週1回の登校、子どもに好きな事を学ばせる教育

学校が必要か不要か?

学校は、必要であっても登校する必要性はない。

人には、計算力や語学能力以外にも、聞く力や話す力を持ってる人が存在し、それらの能力を発揮するのに、学校の授業で対応できるのかと言えば、学校の授業では対応できないし、多くの凡人は、天才児達を封殺してる。

2006年に、ASDと診断された児童数は、約 7,000人だったが、2019年には10倍以上の約 70,000人がASD(発達障害)と診断されてる。

これまでは明らかな境界知能の人だけがサンプリングされていたものが、特殊な性質を持った人達を異質なモノとして数に含めて考えている。

実は、その多くの人達が「2E」と呼ばれる特殊な感受性や能力を秘めてる天才かも知れない。

1/10は、これまで通りの境界知能な人達であっても、きちんと物事を教えれば、半数以上は、そのたぐいまれな能力を伸ばして、彼等の得意分野に導いてあげる事ができる。

彼等の特性を見極める方法を凡人は、一切、思い付かない。

僕は彼等に近い特性を持ってる成功型や挑戦型に分類される140を超える高IQを持ったギフテッドなので、彼等の見分け方が分かる。

実際に、将棋の藤井聡太くんのように、将棋や囲碁にオセロといったボード・ゲームをやらせると、直ぐに能力の見極めが付く。

まずは、遊ばせる事の重要性を知ろう。

知能指数が平均の場合だと特別扱いされないケースがあるのが、この手の人達の特徴であったりする。

彼等は、群れをなさない訳ではない。

自分が共感する相手と魅かれ合う傾向がある。

または、好意的に思ってくれる人を好む。

彼等に共通してるのは、執着心であったり、集中力と呼ばれる自分が楽しいと感じる事に苦痛を感じない事です。

僕の同級生の仲良しだった友人が、ラジコンを組み立てる時に、いつも僕を頼って家に呼び、一緒に、ラジコン模型を家で組み立て、小学校に行かずにモノ作りに没頭してる時間の方を優先していた。

ラジコン模型の図面を読むという行為自体が既に勉強であり、指で物の形状を確かめたりすることで、歯車のデファレンシャル・ギアの仕組みなど、左右の回転差が起きた際に、内輪側の回転を遅くして曲がる方向の内側の回転数を落すという内容まで理解するようになる。

こんな事は、学校では教えてくれない。
※ 動くラジコン模型などは、物理の勉強そのもの

それを小学生が理解できる勉強が、田宮模型や京商のラジコン模型の組み立てだったりする。

車に飽きれば飛行機という具合に、子どもの成長過程で、こうした勉強を学ばせた方が、その子の特性に合った勉強ができるようになる。

その中からステップアップする内に、次はコンピュータ・プログラムが必要になるとか、プログラムを扱うのに、動きの数値やデータを保存しておく記憶領域の設定が必要だと気付いたり、気付きを与える学習の方が、子どもの成長を促す事ができる。

僕は、誰に教わる事もなく小学校の中学年の頃から、勝手に参考書で小学5年生や6年生の参考書を買ってきて、学校に行かずに兄が勉強する内容を独学で学んで人よりも先に、算数や理科の勉強をしてたりした。

国語は、読む内に分からない内容は、自分で辞書を引いて理解するようになるし、興味があるものを調べるようになる。

ギフテッドは、他人に強制されて勉強しても楽しくないから覚えないし、自分が学びたい事や知りたい事に興味を持つ。

その特徴が著しい人達は、別の教育方法で学ばせる方が伸びるようになる。

その子達が世の中に出た時に、高校卒業という、ただの目安で評価されるよりも、彼等にしかできない素晴らしい働きがあったりする。

僕の場合、最初の7年間近くは漁船に乗って世界中を見て楽しみ、漁船を辞めて約1年ちょっとをトヨタ自動車といすゞ自動車の派遣で、モノ作りの生産機械や工程を覚えて楽しんでいた。

特にマニュアル・トランスミッションのシンクロナイザー・リングとギアを製造する工程の楽しさや溶接技術を学び、鉄の収縮する熱反応など、多くの事を自動車業界の中から得たものは多かった。

その後、自動車業界の仕事量が減った事や賃金格差の是正という名目で日給14,000円以上だった仕事内容が、日給12,000円に下げられた時に、建設業界の躯体工事を1年経験してる。

ここで得た物は、叔父に習っていたCADの技術がそのまま活かせるものだった。

始めて設計図面を渡されて作業するという、現場仕事を経験して、僕の知る知識や僕の持つ空間に物を造る創造の部分で、大きく僕の能力を活用してくれる環境に入れた。

人というのは、他人を騙して良いように使いたい連中も多く、ヘッドハンティングされて引き抜かれたのは良いけど、僕のやりたい作業ではなくなったので、ヘッドハンティングされた会社は直ぐに辞めた。

給料を倍以上渡されても、自分が納得しない作業はやらないし、やる価値もないと考えてしまうので、世の中が口だけの人達が多い事に、当時は苦悩してる。

僕は既に結婚していたので、造船業の溶接や物を加工する下請け企業に面接に行き直ぐに入社する事になり、7年間造船のあれこれを学んだ。

その後も三菱重工や当時の日本鋼管工事(今のJFE)など、主に自衛隊の護衛艦や掃海艇などのメンテナンス(油圧部品のオーバーホールなど)やバルブ類の擦り合わせとオーバーホール後の水漏れテストなど、クレーンから配管や油圧モーターのメンテナンスなどを引き受けた。

