遠洋マグロ船シリーズ、カナリア諸島・ラスパルマス編

カナダのハリファックスからフロリダ沖まで下って、航路を南南東に取りながら北アフリカ沖を目指す。

赤道よりも北側の辺りで操業を始める。

バショウカジキが大量に獲れる。

このバショウカジキを獲るために、敢えてその周辺から漁を始めていたようで、ラスパルマスに入港して、その意味が分かる。

バショウカジキや雑物の魚としてガストロと呼ばれるスズキの仲間で、クロダイが大きくなったような魚を大量に凍結保存するようになる。

普段は捨てる魚なのに、20トン近くの雑魚をキハダマグロやメバチマグロと一緒に獲る漁が続く。

アフリカに近づくと、沈む太陽が大きく見える。

しかも、肉眼で直視できる。
※ 水蒸気の影響で白く靄掛もやがかって、まぶしさを感じない。

オヤジ的には、地中海に入ろうか迷っていたようで、カナダを出航してから 80日目くらいを目途に、ラスへ行こうという風に言ってた。

あと一月くらいでラスパルマスか…って、オジサン達の会話から期待が膨れ上がる。

マー君は、一度行ったことがあるようで、「ラスは、楽しいよ。」という風に言ってる。

昼間の長い操業が続いたので、キレイな小麦色に日焼けしてる。

操業休みに、全身に食用のオリーブオイルを塗って、ブリッジの上に上がって日光浴をして、体の日焼けしてない部分をキレイに焼いて、均一な色に焼き仕上げる。

いよいよ、ラスパルマスという事で、滞在期間は4泊5日で初日だけ水揚げがあるので、水揚げの後は、出航前の 10時まで自由行動という事だった。

マー君は、カナダでお金を使い過ぎたので、ラスパルマスには、会社から貰うお金と雑魚を売ったお金しか小遣いが無かったので、日本円で 15万円くらいの小遣いしかなかった。

カナリア諸島はスペイン領で、ラスパルマスは州都なんだけど、海水浴ができて、僕が行った時は 3月下旬だったので、山頂に行くとまだスキーができるという事だった。

個人的に南国生まれなので、スキーはやった事がない。

アイススケートは、プールを使ったスケートリンクがあったので、滑ったことはあったけど、どちらかというと海の方が好きだった。

ちょうど、スタンドアップのジェットスキーが普及し始めた頃で、海岸の浜辺では、富裕層がジェットスキーに乗って遊んでる。

ラスパルマスでは、アンドレという 2m 近い身長のタッパのある大柄で恰幅の良い地元のまとめ役みたいな 50代半ばのオジサンが港を仕切ってた。

このアンドレさんに水揚げした魚を渡すことで、円滑に港に立ち入る事ができるようになる。

向こうもお金を支払って商売してるので、日本のテキヤの親分みたいな感じだよね。

港で当直を置かなくても、警備会社が船の警備をしてくれる。

警備員が二人派遣されていて、腰には、コルト社のコルト・ディテクティブ・スペシャルというリボルバー式の拳銃をスペインのヤーマ(LLAMA)社がコピーした拳銃を所持してる。

マー君の挙動が、ラスパルマスに入ってから変だった。

マー君は、ある種のジャンキーで、薬の爽快感を求めてるような人だった。

港からすぐの警察署の前の公園で、ハッシシ(大麻樹脂)を販売してる人達が居て、大麻を警察署前で、堂々と売買しています。

30年以上も前のスペインでは、覚せい剤やヘロインにコカインなどの薬物は禁止薬物でしたが、今でいうところの合法ドラッグとか、大麻は、取り締まる法律がなかったみたいです。

そんなに、目くじら立てて取り締まる事でもないだろうといった感じです。

マー君は何やら、ラスパルマスでは個人行動をしたいみたいで、一人で何処かに行ってしまいました。

僕は、夜はカジノへ遊びに行きたかったので、Y さんとプジョーのタクシーに乗って、大まかに娼婦が働いてるお店を教えて貰って、最初のお店に余り好みの女の子が居なかったので、幾つかの店を覗いて、若い女の子が居る店で、お酒を出して貰った。

