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めちゃくちゃ嫌だけど、自分の病気の話でもしようかと思って。

自分の一番嫌いなところ。見たくないところ。多分みなさんにもそんなものがあると思いますが...え?ない?それは羨ましい。そして素敵。拍手送っちゃいます。ある人はお仲間。握手しよう。

嫌いなところ、見たくないところ、私にはある。あるよ。あるんだけどさ。でもこれ、そのまま抱えてるのしんどくない?もういい加減嫌にならない?
私はできたら平気になりたい。楽になりたい。で、ちょっとずつあがいてた。さらに、ここ数週間は心の中の整理をちゃんとしてみようかなぁと思って、頑張ってみてた。

何をしてたの?
それは、ひらすら書く。書く。書く。

嫌なこと自体やそれにまつわるあれやこれを書いて書いて書きまくって整理してまた書いて。そして一旦引いて冷静になってまた読み返して、泣いて感情出して時間をおいて冷静になったらまた書いて読み返して繰り返し繰り返し繰り返し。
で、泣いたりしてスッキリしたら書いたところを削る!スッキリしないものは残す。削ると、これは大したことじゃなかったんだっていう視覚的な認識にもつながる。心に溜まってた膿が取れていく感じがする。

この時の自分的ポイントは、これをしているのは「自分の心を軽くするためなんだよ」っていうことを忘れないこと。泣くのも自分のため。どん底に一回落ちてもいいと思う。でも、自分を救うためってことを忘れない。苦しみや悲しみに浸らない。それを心地いいと長時間思っちゃうとなかなか先に進めなくなっちゃうから。そこをしっかり持っておく。でも、これは今の私だからできることで、昔の私にはできなかった。

だからこれ読んで、もし「そんなのできないよー!」って思うなら、その時じゃないから無理すんな。辛いならこんなの読むな。見ないようにすることだって大事。向き合う準備ができてないなら、ちゃんと辛いってしたらいい。自分の心が苦しいって言ってるんだから、ちゃんと苦しいよって声に出したらいい。いっぱい泣いて、いっぱい休んで、いっぱい自分を大事にしたらいい。何が自分にとっていいかなんて、その人による。その人の受け入れられられるタイミングによる。そんなものって結構多いと思う。

で、そうやって私が書いて書いて書きまくった結果、見えてきたことがあったり、気持ちが軽くなった気がした。だから、それが出来たから、ちょっと夫に言われたことも後押しになって、私の嫌なこと = 病気の話を人に(しかも記事に)しようかと...(怖)。
ちなみに、本当に私は人に病気の話をするのが、吐きそうになるくらいもの凄〜く嫌いだ。軽くなら言えるようになったけど、きちんと説明するってかなりしんどい。でも、一度がっつり外に出したら何かがもっといい感じに変われる気がしてしまったんだよね。あぁ、なんてこと思ってくれたんだ自分。そんな風に嘆きつつも、うまくいくかはしらないけど、あとは野となれ山となれ〜。(多分この記事結構長いよ)


気管支喘息について

私は " 人生 ー 2年 = 病気 " してる。その病気というのは気管支喘息。

一口に気管支喘息といっても人によって症状や原因は色々。私だって体調はころころ変わるし、様々な影響によって刻々と変化する(例えば一時間前は元気だったのに急に大変みたいな感じ)。同じ喘息患者でも、彼女には大丈夫なものが、私にはダメ、みたいなのがよくある。

だから、この記事を読んでも、これが絶対なんて思わないように気をつけてほしい。ここに書かれているのは、あくまで私の症状で、私の原因。あと、子供の頃の喘息は「気管支喘息」ではなく「小児喘息」と言うのだけど、面倒なのでここでは全て「気管支喘息」とさせてもらう。一応治療方法が異なるとか差はあるらしいのだけど正直よく分からん。あくまで喘息持ちの素人の話として読んで欲しい。


気管支喘息は、主にアレルギー性の炎症によって気管支が狭くなる病気。
ほこり、ダニの死骸、花粉、食べ物、煙、匂い、運動、疲れ、天候の変化、自分にとって刺激になるものならすべてが原因になりえる。
そして苦しくなる。発作が起きる。ゼーゼーヒーヒー音がしたり、しなくてもとにかく苦しかったり。

