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藤井風がツイッター投稿を全削除した件について

2022年12月28日。
藤井風がツイートを全て削除した。

その前兆はあった。
前日の12月27日、藤井風が突然11月以降のツイートを全て削除したのだ。その際に削除理由の説明は一切なかった。

そして、削除されたツイートの中に藤井風がカバー動画内でNワードを使ったことへの謝罪ツイートが含まれており、それを見た藤井風の一部の海外ファン(kazetarian)が、その謝罪ツイートがなくなったことに対してザワつき、悲しんでいた。「謝罪ツイートは残してほしかった」という声も散見された。

カバー動画のNワード騒動についてはこちら

そして12月28日ついに、全てのツイートが削除されてしまった。アカウントはまだ残っているが、ツイートは全て消されている状態だ。

◆なぜ突然ツイートを削除してしまったのか?


藤井風はツイートを全削除する前に「Twitter is not for me. I’m so sorry.」という言葉をプロフィール欄に残していた。これを訳すと、「Twitterは僕には向いていない。本当にごめんなさい」だ。

タイミング的に見ると、Nワード謝罪ツイートを削除したことに対する批判を受けて「今後もTwitterをやっていると、こういうイザコザが起こってしまうならTwitterを全て削除します」となったように見える。または、宗教(サイババ)への批判やネガティブな意見を目にしてショックを受けたのかもしれない。もしくは、それらのことは一切関係なく、2022年ラストにTwitterから離れることを決めていたのかもしれない。
「Twitter is not for me.」という言葉の通り、Twitterで自分を取り巻く環境に疲れてしまったのだろう。

実は私も今年の5月にTwitterアカウントを削除した。私の場合は誹謗中傷や酷いことを言われたわけじゃないけど、色んな意見や情報、評価に振り回されることなく、すべてを真っ新にして自分のペースで藤井風と向き合いたいと思ったからだ。Twitterには楽しい思い出もたくさんあったけど、結局私にはTwitterは向いていなかったのだ。

いずれにせよ、藤井風がTwitterを辞めてしまった本当の理由はわからない。

◆Twitterを中心に荒れた風界隈


今年はTwitterを発端に、藤井風の界隈が最も荒れた年だった。

藤井風の動画や写真の転載ルールを巡る騒動、日本ファンと海外ファンの対立、ファンネーム問題などに加え、藤井風の過去のカバー動画のNワード問題。それらはTwitterが中心となって起こった出来事だった。

Twitterという場所は、世界中のあらゆる情報や意見に瞬時に触れることができる。それがプラスになる時もあれば、時に攻撃的でネガティブな意見に直面する機会も多々ある。意図せず見たくない情報に触れてしまうこともたくさんある。

それは、「ネガティブなことを手放したい」と常に願っていた藤井風の考えとは相反するものだ。Twitterにいる限り、そういうことを否が応でも目にしてしまうからだ。

大前提として、ファンは藤井風が好きだ。だけど、やはりファンの中でも色んな意見があるし、好きの度合いや方向性が違うこともあるし、時に意図せず意見がぶつかってしまうこともある。

言葉は誰かを救うものであるのと同時に、誰かを絶望的までに苦しめることもある。誰かが喜んでいる一方で、誰かが傷ついて涙を流していたりもする。

藤井風を含め、私たちファンも今年はそれを嫌というほど味わってきた。

◆藤井風は限界だったのかもしれない


なんで突然Twitter辞めたの?
せめて何か説明してよ。いなくなって寂しいよ。
そんな風にモヤモヤして、悲しんで、泣いているファンもたくさんいると思う。

だけど、今一度考えてみてほしい。
藤井風は、とても優しい人だということを。

藤井風は前に「嫌なことがあっても寝たら忘れるタイプ」と言っていたけど、それは少し違うと思った。
藤井風は本当はとても繊細で、良くも悪くも人の「気」を受けやすい人だと思っている。そして、誰かのネガティブな意見を無視したり、簡単に手放せるほど鈍感ではない。
その純粋さや優しさが藤井風の良さではあるけど、その分辛いこともたくさんあったのだと思う。