たまたま選んだ女の子は、ペルーから出稼ぎに来てるという女の子で、歳も20歳だったので、見た目も可愛いくてノリも良かったので、その女の子を選んだ。

シャンパンも 、たったの 15,000円くらいの金額で、交渉成立。

一晩、泊まりで 10,000円(1円 = 1ペセタ)くらいで、3日分のお金を渡す。
※ 部屋の利用料をルームシェアしてる女性に 10,000(ペセタ)を渡す。

約 6万円とタクシー代だけ使っただけで、まだ日本円も残っていたので、出費も5万円くらいで済みそうな感じだったので、昼間の内に女の子と食事に行って、普通の町の定食屋さんみたいなレストランで食事する。

景観がキレイで、町の作りもギリシャ辺りにありそうな感じの岩肌に建物が張り付いたような作りの場所から色々と目新しいものを色々と感じた。

南米のように、衛生的に汚くもない。

食事を終えてから一度船に戻り、夜のカジノへ着て行く服装に着替え船員手帳を持って女性の元へ向かう。

別にカジュアルもクリスチャンディオールのジャンパースーツだったので、6万円くらいしてるものだったけど、カジュアルが禁止の場所もあるので、とりあえず着替えてみた。

翌日は、その当時に流行っていたドクターシャツ?コックコート風のジャケットで、結構、素材から良いものでデザインも良かったので、カジュアル OK という事で、二日目はカジュアルを着て行った。

初日は、トータルで 10万円ほど勝った。

勝っても負けても、元々 5万円分しか使わないって決めてたので、二日目はトータルで5万円ほど負けて、5万円くらい勝った残りで、少し観光する事にした。

まだ、10万円以上お金も残っていたので、色々な観光地を案内して貰った。

Y さんに紹介されたタクシーの運転手は、スピードを飛ばすので、めちゃくちゃ怖かった。

帰りは、普通に街中を走ってるベンツのタクシーを拾って帰った。

ちなみに、タクシーはベンツ 220D とプジョー505 セダンの二種類しかなく、ベンツ は(W 123 220D ディーゼル)がタクシーだった。

ヨーロッパでも、ポピュラーなタクシーだったみたいです。

1987~1988年くらいの日本では、ベンツって凄いって感じのイメージだったけど、実は、そうでもないんだよね。

夜のカジノは、着飾ったヨーロッパ中から集まった紳士淑女って感じの人達から、僕らのような庶民の安いチップを賭けて遊んでる人が大勢グラン・カナリアホテル(現在は、名称が変わってる)に居て、僕は、パスポートの代わりに船員手帳を持参してた。

一度、カジノの入館用の会員証をカジノの入り口にある受付でカードを作って、翌日からは、そのカードで入れるという事だった。

Y さんは、遊び慣れてる感じで、色々なことを教えてくれる。

今は、僕が行っていた頃よりもリゾート化が進んで、沢山のホテルが出来ています。

日本の著名人って、自分達の知識で物事を語りがちなんだけど、ハワイとカナリア諸島を比べたら、圧倒的にカナリア諸島の方がリゾートだって分かると思う。

カナリア諸島は、スペインを含むヨーロッパの王侯貴族が遊びに来るような場所であり、ハワイなんて、アメリカの大統領がゴルフで遊ぶ程度の場所でしかないんだよね。

カナリア諸島には、世界中の金持ちのクルーザーが、マリーナに数多く停泊してる。

東西冷戦時代に唯一、ソ連と接点を持てる場所が、カナリア諸島だった。

僕が船に乗船していた 1983~1990年というのは、まだ冷戦時代であり、ロシアとの交流も制限が掛かってるような時代だった。

カナリア諸島の質屋には、普通に数百万円する金無垢のロレックスの時計とか色々なものが質草として質流れした商品が置いてある。

市場で購入すると 500万円もするような時計が、250~300万円くらいで購入できる。

それは、40年以上も前から変わらず、金持ちを相手した商売が成り立ってるという事です。

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