漫画とアニメの原作の違い

キングダムのように、内容を端折ると漫画を購入してる人達からのクレームと人気が落ちる作品があるように、ワールドトリガーのように、尺を勝手に足して原作にないオリジナルの展開になってる作品も多い。

例えば、迅悠一が沢村女子のお尻を撫でるという行為は、セクハラになるので子供向けのアニメ作品からは勝手に変更されていたり、雨取千佳の壁をぶち抜くC級入隊時の場面では、本来は女子二人に大型ネイバーを撃って貰うというシチュエーションが、勝手に男子1名と夏目出穂が、それぞれ射撃を行うシーンが足されている。

所々、脚色が足されていて、原作との違いや勝手な創作が足されている。

ワールドトリガーのアニメの場合、勝手に木虎藍が登場する時も下校時に木虎が迎えに来たシーンも脚色で内容が盛られている。

原作を読み返して違和感を感じるのは、短い尺を勝手に引っ張たり、間を勝手に引き延ばす事で、戦闘シーンの絵面えずらと迫力を持たせる場面の感性の違いが、読み手と制作側に乖離が起きるからだろう。

本来、場面的に映像が停まる筈の場面などは、一瞬の出来事なので動画背景を動かさずに脳処理される文体言語の筈なのに、頭の中の考えがセリフのように語られる部分。

本編では、吹き出しが脳内で考えてる声がセリフとして勝手に周囲に聴こえる編集がされていて、内容が作り変えられてる場面が多々みられる。

アニメと原作を見て違和感があるのは、そういう事だろう。

また、アニメ制作者と声優の作るアニメのイメージが、作品と掛け離れてるのもアニメが面白くない理由の一つだろう。

外国人や子ども達には差異が伝わらないので大差ないと思うけど、ハリウッド映画やアクション映画を観てる人達がアニメの戦闘シーンでガッカリする理由の一つが、絵の動きと脳内で起きる並行処理の動きとの違いに違和感を感じてしまう。

ハリウッド映画では、わざわざスローモーションの流れを作ったりして脳内で考えてる言葉をカットするのは、動きで言葉を表現してるからだろう。

どうせ映像で意味の伝わり難い実写にするのであれば、セリフはない方が逆に映像処理的に個人の判断部分の解釈なので、原作を読めば納得する処理内容として片付けられる。

全てに声優の声を散り嵌める必要性はないのに、一瞬の出来事にするのであれば、スローモーションでコマ送り的な分割にすれば良いのに、不要な場面を足してセリフを付け足すので、イメージが崩れる原因になってる。

ブリーチなどの剣劇で、刀を振り回しながら相手と喋って戦う奴なんて殆んど居ないのに、描写に違和感を感じないのが、今の日本人の読み手がバカになってる証拠だろう。

話し掛けるのは、相手との間合いがある場合だけであり、隙を作る目的で対峙する敵に話し掛ける事はあっても、刀を振り回して敵に斬り掛っている最中に対話してる違和感を受け入れてるのが、現代人の緊張感の欠落した感性としか言いようがない。

そうした表現をアニメに落とし込むのであれば、実際に戦闘で起きたシーンを全体的な動きのあったモーションを引きの映像で頭脳で考えるセリフのない場面を作って一瞬の出来事であるイメージを別に作れば、短い尺を長くできるのだが、それを考えられないのが、今の日本のアニメ制作に携わる人達のレベル表現の低さだろう。

映像とアクションに合わせてセリフや脳内で考えたリアクションをセリフ化するのであれば、回想シーン的な場面設定に置き換えるだけで、一瞬の出来事で事が済んだと理解できる。

声優の声もさることながら、場面的にイメージを取り違えてる部分も数多くあり、アニメと原作の違和感の正体が、アニメ制作者の原作を理解せずに勝手に創作した内容でイメージを作り上げてる部分だろう。

特にアクション・シーンや相手の動きを読むシーンで、動きを止めずに何十メートルも移動してるような感覚を錯覚させるセリフの言い回しや言葉のやり取りは、戦闘が始まる前のセリフだと理解した方が良いだろう。

特に東映アニメでは、こうした違和感が特に強調して見られる。

「スタジオぴえろ」でもキングダムの1期の監督だった神谷純氏の端折り方は、読み手の反感を買うのは当たり前だと思う。

これは、アニメーターが次の段階にステップアップする為の良い機会だと思った方が良いだろう。

同じ原作の作品内容の違いや読み手の受け取り方の違いにより、複数の同一作品のアニメがあっても、声優陣の使い方やキャスティング、より原作のイメージを上手に省かずに落とし込んで、テレビやメディアで扱う際に、コンプライアンス的にダメでも作品の作風を弄らない事は重要だろう。

セクハラはセクハラだとハッキリ訴える形で表現して、注意書き表示をすれば良いだけの話。

痴漢行為は迷惑防止条例違反だとテロップで点滅表示するなど、原作者の描いた内容の悪い部分を真似しないように諭せば良い。

原作との違和感がアニメと原作の面白さを分けるキッカケにもなっているので、原作を読んでからアニメの違和感を指摘して、新しい作品を手掛けるのもアニメーターと作品の著作権の問題や利権の問題を出版社と映像制作や作者の視点それぞれで分けて選べる選択肢があっても良いと思うだよね。

小説作品が、それぞれの手掛ける監督により映像による作風が変わるように、著作権自体は原作者が持ってる訳だから、映像作品の競争力を高めるという理由で、アニメ制作者の意図で原作の持ち味をより具現化した作品が世の中に受け入れられる方が作者も喜ぶよね。

だから二次創作の同人作品が受けたりするのかもね。

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