見出し画像

悔しさは質の良いガソリン


先日ある文章を読んで、すごすぎて身体が震えるほど悔しくなった。前回の3行日記にも少し書いたが、どうやら私はとてつもなく素晴らしい文章を体験すると、すごい!と思うより先に悔しくなるらしい。うーん、我ながらすごく生意気。↓前半3日目くらいまで無料で読めるのでぜひ。


そして、私が悔しさをむきだしにした例の記事がコチラ↓なにを隠そう、私はさえりさんの大ファンなのである。大好きと悔しいが入り乱れたカオスな気持ちのまま読み進め、読了後はもしハンカチをくわえていたら引き千切っていたかもしれないほど歯を食いしばってた。好きだーっ!!


悔しい、すごすぎる、どうしてこんな文章が書けるんだ、私も書きたい、思うように書けない、悔しい、悔しい…こんなに悔しくなったのは、中学生の時に大好きだったバンドのMVがかっこよすぎて、何故かめちゃくちゃへこんだあのとき以来だ。ほんとになんで?とにかく、どうにかしなきゃ!と頭が沸騰しているように熱くなり、手足もむずむずしてじっとしていられなくなる。私も衝撃的な文章を書きたい、なにか書こうとノートを開いてペンを持つ。書けない、浮かばない。やっとのことで捻り出したのは変わり映えしない、いつもの私の文章だ。不貞腐れて横にう〇こも書いてやった。クソ、う〇んこだけに。

というか今はまだ、上手下手とかそれ以前の話だ。気持ちだけはいっちょまえに生意気だが、自分の得意さえ分かっていない。そんなちんちくりんに、憧れの人と並べるものが書けるはずはない。分かってる。でも、だから、ここにつけるべき接続詞にはどっちが相応しいのか、それすら自信をもって書けない、悔しい。がむしゃらにやってみても、思うようにならない現実を文字通り目の前に突きつけられる。苦しい。

こんな気持ち


そもそも、なにをそんなに躍起になる必要があるのか。書くことが好きで、表現することが好きで、だったら純粋にただ自分が楽しいことをやればそれでいいはず。なんだけれど、自分以外の誰かの目に触れる場所で書くのを選んで、文章で生活していけるようになりたいと始めたからには「この記事と出会えてよかった」そう思ってもらいたい、必ず。山のように毎日更新され、積まれていく記事の中から私のページに目を留めてくれて、開いてくれて、しかも読んでもらえる。そんな有難いことに対して私ができるのは、もっといい文章を書き続けることだけだ。

私の書く文章には専門性や学びってほとんどないし、くだらない、とりとめのない話ばかりしている。でもその中にいいなと思ってもらえるフレーズだとか、仕事から疲れて帰って読んだら本当にしょうもなくてなんか元気でたとか…。要するに、私はこの記事で人間としてもライターとしても、成長し続けたい!ということが言いたかっただけなのだけど、こんなに話が寄り道してしまった。

すんません


私の成長チャンスはいつだって〝悔しい〟という気持ちと一緒にあった。というか、この悔しさとか、今に見てろよ、みたいな〝負けず嫌い〟な気持ちが続けていくためのガソリンなんだと思う。もっと気楽に楽しんでやれる方法もあるのかもしれないが、小心者のくせにすぐ調子にのって怠けてしまう私は、これしか自分が成長できる方法を知らない。

納得できるものが書ける日は来るのか。それは死ぬまでにどうにか達成できるのか。イメージもままならないそれに向き合い続けられるのか。私の性格上、そんな不安と悔しさはたぶんずっとついて回る。それでも、画面の向こう側の顔も名前も知らない誰かがくれたリアクションや言葉にとてつもなく助けられて、自信をもらっている。なにより、楽しくて好きで始めたことって、どれだけ手放そうとしても結局また掴んでしまうものだ。

悔しいという気持ちを大切にしなさい、そう昔教わった。いつ誰に言われたかも覚えていないけれど、この言葉は私のお守りのひとつになっている。私の文章も、誰かにとってそういうお守りみたいな存在になれる日がきたら嬉しい。

この記事が参加している募集

仕事について話そう

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

サポートしていただけると、切れ痔に負けず文字書きがんばれます。