だからこそ、藤井風のことが心配だ。

Twitterは藤井風にとって、辛い思い出ばかりではなかったはずだ。以前は大喜利のような投稿で盛り上がったこともあったし、お笑いラブの藤井風らしい、クスッと笑えるような投稿もたくさんあった。
そして、Twitterから離れることによってどれほどファンが悲しみ、傷つくか。誰よりも繊細で優しい彼が、それを想像できないはずもない。

それでも藤井風は、Twitterを手放すことを選んだ。
それがどれほどの覚悟だったかを考えると心が痛む。

優しすぎる藤井風の心は、もしかしたら限界だったのではないか。
「疲れた」「辛い」「苦しい」なんて弱音を吐かない人だったけど、振り返ってみるとインスタにアップする写真や動画には「大丈夫かな?」「元気ないよね?」と心配になるような場面が多々あった。

藤井風には自由に生きていてほしい。
好きな音楽を自由に楽しんでほしい。
できれば、悲しいことなんてない優しい世界でずっと生きていてほしい。
ずっとそう願っていた。

だけどこの世界は、そんなに優しい世界じゃないことも知っている。
そして、優しい人には生きづらい世界であることも。

藤井風が抱えていたもの、背負っていたものは、私たちの想像以上に辛いものだったのではないだろうか。

◆「透明な心」を望んだ藤井風


12月28日に放送されたNHK MUSIC SPECIALで、藤井風は「ネガティブなことなど余計なことを考えずに生きていきたい」「透明な心になりたい」と語っていた。

Twitterをやることでそれが叶わないなら、手放して正解だと思う。
心が曇ってしまうぐらいなら、Twitterから離れればいい。
それで心の平穏を保てて、大好きな音楽に集中できるなら、私たちは喜んでそれを受け入れる。


藤井風の音楽が聴ける。ライブに行ける。
藤井風の活躍をリアルタイムで見れる。
それだけでもう十分だろう。

SNSで繋がることがすべてではない。
それが断たれたからといって、藤井風の活動が終わるわけじゃないし、応援できないわけじゃない。

今まで当たり前にあったものが一瞬で消えてしまった。
今回の出来事は藤井風ファンにとってはショッキングな出来事だったけど、藤井風の思いを何よりも尊重したいと思う。

◆いま、藤井風に伝えたいこと


ここまで読んでくれてありがとう。
この記事は完全に私の主観だし、これで誰かを救おうとか大それたことなんて考えていない。だけど、もし悲しみに暮れている藤井風ファンが偶然この記事を見て、その人の心が少しでも楽になってくれていたら嬉しいなと思う。

最後に、藤井風に伝えたいことを言っておこうかな。

みんなに優しくあろうとすること、みんなの幸せを願うことはとても正しいことだけど、一人で全部抱えなくていい。
言葉も気持ちも、全部受け止めようとしなくていい。
あなたは神さまじゃないんだから。

繊細で脆くて、傷つきやすい部分も大切な一部。
唯一無二で完全無欠のアーティスト像の裏でもがき続ける、優しくてお笑い好きでシャイな藤井風も大好きだから。
誰よりも自分を愛して、自分を大切にしてほしい。
自分に一番優しくしてあげてほしい。

悲しみに暮れる時、どうしようもなくネガティブな気持ちになってしまった時はどうか思い出してほしい。
時に悲しいことも起こってしまうけど、それと同時に温かくて優しい愛に溢れた世界もあることを。
向けられる悪意があるとしたら、それを覆すほどの愛があることを。

世界中に藤井風のことを好きな人がたくさんいる。
あなたの音楽が大好きな人がいること。
あなたの存在で救われている人がいること。
あなたがそこにいるだけで、笑顔になっている人がいること。
それをどうか忘れないでください。

私は、藤井風が大好きだ。
藤井風の音楽が好き。人柄が好き。
そんなシンプルな理由だ。
こんな風に純粋な「好き」でもいいじゃないか。

藤井風に会えてよかった。
そう心から思う。

「次はどんな作品に会えるんだろう」っていつもワクワクさせてくれてありがとう。
いつもたくさんの愛をありがとう。
これからもずっと変わらず応援しています。