例えば匂い。
最近の私の一番の天敵は(多分)柔軟剤の香りだと思ってるので、それを吸い込んだとしよう。

喘息患者は症状がないときも常に気道が炎症してる。
はじめから粘膜がむくんでるので、普通の人より気道がそもそも狭い。

匂いは物質。
そして、その匂いの物質が気道に入り込むと、刺激になる。これが問題。

途端に気道は収縮する。細くなった気道には、さらに痰などの分泌物が出てくる。そのため空気はその間をぬって入ってくることしか出来ない。つまり、まともに呼吸ができなくなる。

こういう仕組み。認識は間違ってないと思う(違ってたらごめん)。

ちょっと玄関の扉を開けたそこに柔軟剤の匂いがあるとする。宅急便がきた。受け取ろうとおもってドアを開けた瞬間。そのほんの一瞬で吸い込んでしまった刺激によって喉がしまる。そして苦しくて半日使い物にならなくなる。そんな感じ。ちなみに、外出時のマスクはもちろん必須っす。

その他にも。
百合の花が飾ってある部屋にいたら苦しくなるとか、線香の煙を吸い込んじゃって苦しくなるとか、バナナ食べて苦しくなるとか(これは食物アレルギー由来の発作)。こんなんでならなくていいよ〜って思うんだけど、悲しいかな、苦しくなってしまう。

もちろん、最近はありがたいことに色々な薬があって、私は365日毎日吸入をし、365日毎日飲み薬を飲み続ける生活を送っている。

吸入っていうのは、吸入器という器具で薬剤を経口吸入すること。私は予防するものと、実際に気管支を拡げて呼吸をしやすくするもの、この2種類を現在は朝と晩に行う。飲み薬は喘息の薬だけで6種類。こっちは朝昼晩。

これらの継続的な治療のおかげで、自分が思うやばい発作とかになるようなことはなくなった。昔はチアノーゼとかおこしてたらしいし。まぁ発作起きればそりゃ苦しいけどね。

継続治療をしてないと、夜寝てる最中突然発作が出て苦しくて目が覚める、そもそも苦しくて眠れない、朝起きると発作が出てる、なんて症状が日常的に出てくる。そして当然、窒息死の確率も高くなると思う。


つい最近の発作の話

でもまぁ、こんなふうに頑張って継続治療をしてても、なんらかの原因で喘息は悪化したりするのだ。しちゃったのだ。ちょうど、今年の後半の話。

呼吸がまともにできなくなった。それとともに、声が出せなくなった。

きっかけは、匂いだったと思う。疲れもあったのかもしれない。
匂いを吸い込んで、喉の炎症がひどくなった。病院へいって、それが原因っぽいなぁ、と言われた。その後、さらに悪化した。

ずっと苦しさが付きまとう。とにかく何をしてても苦しい。毎日毎日苦しい。じっとしていても苦しい。横になると余計に苦しくなるので、横になれない。そうすると疲れが取れない。ろくに眠れなくなる。だから身体を起こして寝ると、身体中が凝る。身体が凝りで痛くて辛くて耐えられなくて横になると苦しくて眠れない。そんな繰り返し。

ただでさえ多かった薬が増える。増えたんだからすぐに効果が出てきてほしいのに、相変わらず呼吸は苦しく、声は出せない。
夫が側に居てくれれば、安心感でなんとか笑っていられるのだけど、一人になると不安だけが襲いかかってくる。このままだったらどうしよう、どうしよう、どうしよう。

苦しい日々が長引けば長引くほど、心はどんどんえぐられてって。そうしていると、ふとした瞬間涙がこぼれ落ちてきて止まらなってくる。
体調の悪さって、本当に心を道連れにするよね。

声がまともに出ないのも不安を余計に加速させる。電話がかかってきても対応できない。電話越しの母を心配させるし、宅急便の配達員の人とのほんの少しの応対だけで、喉が悲鳴をあげそうになる。

