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受験戦争で私のお面が割れた話。

私は自分の子どもを持たない。
昔は子どもそのものが苦手だったけど(自分が子どもだったし)甥や姪ができて初めて子どもというものが好きになった。時折彼らが自分の命以上に尊い存在なのかもしれないと感じ、震える事もあった。それでも自分で生命をこの世に誕生させることにはまるで興味が持てなかった。
40歳近くまで産め産めという周囲からの圧力があって、産めという言葉を発する方が(常識人ならば)気を遣う年齢になりようやくその圧力は去った。
思い起こしてもそうしたハラスメントもさほど気にならないくらいに、産まない選択に不安や迷いはなかった。例えば世の中には耳を動かしたりペンを手の甲で延々と回せる人がいるけれども、必ずしもそれをしたいとは思わないのと似ている。私には産む機能がついているがそれを使おうという発想には至らなかった。せっかく耳がついていてもそれを上下左右に手を使わずに単独で動かしてみたいという気持ちになれないのと同じように、全く意欲がわかなかった。それは出産への激しい拒否感ではなく、ただの静かな確信だったように思う。

この世界に子どもを生み出すことに興味のなかった私が、紆余曲折あって親と暮らせない子どもを週末や学校が長期休みになる期間だけ預かるボランティアを始める。
もうずいぶんと長く続けているので、うちにやってきた小さな未就学児も今年めでたく高校受験を迎えた。
私と夫は子どもの教育の主導権を握る施設の方針を遵守し、その教育の邪魔にならないよう細心の注意を払いながら、何年も子どもとの関係を育んできた。おそらくそれはうまく行っていて、本人がどのような学校へ行き、どのように暮らしたいか、夢や希望の変遷も本人が話してくれる。もし私にできることがあるのならば協力したいという気持ちも年々強固なものになっている。恋の悩みも聞くし、美容の相談にだってのる、目に入れても痛くない存在とはこのこと。そう、ちょうど孫に対する祖父母のように教育に責任のない立場だからこそ私は心穏やかなままでその子と接することができていたのだろう。

そんな好々爺である私の仮面に亀裂が入ったのが件の高校受験である。
受験のほんの数ヶ月前に恋人ができたという報告を受けた。現代の若者あるあるで急にSNSがほんわかムードになった。相手は同級生だというし、ふたりで仲良く受験を乗り越えようとするならば、勉学の意欲も倍になるだろうと私は考えていた。しかし、受験日の2ヶ月前になっても、私との会話に受験や勉強というワードが少しも入ってこない。何時間かけてこれを探したの?というマニアックな化粧品を見つけてきては買うべきかどうかで悩み続けているので、何度もこれは言わないぞと心に決めて、本人に思い切って言ってみる。
「あのさ、受験近いんだから勉強しなさい!」
想定通りそれから受験日まで連絡がなくなった。
さすがに受験の前日には緊張しているようなSNSがアップされるものの、試験が終わって2日目にはまたコスメについて話し始めた。

その頃には私は不安のかたまりになっていた。
施設の子ども達は義務教育後は基本的には高校に行くことと引き換えに施設にいる。学校に行くか、働くかの2択しかない、つまり受験に失敗すると未成年ながらも社会に放り出されてしまう可能性がかなり高いのである。
高校進学率がほぼ100%である日本で、中卒の人がいることは想像がしにくいだろう。しかしいるのだ。ここ数年の推移ではおおよそ3%くらいの人は高校に進学していない。現在の15歳の人口がだいたい110万人だとしてその3%は33,000人。この中に家族との関係がうまくいかず、子どもながらに親と離れて暮らしている子がいないわけがない。いや、むしろ仲良し家族よりは確実に多めにいるだろう。その子達がどういう環境でどんな大人になるのか、それがどんなに過酷で壮絶なものだとしてもニュースにもならないし新聞にも掲載されない。でも私はそれを知っている。
そんなわけで祈るような気持ちで合格発表の日を迎えた。

