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舞台『組曲虐殺』(2019)を観劇して《1》

この文章は、『組曲虐殺』のキャスト・神野三鈴さんのファンが、『組曲虐殺』(2019)の開幕前、公演中、閉幕後に感じていたこと、考えていたことを忘れないために記録しておくものです。

ほぼ自分用ですが、観劇された方とまたこの作品についての想いを共有できれば幸いです。

※全3回


舞台『組曲虐殺』(2019)

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《1》開幕までのこと

《1−1》決意

わたしにとって『組曲虐殺』は、都市伝説的な存在でした。

2010年初演、2012年に同キャストで再演。
神野さんは、再演時に第47回紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞。

わたしが神野さんに出会ったのは、2014年上演の『カッコーの巣の上で』からなので、初演も再演も観ていません。

神野さんのインタビュー記事の中で最も好きな、大人のおしゃれ手帖「大人の転機図」(2016年3月号)にも、井上ひさしさんや『組曲虐殺』が、神野さんに大きな影響を与えたことが書かれていたため、なんだかすごい作品に出演されてたんだなぁ…いつか、きちんと履修しなきゃいけないなぁ…と、思ってはいました(が、行動には移せなかった…)。

2018年12月1日、舞台『豊饒の海』東京公演千穐楽の日。
「井上ひさしメモリアル10」として、『組曲虐殺』の再々演が発表され、その中に、神野さんのお名前を発見。
都市伝説じゃなかった!と動揺したのが最初、その次には、「2019年はこの作品のために生きよう」と決意していました。


すぐにポチった初演DVD、初めて観たときの衝撃は忘れられません。

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素晴らしい作品に出会えた喜びと感謝
生で観られることへの期待
こんな大作を受け止められるだろうかという不安…

何より、この作品を知らずに神野さんファンを名乗っていたことを猛省しました。

初演、再演を観ていないという事実はもう決して変わらないし、再々演に通うことで、この気持ちが完全に吹っ切れないことも受け止めつつ、神野さんのファンとして、わたしなりに、この作品と共に歩もうと、強く強く心に決めました。


《1−2》いつもニコニコ

DVD、CD、戯曲以外で、予習のために触れた資料を2つ記録しておきます。

①「いのちの記憶-小林多喜二・二十九年の人生-」(北海道放送・2008年)

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タイトルの通り、多喜二さんの生涯を追ったドキュメンタリー。
さすが、多喜二さんの故郷・北海道のテレビ局が制作しただけあって、多喜二さんが生きた当時の小樽市の写真や映像がたくさん!
また、小説『母』(三浦綾子著)は、多喜二さんの母・セキさんを女優さんが演じながら紹介されていて…とても泣けます…

小樽商科大学の倉田稔先生のインタビューで、「多喜二はいつもニコニコ笑顔あふれる青年だった」というお話がとても印象深くて。
写真で見る<小林多喜二>は、表情が固く近寄りがたい雰囲気さえあるし(当時は写真慣れしてないから、表情が強張るのは当然なのかもしれないけれど)、小説や言葉からは、やわらかい人柄は想像しにくい。
このドキュメンタリーを観たことで、『組曲虐殺』の明るい場面や、多喜二さんが”優しい人”と言われることがやっと納得できたし、そんな優しい多喜二さんが、どうしてあんな最期に…という、身近な人たちの悲痛な思いも想像できました。


《1−3》ふじ子さんを知りたい


②澤地久枝『完本・昭和史のおんな』(文藝春秋・2003年)

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神野さん演じる、多喜二さんの妻・伊藤ふじ子さんのことが載っていると知り、触れた資料。
ふじ子さんは生前、多喜二さんと過ごした日々についてはほとんど語らなかったようなので、恐らくこの本ほど、詳しい資料は他に無いのではないでしょうか。

ふじ子さんの生まれ育ち、上京してから多喜二さんに会うまで、多喜二さんとの日々、遺体との面会…
実は前述のDVDよりも先にこの本を読んでいたのですが、『組曲虐殺』とのある大きな違いを知ってとても驚き、より『組曲虐殺』が、愛おしくて愛おしくてたまらなくなりました。

