「明けない夜はない」といえるのは、朝を迎えた奴だけだ
更新間隔があきすぎるのである。
何も書くことがなかった、というより、もはや人としての形を成していなかった、といったほうが正しい。
前回の記事から約一年間仕事は続けたが、心身の状態は悪化していく一方で、謎の皮膚炎や咳に悩まされ続け、これはもう限界だと辞した。
ライブ活動を停止したときにしろ、仕事を辞めるときにしろ、周囲は心配するふりをして、自身に置き換えた不安をぶつけてきた。
いわく、ライブの感覚を忘れてしまいそうだとか、仕事もせず家に籠もっていては余計にこじらせるのではないかとか。
だが、それはあくまでも先方の想像である。
私の人生は私のものだ。
先々の不安がないわけではないが、生きている喜びが感じられないまま、ダラダラと生き続けることにもう耐えられなかったのだ。死ぬ覚悟が持てないのなら、とにかく希望のある方に舵を切るしかない。
私の心は、とにかく心身ともに休ませろ、人の話は聞くな、といっていたのである。充分に休めば事態は上手く回りだすことも、なんとなく知っていた。
現実はどうだったか。
基本的に気分が「死にたい」という方向で固定されている人間だったのだが、ここ一ヶ月そんなことを思いもしていない。むしろ「生きていてよかった」と思う。以前よりもずっと安定した状態で生きているわけだ。
社会人としてはまったくなっていないが、ようやく人間としてまっとうな健全さを取り戻した。
私の直感は正しかったのである。
とはいえ、20年ぶりくらいにまともな精神状態にもどってきたので、まだまだ予断は許されていないぞ、とも直感は囁いている。
何かをしたいという気持ちは沸いてきたので、「楽しいと思える範囲で、心と体には必要以上の負担をかけない」というのを肝に銘じつつ、できることを少しずつ始めることにした。
というわけで、この心境に至るまで私が何を感じてきたかを綴っていこうと思う。
先にいっておくが、辛気臭い話である。
健全な人が読めば、偏っていて、視野が狭くて、甘ったれていて、忍耐がなくて、独りよがりで、とにかく不愉快な話である。説教のひとつもぶたないと気が済まないだろう。
それでもいいのだ。
この世界のどこかで拗ねて丸まっている奴がこれを読んで、明日も生きてようと思えれば、それでいい。
執筆活動で生計を立てるという目標を持っております!!