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新人類が生まれつつあるのではないか?という話

社会人になってからというもののなかなかnoteを更新できない日々が続いており、申し訳ありませんでした。

さて、今回は表題の通り新人類の誕生について語っていきたいと思います。

人類はここ4万年くらい殆ど変化せずに存続し続けてたと聞きます。4万年前に文字が生まれ、そこから文明が飛躍的に発達したことを踏まえると俄に信じ難いですね。

しかし、それは環境が変化を必要としなかった事を意味するわけでもあり、実際その状態でも(実際にはマイナーチェンジがいくつかあったのだろうが)宗教、哲学、科学を生み出せる程度のパフォーマンスは発揮できたわけです。

ですが、テクノロジーの発達による人口爆発とインターネットの登場により全世界の情報量は爆発的に増加してしまったのが現代であり、その結果個人が受け取る情報量が人間の許容量を超えてしまったのが現代なのではないかと考えます。

その兆候が顕になったのは1900年代後半からで、多くの学問の理論的な発展がその頃を境に止まってしまっているのが現状であるように思います。もちろん、理論が実証されたり応用されたりしてはいますがそれも結局は1900年代前半までに構築された理論の延長に過ぎないわけです。

多くの学問(いや、ほぼ全ての学問)が狭い領域を掘り下げていくことしか出来ず、ほとんどの知識人が自分の領域の範囲内でしか思考できないし発言を許されないこの現状を鑑みるに学問の理論的発展は難しいのでは無いかと私は考えます。なぜならそれらは環境だけの問題ではなく人間の脳のキャパシティの問題でもあるからです。

人間の脳は大量の情報を整理したり大局的に考えられるように出来ていなかったのです。そのためどんな賢人であろうと自分の領域を出てしまえば最後、専門家に論駁されて恥をかいて終わりな惨状であったのです。

しかし、この情報社会においてそれはあまりにも致命的でした。人間が言葉を操れないのと同じくらいに。環境問題、格差の拡大、少子高齢化、フェミニズム、LGBT、発達障害等現代社会に残存する問題のほとんどが人間の脳の限界に起因する問題だったのです。

これらの共通点は「自分の知識や経験を超えた包括的な要素を含んでる」ところにあります。どれも個々人の知識や認知のレベルでは処理することが困難でありどうにもならない問題だったのです。もちろん協力しあって解決するという手段もありますがそのアプローチで解決可能な問題は既に解決済みだったのです。なぜなら人間はそもそも協力ありきな生き物であるからです。つまり、現代に本当に必要なのは「包括的な視点で物事を認識可能な個人」だったのです。

ですが構造的な問題で人間にはそれが出来ず、結果として事態は悪化の一途を辿り収拾がつかなくなってしまいその結果としてコロナパンデミックや資源不足が引き起こされてしたったと考えます。

そこで解決策を考えた結果生物にはある最終兵器があることに気づきました、それがタイトルにある新人類の誕生に繋がります。そうです、生物には”突然変異”という最終兵器があったのです。人間の知性を超えた人工知能といった実現可能かどうかすら分からない幻想に縋るくらいならその方がまだ現実味があります。遺伝子改変とありますが人間の認知では特定の枠組み内で優秀な人間を作って終わりでしょう。むしろ脆弱性を増すという意味では逆効果ですらあります。

新人類は恐らくこの複雑な環境を処理できるような仕様になってるのでしょう。かつての人間には「感情と論理を別々に考えてしまう」「処理と推論を同時にできない」などの欠点がありました。特に「感情と論理を別々に考えてしまう」というのは重大な欠陥だったように思えます。複雑系の処理に特化したのが感情、単純系の処理に特化したのが論理だとすれば人間は複雑系と単純系を繋げることが脳の構造上出来ないということを意味するからです。

現代社会の問題に対処するには「単純系と複雑系を繋げる能力」が必要になります。この能力を持った新人類が現れないことには人間は滅びの道を歩むことになるでしょう。

少しシリアスな内容になってしまったがこれが私がここ数ヶ月間考えてた内容になります。ご精読ありがとうございました。

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