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信じる・信じない

私はある時から
人を信じる事が怖くなった。

原因は様々だ。

異性の中では一番信用してた幼馴染によるレイプ、精神を病んでいて長期休業中だった時に、同時期に複数人に距離を置かれた。
などなど。

それらがあってからは信じすぎないようにしてきた。

もう必要以上に傷付きたくなかったからだ。

いくら仲が良くても100%は信じた事はない。

そのせいか、
常に疑うようになってしまった。

「その優しさは本心から来るものなのか?」
「やっつけ仕事感みたいに、" こうしとけば良いんでしょ? " ってやってる優しさなのか」
「その行動をするって事は好きじゃないのかな?」
「"大切" とか言ってくれたけど本心かな」
「"大切" って言うわりには行動が伴ってないから嘘なのかな?」

などなど、常に疑っていた。
それらも全て

必要以上に傷付きたく無かったからだ。

本当に自分の事を好いてくれている相手に
失礼なのは分かっているし、
相手の優しさにいつも感謝の気持ちはある。
しかし、やっぱり信じる事が怖かった。

良い事があってもポジティブに捉えすぎないようにしてきた理由にはきっと、

・そのポジティブな事がいつまで続くか分からない

・その幸せな関係(恋人や友人など)がいつまで続くか分からない(今日の味方は明日は敵かもしれないから)

これらがあると思う。自分の中に。

そして、
自分が人をなかなか信じれない理由のもう1つが、

自分に自信がないから

だと思う。根本には

ある日突然、関係性は崩れる。
相手により崩される場合と、
自分が崩してしまう場合と。
自分が自分を好きじゃないから、
何でこんな自分を好きになってくれるのか。
嬉しいのに逆に申し訳なくなる。

これらがある気がする。
その為、余計に疑ってしまう。

自分を信じれないから
人のことも信じれない

そう。よく耳にする言葉だ。
最初はこの言葉好きになれなかったし、
実際今もあまり好きじゃない(笑)

今まで、

自分を信じるって何?

って思ってた。
でも、「自分を信じれない」に「気持ち」を付け足してみると…

自分の "気持ち" を信じれない

になる。
これを付け足してちょっと分かった気がした。

「自分は本当にこの人のこと好きなのかな?」
「この人の事、本当に大切にしたいのかな?」

と。信じれなかったのだ。
「気持ち」じゃなくても、
「行動」で当てはめても良いと思う。

自分の "行動" を信じれない

これでも分かりやすいかな。
そう。「嫌われたくない」という気持ちから、
自分の行動1つ1つに対して
「この行動したら嫌われるんじゃないか」
「この行動したらまた傷つけるんじゃないか」

と。怖かった。

しかし、同時に

本当に信じても良い相手が居た場合、
その相手を信じれないのは
寂しくないのか?

とも思ってもいた。
そういう相手をまだ見分けられる力は
私にはまだ身に付いていない。

しかし、

私の為に怒ってくれる
何かあった時にはLINEしたり
電話を掛けてきてくれて色々話せる。
気晴らしにご飯に連れてってくれたり
一緒に遠くへ遊びに行ってくれる
自分の事のように悩んでくれて、
自分の事のように泣いて喜んでくれる

そんな友達が私には1人いる。
その子が、
1度は距離を置かれたけど和解して仲の良い友達
である。

色々あったからこそ、
理解できる部分もある。

この子なら信じても良いのかな

って思うようになった、今日この頃(笑)
この子が本当の親友なのかなって(笑)

ある方が言っていた、

信じたいから信じる
信じたいなら信じれば良いし、
信じられないのなら信じない。

本当にこれだなって思う。極論はね(笑)
まだ私にはそこまでハッキリ分けられる
メンタルは持ち合わせていない(笑)

信じられない相手でも、
信じようと努力してる自分が少なからずいる。

その自己犠牲もほどほどにして
楽になっていきたい。

信じたいなら信じれば良いし、
信じられないのなら信じない。

簡単な答え。されど難しい事だ。
この思考を自分自身に定着させ、
行動に移せるようになりたいなと思っている。

この苦しみからも色々学べた。
そう思えたのは少し成長したのかもしれない(笑)

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