シナリオ、叔父の自殺

昭和 56年10月頃の話…

この話は実話です。

昭和 52年頃、叔父がアパートの自室から出ずに、引きこもりになった。

僕の父が、家賃を貯め込んだ叔父の部屋へ、都内へ出向き話に行くと、イラストレーターだった叔父は、大量の仕事に追われて、ノイローゼになっていたらしい。

連帯保証人になっていた父が、病院へ連れて行き、症状が重症だということで、一人で生活は出来ないという事で、実家のある九州の方へ、家賃を清算して連れ帰った。

その後、1年ほど仕事もせずにフラフラと遊んでいた叔父を叔父の兄(次兄)が仕事に行くのにも車がないと何もできないだろうという事で、中古の自動車(日産サニー 2ドアセダン)を買い与えた。

叔父は、男女6人の3男で、妹の叔母と二人で、しばらくアルバイトをしながら生活をしていた。

僕らがまだ小学生だった頃、暇だった叔父は、ドライブに行くと称して、アスレチックや近くの神宮などの観光スポットへ行ったりして、気晴らしをしてたみたいだった。

叔父は、車好きだったのか、タイヤの太さや高速で走る際はタイヤの太い車の方が安定するとか、速度が増すとハンドルの切り角は少なくて良いといった物理的な理論を話して、良く車を運転していた。

昭和 54年頃には、リネンの仕事でオシボリを喫茶店や飲み屋に卸して回収する仕事を始めていた。

叔父は、時間があると色々なスケッチをしていて、イラストを描く作業を個人的にやっていて、机の上には上手な絵が大量に描かれて置いてあった。

自分の才能を眠らせたくなかったのだろう。

似顔絵においては、昔のエルビスプレスリーの写真を描写して、写真と見紛うくらい上手な絵を描いていた。

僕の兄も鉛筆画で、オードリーヘップバーンの画を描いていて、叔父ほどではないけど、それなりに上手に画を描いてた。

今のドット絵のレベルではないけど、線を描いて描写の印影で上手に白黒の画を描いて、写真レベルではないけど、絵画レベルではかなり上手な方だった。

実は、僕も絵が上手い。

北野武のリョーマゴルフのポスターの画を模写したり、色々な人の描写を描くのは得意な方です。

叔父の画は、ドット画のレベルで、本物の写真のように見えるほど、ポスターなどを描いたら、とんでもないレベルの画を描く人だった。

そんな叔父が、僕が中学生になった頃、良くウチに夕飯を食べ来るようになった。

おそらく、妹の叔母と一緒に生活していて、色々と軋轢があったのだろう。

夕方、良く風呂に入りに来るようになった。

そんな時期が一年ほど過ぎた頃、叔父は、突然、叔母(次女)の家に行き、ご飯を食べた後で一斗缶に入った灯油を持ち出して、海辺の墓が見える海水浴場の砂浜で焼身自殺を遂げる。

顔は真っ赤に膨れ上がり髪は縮れて火膨れができ、焼け焦げて悲惨な状態だったらしい。

父が本人確認をして、叔父であることを確認し、母の弟である叔父の死を確認した。

通夜と葬式の時に集まった親戚は、人が死んでるのに笑いながら酒を飲んでる。

この人達は、おかしいのか?

まるで、叔父が死んだことを喜んでるような様子。

ブリの刺身とかを食べながら、親戚一同が集まって、従兄の話をしてる。

叔父が死んでるのに、誰も悲しんでない。

僕も涙は流さなかったが、僕は、叔父が嫌いではなかったので、なんで自殺したのかを知りたかった。

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