それは、実際の伊藤ふじ子さんは、田口タキさんや佐藤チマさん(『組曲虐殺』での瀧ちゃん、チマ姉さん)と、劇中のような関係性ではなかった、ということ。

初演DVDを観て、3人の関係性が微笑ましく大好きで、ある種の羨ましさも感じていたわたしには、なかなかショックな事実でした。

当時22歳だったふじ子さんが多喜二さんと暮らした期間は、約9ヶ月。
どんな想いで、どんな覚悟で、多喜二さんと共に生き、最期の姿を見つめたのか…生前、その当時のことをほとんど語らなかったというその気持ち、なんとなくわかるような気がします。

神野さんが演じるからという理由が出発点でしたが、すっかりふじ子さんに夢中な自分がいました。
それには、もっと深い理由があるのですが、それはわたしだけが得する話なので、余談として、ご興味ある方のみどうぞ。


《1−X》ふじ子さんとのご縁

前述の通り、ここからは、本当に、わたしだけが嬉しいなえへへっていう話しか出てきませんので、あしからず。

伊藤ふじ子さんを、もっと知りたいと願ったわたし。
キーワードは、劇中にもセリフで出てくる【山梨】

ふじ子さんは、山梨県北巨摩郡清哲村(現在の韮崎市)のご出身で、画家を志して17歳で上京するまで山梨で過ごします。

何を隠そう、わたしも同じく山梨の出身でして。
この時点で結構嬉しかったのですが、卒業した学校を知って更に驚き。

ふじ子さんは、1928年3月に山梨県立甲府高等女学校をご卒業。
現在の山梨県立甲府西高等学校にあたるのですが、なんとわたし…甲府西高の卒業生なんです。

伊藤ふじ子さんは、高校の大大大先輩…!

さらに言えば、母方の祖父は甲府高女の教員をしていたし、祖母も甲府高女の卒業生です(残念ながらふたりとも、ふじ子さんが居た時期とは重なっていませんが…)。

もう、伊藤ふじ子さん…いやもうこの際だからふじ子先輩とお呼びしますが、これはもう、ふじ子先輩のファンにならざるを得なかったです。
そんなご縁のある方を、大好きな大好きな神野さんが演じてくださる…身も心も(財布も)捧げるしかないと、決意を新たにしました。
(そうそう、山本刑事役の土屋佑壱さんも山梨のご出身だとか。うれしっ)


《1−XX》多喜二さんとのご縁

…ごめんなさい、まだあります。

ふじ子さんほどではないですが、多喜二さんとのご縁もあって嬉しかったので記録させてください。

もう先に言いますが、今度は、父方のお話です。

多喜二さんと言えば、やはり小樽市の印象が強かったのですが、前述のドキュメンタリーを見て、生まれは現在の秋田県大館市と知りました。
『組曲虐殺』の第一幕の古橋刑事の台詞では、「秋田の片田舎」という表現がなされています。

もうおわかりですね…父は大館の出身、わたしもこれまで何度も遊びに行った、大好きな街なのです。
山梨と秋田が揃うか〜!と、嬉しいというか…ちょっとゾクゾクしました。

そして、ドキュメンタリーのラスト、男性ボーカルのバラードがしっとりと流れます。
ん?なんか聴いたことある声だな…と思いながらスタッフクレジットを見てびっくり。

歌っていたのは、伯父でした…!

伯父は原荘介というギタリストで、小樽商科大学の卒業生、大館出身。
多喜二さんとの共通点で、お話を頂いたのでしょう(今度聞いてみよう)。

ひとつひとつは些細なものですが、こうして重なると、やっぱり思うところはあるもの。

開幕前に、ここまで考えや想いを折り重ねた経験は初めてでした。
初日の幕が上がるのが、本当に本当に、待ち遠しかったです。


それでは今回はこのあたりで。

次回は、公演中に考えたこと、気づきなどをまとめます。

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