日々の苦しさと睡眠不足と疲労と心労とで、もう限界だった。

これを飲んで数日寝たら治るみたいな、点滴したらけろっと治るみたいな、そんなだったら良かったのだけど、徐々に、徐々に、徐々に...。医者に相談しながら、点滴を打ってもらったり、薬を変えてもらったりしながら。「もうちょっと頑張って」「これがダメでもまだ治療方法はあるからね」そんな風に医者になだめられながら。「先生、もう心が折れそうだよ」って泣きつきながら。ようやく、ここまで回復した。ほんと疲れた。ここまでくるのにどのくらいかかったんだろう。

まだ声が出なくなったり、吸入薬に頼らないといけない日もあるけど、普通に呼吸ができることの、なんと素晴らしいことか(涙)。
でも残念ながら、いつまた苦しさが戻るかは分からない。特に気管支喘息はあくまでコントロールするもので、完治するのが難しい病気。特に私はすでに医師に治らないと断言されてしまったので、完治して健康になるなんてことは、おそらく一生ないのだろう。

なのでせめて、母が助けを必要とするとき即会いに行けるくらいまで回復しよう、というのが今の目標。うちは母も病弱なのだよ〜なんてこったい w
あとお茶しようねっていってる友達に会いたい。超会いたい。もうちょっと待っててね。なんなら会いにきてくれたら喜ぶぞ(笑)。その代わり、ほっとんど会話らしい会話を身内以外としてないので、最高に会話下手になってると思う。私のリハビリもかねて付き合ってくれ。


病気の話をするのが、めちゃくちゃ嫌になった理由

まぁそんな感じで喘息ってとりあえずえらく苦しいんだけど、その苦しさって人に伝わりにくいみたい。昔はとても苦労した。

病気のつらさって、2種類あると思うんだ。
1つが、病気本来のつらさ。これが今まで話してきた話。
2つめが、病気を持っていることで発生するつらさ。

たまたまだったのか、義務教育時代の学校生活において、気管支喘息を含むアレルギー全般に対する、周囲からの理解がぜーんぜんなかった。むしろ病気をもっていることを非難される、そんな感じだった。

発作が起きるのは基本的に夜から朝。昼間は割と落ち着く時が多い。だから、学校に通っている間はわりと普通に見える。(といっても、この頃の自分の写真は明らかに病人で、肌は青白いし見た目怖いのだけどね)
それに昼に発作が起きるのは運動をした時が多く、特にマラソンなどは健康な人でも息があがる。私が発作を起こしたところで "大げさに苦しがっている" という目で見られた。

母から「体育の授業を休みなさいね」と言われるのだけど。母からもらった「授業を見学させてください」と書かれた紙を学校の先生に渡すと、それを受け取りながら先生は「あなたが苦しくても体育の授業に参加すれば、ズル休みをしようとしてる他のみんなが参加するから、やりなさい」と言う。
幼い私には物凄いショックだったよ。え?って。返す言葉を失った。先生からの言葉は、私にしてみれば「場合によっちゃ死ぬかもだけど、俺のために無理してよ」と、言われているようなものだった。

気管支喘息は中学の頃にさらに悪化して、学校に行けない日が多くなった。そんな中、担任からは「こんなに休む喘息の子見たことない」と嫌そうな顔で言われた。自分が知らないから、見たことがないから、だから私の症状は嘘では、私は嘘付きだと言いたかったらしい。
絶句した。身体がただでさえしんどい中、自分なりに一生懸命頑張って生きていたのだ。なにより病気は頑張ったって自分にはどうしようもない事。それを責められることが、とても残酷で、とても辛かった。

悲しかった。「本当に苦しいの?」「そんなに苦しいの?」「本当はできるのに嘘ついてるんじゃないの?」「やればできるんでしょ?」そんな風に言われ続けていると(もちろんそうじゃない人もいたとは思うのだけど)本当に自分が苦しいのか分からなくなっていった。そして自分自身が信じられなくなっていった。

私は、本当は嘘をついているのだろうか?
この苦しさは、私が作りだしたもので、偽りなんだろうか?

