(余談)カンボジアについて1

最初に
ここで書かれていることは自分がカンボジアに7年間住んで、スラムの最貧民層から裕福層まで幅広く付き合った経験を基にしてます。文化が違うということを言いたいのが趣旨なので、カンボジアに住む人たちをバカにする意図はありません。

--

まずは、カンボジアの民話を読んでほしい。
「アー・コホック・シー (嘘つきの子供)」
http://www.geocities.jp/sabaikumae/folktale/japanese/01_06.html
「女の甘える技」
http://www.geocities.jp/sabaikumae/folktale/japanese/01_06.html

日本人なら上記2編を読んでなんてひどい話だ!と思うことだろう。しかし、これがカンボジアの人たちが考えるいい話なのだ。

嘘吐こうがなんだろうが騙されるほうが悪く、(彼らの考える)賢い生き方をすればいいのだ。

もちろん、これがそのまま現代に息づいているわけではないが、根底にこういう考え方があるのは間違いないだろう。

そしてもうひとつ、仏教において裕福な人が貧乏な人に施しを与えるのは善行であり、当たり前のことだという考えが合わさってしまっている。

つまり、裕福な外国人から施しをもらうのは当たり前なので、そこに感謝の気持ちはないのだ。

ある友人が、音楽を習う学生たちのために、頑張って日本で中古の楽器をたくさん集めて、学生たちにプレゼントしたことがある。
その時の学生たちの反応は「なんで新品じゃないの?」というものだったらしい。

その時の友人の心情は如何許りかと思うが、これが素直なカンボジア人の反応だ。

「そんなことはない!自分があげた時にはみんな喜んで感謝してくれた」という人も多いだろう。しかし、それは「世を渡っていくための上っ面」にしかすぎない。なぜなら、彼らは賢いから。
嘘ついてでも外国人から物をもらうのは、むしろ賞賛される行為なのだ。
前述のは、子供だからつい本音が出てしまったのだろう。

オレが教えている学校でも興味深いことがあった。
以前、学生には初月無料と鉛筆と練り消しをプレゼントするキャンペーンをやっていたことがある。
しかし、何人かはすぐに来なくなってしまった。しばらくして、もう一度習いたいと言ってきて子がいた。彼は「新しく学びなおすんだから、初月無料で鉛筆なんかもくれるんだろ?」と言ってきた。
もちろん、丁重に送り返した。
それまではカンボジアの人たちのことがよくわからなかったが、これが彼らに対する考えを改めた時だった。

そして、これは外国人に対してだけでなく、カンボジア人同士でも同じなのだ。みんな建前だけ、上っ面だけで付き合っているので、お互いの心は読めていない。読めないから、お互いにニコニコ適当にやっているのだ。

たとえ怒っても、相手がなんで怒っているのかわからない。わかろうともしない。

以前、カンボジア人が店長をやっている店で、ある田舎から出てきたばかりのスタッフが鍵を閉め忘れたことがあった。そして店長がそれを指摘したら、怒ってそのまま実家に帰ってしまったことがあった。カンボジア人同士でもこれである。

カンボジア人は100%自分が悪い時はガチギレする

お互いに嘘を付き合って、適当になぁなぁで済まそうとするのが、カンボジア人の考える賢い生き方なのだ。

都市部を中心に外国人が多いところでは変わってきてはいるけど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?