はその土地の言葉に翻訳されているからだ(注2)。

 岡田自身のカンパニーであるチェルフィッチュの作品は2007年以来世界各地で上演されているが(最近では2021年に『消しゴム山』をウィーンとパリで上演)、2016年以降は岡田個人が現地の劇場に招かれて、その劇場の俳優とレパートリー作品を作るようになった。劇場のレパートリーとして作られた作品は、初演が終わった後も(作品によって異なるが)概ね2年間ほど上演される。これは劇場が俳優と年単位で契約しているからこそ可能となるシステムだ。これまでに岡田がヨーロッパの公立劇場で演出したレパートリー作品は以下の5作品である。

2016年6月 ドイツ語版『ホットペッパー、クーラー、 そしてお別れの挨拶』(ミュンヘン・カンマーシュピーレ)
2017年2月 『NŌ THEATER』(ミュンヘン・カンマーシュピーレ)
2018年4月 『NO SEX』(ミュンヘン・カンマーシュピーレ)
2019年12月 『掃除機(原題:THE VACUUM CLEANER)』(ミュンヘン・カンマーシュピーレ)
2022年1月 『ドーナ(ッ)ツ(原題:Doughnuts)』(ハンブルク・タリア劇場)
2022年11月 『部屋の中の鯨(原題:HVALEN I ROMMET)』(オスロ・ナショナルシアター)
*()内は製作した劇場名。

 ドイツでの公演を重ねるにつれて、舞台美術のドミニク・フーバー、衣裳のトゥツィア・シャード、音楽の内橋和久、翻訳のアンドレアス・レーゲルスベルガー、ドラマトゥルクのタルン・カデ、通訳・ドラマトゥルクの山口真樹子といったドイツでの岡田チームが確立していった。『掃除機』と『ドーナ(ッ)ツ』の2作品がテアタートレッフェンという演劇祭(注3)で「最も注目すべき10作品」の1つに選出されていることからも、このチームのプロダクションが現地で高く評価されていることが分かる。筆者は2022年5月に『ドーナ(ッ)ツ』を観劇したが、岡田の演劇語法が俳優と十全に共有された上で、ドイツの専属俳優からはイメージできなかった身体の動きが引き出されていたことに驚嘆した。

『ドーナ(ッ)ツ』の上演の様子(劇場提供)
© Fabian Hammerl

 ミュンヘン、ハンブルクでの経験の蓄積を経て、オスロに初上陸した今作では、岡田が脚本・演出を担い、チームからは音楽の内橋が参加した。内橋は『NŌ THEATER』や『未練の幽霊と怪物』での舞台上でのライブ演奏が印象的だが、『ドーナ(ッ)ツ』と『部屋の中の鯨』はどちらも生演奏ではなく、事前に作曲された音楽が流れる形式だった。

オスロのナショナルシアター


 日本からノルウェーまでは直行便が就航しておらず交通の便は決して良くない。オスロ・ガーデモエン国際空港に到着し、フリートーゲットという直通特急列車でオスロ市内へと向かう。中央駅の次の駅はNationaltheatretという名前で、そのスペルからも推測できるように、ここがナショナルシアターの最寄り駅だ。劇場が電車の駅名になっているところからも、この劇場がオスロ市内で重要な位置を占める施設であることが窺える。

写真1:市内中心部にあるナショナルシアターの外観。(筆者撮影)

 ノルウェーで最も歴史のある国立劇場はベルゲンにあるDNS(Den Nationale Scene)で、「近代劇の父」と呼ばれるヘンリック・イプセン(1828-1906)が1851年から6年間、座付き作者として活動した劇場としても知られている。オスロのナショナルシアターは1899年に設立され、ここでも開場時に上演された『民衆の敵』をはじめとするイプセンの作品は劇場の重要なレパートリーとして上演され続けている。1990年からは、ノルウェー
以外の国々で演出されたイプセン作品を招聘する国際イプセンフェスティバルも隔年で行われている(注4)。