結果、めでたく合格していた。
ほっとしたのと同時に合格したという学校名を聞いて盛大にもやもやし出す。
(え…その学校、確か勉強しなくても行けるって君がたかをくくっていた学校だよね…?)
受験した学校のランクを落としていたのだ。
私の中で点と点が線になって行く。少し頑張れば行けると言っていた学校を受験するのは大きなリスクだったのかもしれない、高校浪人させるわけにいかないからと保守的な周囲の反対で本人の希望が通らなかったのかもしれない。私とは生活を一緒にしていないのだからその子が勉強をしている姿を見ていなくても当然の事だし。…しかし会話に勉強の話が出てこなくなったのはいつからだ?恋人ができてからだわ。恋人ができて以来、容姿を気にする会話ばっかりするようになっていた。いや、それはあまり深追いしてはいけない。大事なことはなんだ?ここで学校のランクを落とすということは、進学の可能性をおおいに狭めたことになるのだが、この子はそれを理解して了承したのだろうか?
君のあの夢も、この夢も、その通過点に大学があるのに。
流されやすい君が、大学進学者がほとんど出ない高校で、どの友と未来へ歩んでいくつもりなのだ…。

きっと私が考えていることなど、施設の職員さんたちが一番わかっていることだろう。きっと嫌われ疎まれることを覚悟で本人にも何度も伝えているはずである。教育に責任を負わない立場の私が、高校合格の報告をしてきた子どもに言えることなど、これしかないじゃないか、と「おめでとう!」としぼりだした。
このやきもきとした気持ちはなんだろう。
これを友人が見事に言語化してくれた。受験という学生共通の困難を、その子がハードルを下げて乗り越えた事にあなたはがっかりしたんですよね?と。まさしくその通りなのだった。
親切にもみんなが同時に頑張るお膳立てをされている受験で頑張らなくて(社会は抜け駆けに満ちている)、一体いつ頑張るのだね?と思っているのだ。
そして18歳になってこの子が施設を出ていく時に、私はこの子の未来を施設から託される。それには法的拘束力がないからこそ、もし仮に行末が険しそうな道にこの子がいると私はきっと戸惑ってしまうだろう。そうした自己保身が私に全くないとは全然言えない。
自分の心の動きに自分で落ち込み始めると、夫が言った。

「週末里親は、僕たちが子育てに直接には関われないと知っていて始めたことで、そういう立場である以上、きっと子どもに望むことも
言えることも、限られているのだと思う。
今の君の葛藤は、明らかに僕らの手の出ない範囲のことのように思う」

夫の言うことはある意味正しい。週末里親という制度は、養育里親のもとに行けない(実親がよその家庭に行くことを了解しない)子どもが日本では多数を占めるため、そうした大人の都合で一切家庭を知らずに育つことを回避する目的がある。家庭を知らないで育つ子は、自分の家庭を作る際に戸惑うことが多いのだという。生活をともにするいわゆる里親は、実親にとっては子どもを奪われるようで心理的ハードルが高くなるが、ゆるやかな交流である週末里親ならば、養育里親はダメでも実親の了解が取れる場合がある。基本的には家庭というものを経験するためだけに週末里親たちは存在していおり、親になどならない表明をするからこそできるのだ。だから、私はこのボランティアを選んだ。
制度には”親”とついているが、実際には親ではないことは互いに了解しているし、私も親になろうと思ったこともない。子どもが小さく可愛い時期だけに関わって、施設にいる時間よりずっと長く続いていく人生を他人として過ごすつもりもなかった。子どもにとって我々のような家庭になんらかの価値があるのだとしたら、それはきっと施設を出たあとなのである。
とはいえ、実際にどんどん大きくなるのを間近で見ているうちに、私は子育ての一部に関われた気持ちになってしまったのだろうし、実際にそうなのだろう。だからコントロール不可の出来事にも関わらず、適切でない分量の期待を勝手にしてもやもやとしてしまうのだ。親とはなんと不合理な気持ちを抱かざるえない存在なのだ。責任と尊重、尊重とコントロール、互いにトレードオフの関係にありそうなものを抱え続けなければいけない。
子育ては楽しいだけではなくきっちりとしんどい部分もあり、そこも私はこの度めでたく経験してしまったようだ。
子どもが頑張らなかった側面もおおいにあるだろう。しかし、原因の全てではない。私のこのもやもやは、私が子どもの教育に関わることができたならば、諦めたり整理がつく面もあったはず。私は、大人が勝手に決めた不完全な制度の中で、まっとうにもやついているだけである。
そしてこのもやもやが晴れる日はまだまだずっと先にありそうだ。子どもを社会で育てようと言うならば、子に対しての親の責任も分散されるべきである。そして関わるすべての大人は子育てのジレンマを投げ出さずに抱え続ける覚悟が必須、と言えそうだ。

最後に。受験生の子どもを持つすべての親に、お疲れさまでした!


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