私と鏡の国の15年戦争

Prologue

わたしは、わたしの顔が嫌いだ。

最初にそう思ったのはいつだろう。
物心ついた頃から、20代の折り返し地点を越えようとしている現在に至るまで、わたしは、鏡に映るわたしの顔と対峙するたびに、他人の瞳に映るわたしの顔を想像するたびに、黒く濁った気持ちになった。

これは、わたしと、鏡に映るわたしの顔との、15年余りにわたる闘争の歴史の物語である。

Chapter1  
13歳  美しくなければ生きている意味なんかない

人は、いつ、自分の顔が世間一般的に見て、美しいか、美しくないのか気が付くのだろう。あるいは、思い知らされるのだろうか。「美しくなければ生きている意味なんかない」映画の主人公が語るこの言葉と出会った13歳のわたしは、少なくとも、自分の顔が、およそ美しい部類ではないことをよく知っていた。そして、思春期まっただ中のわたしは、この言葉に深く共感して、いつか美しく生まれ変わることを夢見ていた。当時の夢は美容整形外科の医者になることだった。

Chapter2
16歳 憧れは自分とかけ離れているほど強くなる

16歳のわたしは、周囲から求められるキャラクターを受け入れて、演じることを覚えた。誰が、どんなキャラクターを演じるのかはたいてい美しい人達が決めていた。わたしは、時に、わたしを抑圧して、嘲笑して、蹂躙する美しい人達に心底憧れていた。「憧れは自分とかけ離れているほど強くなる」あの頃読んでいた少年漫画のセリフが今も脳裏から離れない。人に見た目で判断されることを嫌っていたわたしは、知らない間に誰よりも人を見た目で判断する人間になっていた。人の業の深さを知った。

Chapter3  
21歳  変わりたいと思う気持ちは自殺だよね

どちらかと言えば美しくない私にも恋人が出来た。どちらかと言えば美しい人だった。それは、どこにでもある、ありふれた恋だった。思いがけず訪れた穏やかな時間だった。ただ、わたしは、どうしても、わたしのことを好きになりきれなかった。そのうち、恋人はわたしよりも、もっと美しい人のところへ行ってしまった。わたしは、また、わたしの顔がどうしようもなく嫌いになった。美しくないわたしがまともに人から愛されることなんかあるのだろうかと思った。「変わりたいと思う気持ちは自殺だよね」小説の帯に書かれたこの言葉に出会ったわたしは、わたしであり続けることにくたびれていた。わたしは、わたしが嫌いなくせに、人に愛されることにどうしようもなく飢えていた。

Chapter4
26歳 人は欠損に恋をする

久しぶりに出来た恋人は、わたしの顔が好きだと言った。わたしは当惑した。今まで異性からストレートにそんなことを言われたのは初めてだった。恋人はよくデートのたびにわたしの写真を撮ってくれた。わたしは写真を撮られるのが嫌いだった。でも、写真の中のわたしは、想像以上に幸せそうな顔をしていた。「人は欠損に恋をする 」SNS上で有名な美容整形外科医のこの言葉を見つけた時、不思議な感動があった。
恋人と過ごす日々の中で、初めは理解できなかったこの言葉の意味が少し分かった気がした。人が人を愛おしいと思うとき、その対象は、完璧な美しさではなく、どこか、欠けていて、歪なところだったりする。それは、わたしにも心当たりがあった。

Epilogue 

こうして15年余りのわたしの闘争は突如終わりを迎えた。と言ったらあまりに陳腐な物語だろうか。無論現実はそんなに単純ではない。耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、それでもわたしはわたしを生きていく。と言った方がより現状に近いかもしれない。でもきっと、わたしは鏡に映るわたしの顔との15年余りの孤独な闘争の中で得られたものだってあったのだと思っている。 

誰かの欠損を愛おしく想う時、わたしは、そんなわたしのことも、少しだけ好きになる。

photo by yuki nobuhara 

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この記事は「自分らしく生きる女性を祝福する」ライフ&カルチャーコミュニティー She is の1月のテーマ「#Dearコンプレックス」によせて書きました。

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金井塚悠生

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