 市内中心部にある上の写真の建物にはメインステージと2つの小劇場が入っている。ナショナルシアターはこの他に2つの劇場を所有しており、1つがトルショヴ地区のTorshovteatret、そしてもう1つが中心部から少し離れたLøren地区にあり2021年の秋にオープンしたばかりの小劇場Kanonhallenで、『部屋の中の鯨』はこの新しい劇場で上演された。

写真2:奥に見える建物がKanonhallen。
劇場の回りにはペール・ギュント彫刻公園がある。(筆者撮影)

 英語でCanon hall(大砲ホール)という名前は、この建物がノルウェーがドイツ軍に占領されていた時代の1941年に武器の製造工場として建てられたことに由来する。350席ほどの小劇場は両サイドにある客席が中央の舞台を挟み込む構造になっている。客席が舞台の両側に設けられているので、片側の客席に変わった観客からは舞台の奥に反対側の客席に座る観客達の姿が見える。

写真3:開場前の劇場内の様子。
舞台の奥には反対側に客席に座った観客の姿が目に入る(筆者撮影)

 劇場のボックスオフィスはバーコーナーの機能を兼ねており、劇場に到着した観客はここで飲み物を注文し、ワインなどのドリンクを片手に劇場内で観劇する。余談だが、ノルウェーはとにかくペーパーレス化が進んでおり、劇場に向かう電車に乗ろうとすると駅に行ってもどこにも券売機が見当たらず、チケットはスマートフォンの専用アプリから購入する。劇場にも印刷されたプログラムやチラシは一切置かれておらず、チケットも全て電子化されていた。

クジラの中で寛ぐ

 オレンジ色のビニールで覆われたトンネルのような舞台装置にはバーカウンターやソファ、フロアランプなどが置かれている。開演するとクジラの鳴き声を思わせる効果音が流れ、シュノーケリングマスクを被ったライフジャケット姿の6名の俳優が登場。1人の俳優が舞台空間の中を歩き回り、他の俳優たちに向かって話をはじめる。
《一頭の鯨がその何十年かにおよぶ一生をいよいよ終えんとしていた。》
*《》内は『部屋の中の鯨』より引用

 このモノローグは他の俳優を観客に見立てた劇中劇の形で語られ、お話が終わると、他の俳優が拍手を送り、みなリラックスした雰囲気でお喋りをはじめる。それぞれの俳優に役名はなく、詳しい人物像も示されない。観客は次第に、この6人はどうやらクジラのお腹の中に閉じ込められているようだ、という設定を理解する。お喋りが一段落すると、2人目の俳優が「お話」をはじめる。

《さて。むかしむかしあるところに勇猛果敢な六人組がいた。彼らはあることに対して断じてそれは許せんという思いを同じくする者たちだった。そのあることというのは、捕鯨。》

 この6人組は2艘のゴムボートに乗り込み、クジラを追いかける捕鯨船を妨害しようとする。そして彼らは自分たちの活動をビデオで撮影し、全世界に発信しようとしている。捕鯨砲はクジラに当たらなかったが、怒ったクジラは捕鯨船ではなく自分たちの乗っているゴムボートへ向かってきた。6人組は海へと放り出され、気づいたときにはクジラの中にいた。

《以上、まあそれは一種の、われわれがなぜここにいるかということについて神話というか物語を、でっち上げたというか》

写真4:お話をする俳優(劇場提供)
credit: Erika Hebbert / Nationaltheatret

 こうして2人目のお話が終わると、他の俳優たちが拍手を送る。このように俳優が1人ずつモノローグでお話をした後、残りのメンバーが拍手をし、その後メンバー全員でお喋りし、また次の俳優がお話をする形式で作品は進んでいく。どうやらクジラの中に閉じ込められた6人は、時間を潰すためにお話を作っては語るということが日々のルーティンになっているようだ。お話が終わった後に6人は、

《でもここはいかんせんWi-Fi ないからユーチューブの発信はできないけどね。受信もできないけどもちろん》
《それに仮にWi-Fi のモバイルルーター持ってたとしてもそれを使うことの是非は議論のあるところだろうな。》
《考慮すべきは健康というのだけじゃない。ウェルビーイングという観点からも考慮しないと。》

