複数のわらじを履くこと

自分のことは1番自分がよくわかっている、とはよく言うが、まだまだわからないことだらけである。

嫌々ながら自己分析をしていると、私にはずっと二本の軸があることがわかる。英語と演劇。多少踏み外すことはあっても、必ずこの二本に戻ってくる。高校時代は英語部と演劇部を兼ねていたし、大学選びは英語に絞ったとしても、入学前から学生劇団を観に行くほか(結局どこにも入っていないのだが)、今も大学では英語を、外では演劇祭や当日制作とある種棲み分けのようなことをしている。やりたいことをやればいいじゃない、選択肢が増えていいじゃないとずっと言われてきた、言い聞かせてきたのだが、最近になって軸がぶれてきた。あるいは一本になろうとしてきたとも言おうか。
一本になろうとしていることに気づいたのはごく最近。同世代ではおそらく最も遅く、3年の秋から研究室に所属して研究を進めるのだが、所属している研究室の自由度が高いことをここで述べておきたい。研究したいものを選んできてそれをとことん進めることが悪いとは思わないし、むしろそれはありがたいことのはずだ。ハリーポッターが好きでその翻訳研究をする、英語詞を和訳してその分析をする、など同じ研究室でも幅は大きく広がる。何の問題もない。しかしここで少し参照したのは、棲み分けできていたはずの英語と演劇が一つになり始めている、演劇が英語に交わりつつあるからだ。
「なんでもいい」と言われて私がとっさに検索窓に入力したのは、「日英 訳 戯曲」当然の結果である。

などと勢いで書いて、電車を降りる。いつもそうだ。話を仕切り直す。
今まで二足のわらじを履こうとしてきたのは、いつも逃げ場を確保しておきたかったからだ。英語に無理を感じたらそれを演劇のせいに、演劇に無理を感じたらそれを英語のせいに。一つのものに集中して取り組むことができなくて、それぞれに言い訳を作るための一番賢い方法だと信じてやまなかった。決して両立が目標ではない。両立していてすごい、そんなことはできない、忙しいから仕方がない、そういった賛辞と承認を要求しようとする心がどこかにあるということに、正直になろうと決めた、12月の初めから約2週間だ。
満足がいかないので一旦筆を、親指を置く。

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