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はんなり???!!!着付師物語 第5章❷未来の韓国ライフ

後先考えずに新しい会社に入ったものの、未来の給料はなんと三分の一になってしまった。とはいえ、未来は前会社でインセンティブ含めて1ヶ月100万円ほどの給料を取っていたから、30歳過ぎのOLが取る給料としては三分の一でも普通以上だ。
けれど、普通は、100万円の給料で暮らしていた者がいきなり30万円の暮らしをするのは大変なことだ。しかも給料は半分円、半分ウォンで支払われていた。未来は、何に関しても順応力が優れているから、無いなら無いなりの生活をご機嫌さんに送れる。だから、その半分のウォンだけで生活をしたのだ。

32歳の未来は、韓国の旅行会社で日本人の修学旅行の担当として働いた。ここでは、ツアー企画のために、慰安婦の話を聞ける場所探しなどもあった。戦争時代、日本が韓国の人たちにしたことがどんなに酷かったのかは想像もつかないし、そんな時代が終わって平和がやってきた時代に生きていることは幸せなことだと改めて思えた。
一つの教育として、平和な世に生きていることが当たり前の幸せでは無いから、今に感謝をして二度とそのような時代にならないようにと子ども達の心を育てることは大切なことだ。けれど、正直、なぜ今の子どもたちに、戦争時代の日本の負を押し付けるような情報教育をするのかという疑問もあった。
乱れる時代の中の真実は分からないし、立場が違えば言い分も見え方も違うだろう。だから過去のことをああだこうだと議論しても仕方がないのではないだろうか。だからといって、物申す気もなかった未来は、仕事は仕事として精力的に行動し、バリバリと働いた。そんな想いを持ちながら未来は思い切り仕事をしていたからこそ、自分の進んで行く道は、今の沿線上ではないことが分かった。
未来は、何かを教育する道に進むのが自分らしいと以前から思っていたけれど、もし教育者になるなら、未来(みらい)に向かうための何かか、過去のものであれば美しい文化的なものを世に残すための何か、そして人が喜ぶような何かを伝える仕事がいいと思った。

韓国の生活の中で、未来の将来の目標が具体的に決まったわけではなかったけれど、後から振り返れば、その韓国ライフでの何気ないことが大きなきっかけとなっていた。

未来が韓国に来る時に、日本的なものをと意図して持ってきたのは、浴衣だった。簡易な日本の民族衣装であり、簡単に来れるけれど美しい絵柄だから、韓国で何かの折、着る機会を作れるだろうし、周りの人も喜んでくれるかもと思ったからだ。
3着の浴衣と帯を持ってきてたから、韓国人の友だちや同僚にも着せてあげると実際すごく喜んでくれた。韓国の民族衣装を未来も着せてもらう機会もあって、すごく嬉しかったし、お互いの国の美しいもので文化交流するというのは何とも良いことだと実感したものだ。

未来は、そんなふうに仕事をしっかりしながらも韓国ライフを数年楽しんだ後、その旅行会社の日本支社に転勤となり帰国した。


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