といった内容で、クジラの中に閉じ込められて大変な状況なはずなのに、楽しそうな様子でお喋りし、その内容は環境問題やエネルギー問題にも及ぶ。このお喋りのあいだ30代から60代までの俳優陣は両手をぶらぶらさせたり、身体を揺らしたり、クジラの鳴き声を真似してみたり、一見オーバーに見える動きをするが、その動きは適度に力が抜けていて不自然さはない。現地の観客はテキストと俳優の動きの関係を笑いながら観劇していて、ノルウェー語が理解できない筆者にも、俳優のお話を聞かせる演技力の凄さが伝わってきた。現地の観客も、専属俳優の普段見ることのない新しい一面を知ることができたに違いない。

 4人目の「お話」の後のお喋りの中で、1人の俳優が自分たちがいるクジラの大きさについて想像する。

《この鯨がシロナガスクジラだったら、体の一部はここ(劇場)の壁を突き破っちゃってることになるな。全長三十メートルとかあるから。》

 これ以降、俳優はそれまでクジラの体内という設定だった舞台美術の外側へと歩み出す。彼らはそれまで客席と舞台の境界線と認識されていたラインを越えて、観客席の近くに椅子を移動させる。その結果アクティングエリアが拡張され、舞台の両サイドに客席がある劇場の構造も効果的に作用して、観客は自分たちも全長30メートルのクジラの体内にいて「お話」を聞いている「観客」の1人だと意識しながら話に聞き入るようになる。

写真5:観客席の近くに椅子を移動させてお話を聞く俳優(劇場提供)
credit: Erika Hebbert / Nationaltheatret

 当初赤く照らされていたトンネルは途中から青く照らされ、クジラのお腹の中だった空間が海の中へと大きく広がったような印象を受ける。それまでクジラの内側をとらえていたミクロな視点は、クジラを俯瞰してとらえるマクロな視点へと変化する。最後のお話をする6人目の俳優は、観客席近くにいる観客役の俳優に向けて、そして本当の観客にも向かって、話をはじめる。

《鯨から出るとそこは、部屋の中だった。それはこの鯨がちょうどすっぽりと入るくらいの大きさをした部屋だった。》

最後の「お話」が終わると、音楽と照明は消え、場内にはクジラの鳴き声が残る。75分の作品が終演すると、客席の「観客」からは俳優に大きな拍手が送られた。

 印象的だったのは、観客が集中しながらも終始リラックスした様子で観劇していたことだ。ドリンク片手に観ていることも関係していると思うが、観客もクジラの中にあるバーで寛いでいるような気持ちになっていた。シンプルな音型の繰り返しからなる内橋和久の音楽は作品全体の雰囲気を形成し、場内の緊張感を緩和させる役割も果たしていた。作品が良い形で観客に受容されるためには、作り手の思想がチーム内で十全に共有されていることが重要だが、岡田のこれまでのドイツでのクリエーション経験での言葉を尽くしたコミュニケーションの蓄積が、今回のノルウェー初演出作品の成功に繋がったといえるだろう。

モノ、クマ、クジラ、そして・・・

 チェルフィッチュ×金氏徹平の『消しゴム山』(2019年初演)では「人とモノが主従関係ではなく、限りなくフラットな関係性で存在するような世界を演劇によって生み出すことはできるのだろうか?」という大きな問いが作品全体を貫いていたが、それ以降の岡田の作品では人間と人間ならざるもの(注5)の関係を問う作品が多い。このテーマはチェルフィッチュの作品だけでなく、2022年に岡田が海外で発表した『ドーナ(ッ)ツ』と『部屋の中の鯨』にも通底している。『ドーナ(ッ)ツ』はホテルのフロント階のロビーでタクシーを待っているカンファレンス参加者が話し合う作品だが、広範囲で濃霧が発生しているためにタクシーがなかなか到着しない。待ち時間のあいだ、スマホでニュースを見ていると、クマがスーパーに出没したニュースが話題になっている。

