彫刻等

仏像を彫る

パリの街を初めて歩いたのは、30代も後半に入った頃だった。

2001年3月24日。

僕はサン・ドニ・スタジアムにいた。サッカー日本代表対フランス代表の試合をフランスサポーター側のスタンドで観戦していた。

ジダンはフィールド上の芸術家だった。カンテラ、デサイーはジダンのためにキャンバスを用意し、アンリ、プティを絵筆のように使って、ゴールという作品を完成させていた。

森岡が、名波が、明神が、西澤が、全くサッカーをさせてもらえなかった。0対5という屈辱的なスコア。打ちのめされた。

画像2

じつはその頃、僕は別の敗北していた。

パリの街の美しさに、通りの華やかさに、人々の活気に、溢れるほどの文化の香りに叩きのめされていた。

今まで感じたことのない感覚に抗うように、ひたすら街を歩きまわった。マレ地区の喧騒に翻弄されながら足を踏み入れた、ピカソ美術館。

それまで、絵画には全く興味がなかった自分だった。動かない絵を見ていて、何が楽しいのだろうか。平べったい紙と向かい合って、何を学べるというのか。

しかし、ピカソが描いた馬の形をしていない馬は、荒々しく動いていた。ガラスの貼っていない額の中に残っている彼の筆致には、何十冊の書物にも匹敵するほどの知恵と情熱が存在していた。

それからというもの、パリの街歩きは、美術館巡りに変わった。特に小さな美術館を選び、心に響いた作品と一つ一つ時間をかけて対話をした。西洋美術の知識がなかった自分ではあったけれども、数をこなすと見えてくること、感じられるものがあった。

「君は何を作りたいのか。」

結局、パリの街が教えてくれたのは、この一言だったのだ。僕は見る立場から、作る人間になりたくなった。

  *   *   *

仏像を見るのが好きだった。ただ、作る側になれるなんて想像すらしていなかった。それは違う世界の人がすること、としか考えていなかった。

世界は、作る側と見る側には別れてはいない。パリの街と美術館が教えてくれた。

A4ファイルのコピー2

帰国後、僕は近所のカルチャーセンターで開講していた、仏像彫刻教室に通い始めた。彫刻刀が僕の新しい指になった。

   *   *   *

あれから10数年。彫りたい、彫ろう。いつも思っていた。木々に囲まれた古民家を手に入れたのも、いつの日か大きな仏像(できれば等身大)を無心に彫ってみたいと考えていたからだ。

ロードバイク、楽器(ドラム、トランペット、ピアノ)、農業、学びのサロンと興味の矛先がどんどん広がってしまい、木肌に触ることもなくなっていた。

一夜の不思議な出会いが、「仏像を彫る」ことに目を向けてくれた。

もう一度、彫刻刀を研いでみる。

もう一度、noteで言葉を紡いでみる。

言葉を、仏像を、人生を、自分の手でしっかりと彫り込んでいこう。









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