荏原製作所のポンプなど、熱交換器も含めてディズニーランドのスプラッシュ・マウンテンでは、日通を介して拾った仕事で、スプラッシュ用の水中ポンプの設置や砂町の下水処理場のポンプの入れ替え作業など、荏原製作所からも一定の仕事を貰っていた。

こういう風に、自分は世の中の役に立つという考えが芽生えた方が、頭を使って大きなポンプを動かして設置する際の設置方法や作業の在り方を考えるようになる。

人間の力で動かないものは分割するか、機械を使用するしかない。

ジャッキや大きな配管を運ぶ為の台車など、上下水道事業の大元の部分の作業は、大きなタービンを使用するので、必然的に要領を覚えてしまう。

僕の異常な記憶力は、仕事をする際にも役立った。

空間認識能力や元の形がどうだったのか、写真だけではなく図面や頭の記憶内の配置のイメージが完成予想通りの形で再現されるので重宝された。

番号を記してあった針金荷札が剥がされて新しく交換する部品が戻って来たり、意思の疎通が行われない現場の仕事で、他人を超越した記憶力は、油圧部品のパイプ等の組み立て時に、大いに役立った。

僕は、たまたまこれらの仕事に就く事ができ、多くの事を学び仕事を趣味のように楽しみながら、時には困難なことも好きな作業の問題を解決するイメージだったので苦にならなかった。

文法ではなく物の形が存在し、その形の中で起きる機械的なトラブルというのは、扱う物により変わるけど、流体だったり気体だったり、圧力と圧縮率の問題や色々な問題に思考を巡らせ解決してきた。

解決方法やそもそもの原因を追究するという探求心が、新しい物の開発に役立つようになる。

僕は、世の中のコンサルタントの半数以上の人達は、適当な人が多い事を知ってる。

だって、自分で経験してない事が分かる訳が無いからです。

実際に、研究室などの実験などで、どのスケールでどのようなトラブルが起きてるかなど見ても製品の改善には繋がらない。

経営方針や無駄は切るというバカな考えを押し通して、面倒な作業を中国に丸投げという形態が増えれば、当然だが、日本の産業技術が低下するのも目に見えて理解できる。

汚れる事を嫌う輩が増え、通わなくても良いオフィスに通い、年中仕事をしてるフリをしながら偉そうに嘯いてる阿呆が居るけど、営業で外回りをして交渉するというスタイル以外は、テレワークでアホみたいな会議をやって、下らなさ過ぎるコミュニケーションを取るよりも、もっと効率よく物事を捗らせる方法があるだろう。

世の中の70%以上の者達は、企業に不要な人材だと言える。

そうした人達が、現場で働く中国人や外国人の作業を代替すれば、日本の経済も少しは、ゆとりが生まれるだろう。

価値のある人なんて本当に居るかどうか定かではないけど、プログラマーをやっていた会社の同僚が、建築や造船、メッキ技術から最新の機械に至るまで、何にでも対応できる僕の能力を見て、何でこの仕事をしてるんですか?と訊ねてきた事がある。

僕は、お金が欲しい訳でもないので、収入とかに不平や不満は持たない。

世の中を見てどういう風に移り変わり行くのか、その裏で世の中を支えてるシステムの全てを理解する事が、僕の探求心なんだと教えたら、やっぱり天才は考える事が他人とは違うんですね。

見てる部分や視点の違いなど、その他大勢と僕との違いに、色々と言及していた。

本当のギフテッドをはじめて見たという驚きが、驚愕だったらしい。

ギフテッドにも色々あるし、僕はたまたま色々な事に挑戦できて、それを実践して楽しみ、また苦労して解決する喜びも得られた。

「苦労は買ってでもしろ」というのは、ギフテッドに与えられた楽しみなのだと理解できる。

つまり、「苦労は買ってでもしろ」と言える人は、その人が挑戦型のギフテッドだったから言える事なんだよね。

僕は、短命で終える僕らの知能の在り方を多くの人が認め、その人達が変人として扱われない環境を作る為には、幼少期の学習の部分から変えて行くことが必要だと感じている。

僕の時代は、底辺の職業は幾らでも就けたし、その職業でも高額の給与を得られた。

今の人達の多くは、作業着が汚れる仕事を嫌う。

お金を儲けた事が、成功者だと勘違いしてる人も多い。

実は、ギフテッドの多くは、世の中を支配してる僕らの思想や仕組みの方が、本当の成功なのだと考えている。

僕らの作った物や考えた物がなければ、世の中は機能しないという考えの方が、お金のような数字的な価値では計り得ない。

本当の天才は、お金よりも理屈では計り得ないものを好む。

年間、約5,000人以上の「2E」ギフテッドの子ども達が、ASD(発達障害)として扱われている。

その子ども達を世の中で活かす試みを考える時代の転換期にあるのだと思います。

本当の天才たちは、凡人達の考える数値や勉強などの基準では見付ける事は出来ません。

肌で触れ合って、実際に接して他人と変わった感性を持つASDの中に含まれる「2E」の子ども達を見出すのは、これから変わりつつある世の中から拾い上げ育てて行くのが、大人の役割だと思う。

ギフテッド達には、ギフテッドが理解できる。

自分をアスペルガー症候群だと勘違いしながらも事業を成功させ、金融システムや医療システムの開発を行なっている人達が居たりする。

「2E」の人達は、今後の世の中を変えて行くカギになるかも知れない。

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