投げかけられた悲しい言葉が心に突き刺さって、長く抱えてしまったせいで複雑に絡み合って、解くのが難しくなって、病気であるということを否定されてしまったようで、自分を否定されたようで。

自分の症状を信じられなくなった。

それと同時に、病気を持っていることへの罪悪感が生まれてしまった。
病気を持っててごめんなさい。健康でなくてごめんなさい。なるべく迷惑をかけないように我慢して頑張るから許してください。

これは私が作り上げてしまった呪いみたいなもので、今でも完全にはほどけていない。だから私は、自分の病気を認めたくないし、話したくないし、見たくないし、なにより怖い。昔と比べれば随分と良くなったけれど、子供の頃に植え付けてしまった呪いはなかなかに根深くて。
でも。いい加減にそんなもの捨てていきたい。ふっと襲ってくる恐怖感を跳ね返したい。頑張ってる自分自身を疑いたくない。
私はせめて、病気そのものとだけ、向き合いたい。


最後に

今、気管支喘息患者が増えてるらしい。
自分がとても苦労したから、そして今もしているから、一人でもそういう苦労をして欲しくない。苦労は買ってでもしろっていうけど、病気の苦労なんてしなくていい苦労だ。と、思う。

だから、アレルギーになっちゃった。喘息になっちゃった。誰かからそんな話を聞くと、胸が締め付けられて泣きそうになる。同じ思いをしないでほしい、そう心から思う。

どうか、今健康な人は喘息にならないようにして。異常を感じたらすぐに病院に行ってほしい。放置しないで。ちゃんと治して。
随分少なくなったけど、気管支喘息で亡くなる人はゼロではない(※1)。もともとは死ぬ病気なんだって認識してほしい。

周りに喘息患者がいる人たち、助けを求められたら、どうかお願いだからその人を助けてあげてほしい。そして無理強いをしないで欲しい。病気を持っているというだけで、もうすでに十分頑張ってる。

今子供を育ててる人たち。お母さん、お父さん、その周りの人たち。
私は2歳で風邪から気管支喘息になっちゃって、そのままずっとなので。ほんと風邪には注意してあげてね。

もちろん子供を育てるってすごく大変だと思う。もしなったとしても、病気はあなたのせいじゃない。なったものは、嫌な言い方と思われるかもしれないけど、仕方ない。だから悪化しないように協力してあげて。苦しい時は側にいてあげて。あなたの手に触れてもらえるだけで、不安が和らぐから。

あとね、食物アレルギー。特に子供は違和感を言葉するすべがないと思うから、嫌い・苦手と言うものは、一応疑ってほしい。食べ物アレルギーは分かりやすい症状が出るものばかりじゃない。見た目でわかるものだけじゃない。アレルギー検査したって全てがわかるわけじゃないしさ。

大人の喘息は、緩和はすれどもなったら完治が難しい病気。子供の喘息でも私のように治らないっていう場合もある( ※2)。
できたらその前に防ぐ努力をしてほしい、と。自分が防げなかったから余計に思ってしまう。実際大変だからさ。やんなるからさ。正直日常がしんどくなるからさ。どうかどうか、みなさまが少しでも健康でありますよう。


これを公開したところで何が変わるかは分からないし変わらないかもしれないし。まぁでも嫌な事をできたというのは自分の勇気になる気がする。それにこれだけオープンにしたんだもん。これからはもう少し躊躇なく話せるようになるかもしれない。そして自分を責めることなく、病気とだけ向き合えるような未来を期待をしつつ。

最後に、心が折れそうな時でもいつも笑顔にしてくれる夫と、子供の頃から寄り添ってくれて今でも心配してくれる両親。そしてあたたかい言葉をくれる友達に。いつも支えてくれて本当にありがとう。


※1 : 年間喘息死は20年前は6,000例ほどあった( 厚生労働省 : 喘息死ゼロ作戦の実行に関する指針 )のが、2017年には1,794例( 厚生労働省 : 平成 29 年(2017) 人口動態統計(確定数)の概況 [PDF] )。
※2 : 小児喘息(小児気管支喘息)の場合、60〜70%の人が治る( 独立行政法人環境再生保全機構 ぜん息などの情報館  )。


最後まで読んでいただきありがとうございます。 暑くなってきたので冷たい飲み物が美味しいです。