 今回紹介した『部屋の中の鯨』ではヒトとクジラの関係が語られていたが、これは『消しゴム山』におけるヒトとモノの関係や『ドーナ(ッ)ツ』におけるヒトとクマの関係の相似形である。人間と人間ならざるものの関係を問う岡田の挑戦は、次はどこへと向かうのだろうか。

(2022年11月4日観劇)

追記:本稿執筆後に、『部屋の中の鯨』を含む岡田がヨーロッパの公立劇場で演出したレパートリー作品の戯曲集が日本で出版されることを知った。これらの戯曲にはチェルフィッチュのテキストとは異なる手触りがあり、この出版を機に、岡田の戯曲が多くの演出家の手によって、まだ見ぬ遠くへと投擲されることを期待したい。

(注1)この頃のチェルフィッチュのドイツでの活動については、当時ワンダーランドに執筆した下記レビューを参照。 https://www.wonderlands.jp/archives/21287/

(注2)本作の翻訳を担当したアンネ・ランデ・ペータスは、新国立劇場でイプセン作品の日本語新訳を手がけている。公用ノルウェー語にはブークモールbokmålと方言を基準に体系化されたニーノシュクnynorskの2種類の書き言葉がある(例えば国名のノルウェーはブークモールではNorge、ニーノシュクではNoregと表記される)。翻訳者へのメールインタビューによると、『部屋の中の鯨』の翻訳はブークモールで行われたが、舞台上で俳優はそれぞれ自分の使っている方言(Oslo オスロ、Ålesund オーレスン(西ノルウェー)、Stavanger スタヴァンゲル(西ノルウェー)、Toten トーテン(東ノルウェー)の4種類)で話していた。これは現在のノルウェーの舞台において最もオーセンティックに上演するためには、自分の心に最も近い母国語、つまり方言、を話すのが良いという考えが一般的であることに基づいている。

(注3)テアタートレッフェンとは英語ではtheatre encounterの意味を持つ造語。ドイツ語圏で最も注目すべき10作品が上演されるフェスティバルで、今年2023年に選ばれた作品は以下から閲覧可能(英語)。
https://www.berlinerfestspiele.de/en/theatertreffen/programm/2023/inszenierungen/10-inszenierungen.html

(注4)2021年からはKristian Seltun(1970年生まれ)がナショナルシアターの芸術監督を務めている。国際イプセンフェスティバルのアーカイブは以下から閲覧可能(英語)。
https://www.nationaltheatret.no/en/the-ibsen-festival/archive/

(注5)「人間ならざるもの」は、篠原雅武によるノン・ヒューマン(Non-Human)の訳語。

【公演情報】
『部屋の中の鯨(Hvalen i rommet)』
出演:Bernhard Arnø, Eindride Eidsvold, Henriette Marø, Kjersti Tveterås, Ingjerd
Egeberg, Anneke von der Lippe
演出・振付:岡田利規
音楽:内橋和久
舞台美術・衣裳:Katrin Bombe
照明:Marte Elise Stormo
メイク: Terje Rødsjø
ドラマトゥルク:Hege Randi Tørressen, Ingrid Haugen
翻訳:アンネ・ランデ・ペータス
『部屋の中の鯨(HVALEN I ROMMET)』公演ページ
https://www.nationaltheatret.no/forestillinger/arkiv/2022/hvalen-i-rommet/

横堀応彦
ドラマトゥルク、舞台芸術研究者。東京藝術大学大学院音楽研究科博士後期課程修了。ライプツィヒ音楽演劇大学においてドラマトゥルギーを専攻。ドラマトゥルクとして参加した作品にオペラ『夕鶴』(演出 岡田利規)、Q『妖精の問題』(作・演出 市原佐都子)等。共著に『Okada Toshiki & Japanese Theatre』。跡見学園女子大学マネジメント学部専任講師。

海外戯曲集『掃除機』
この記事で取り上げた『部屋の中の鯨』は海外戯曲集『掃除機』に収録されております。
本作品のほか、表題作『掃除機』、『ノー・セックス』『ドーナ(ッ)ツ』を収録しています。
ぜひ合わせてご覧ください。
詳細は以下よりご覧いただけます。
https://chelfitsch.net/activity/2023/02/post-40.html