バトルフィールドでの生存戦略──「コカ・コーラ エナジー」評(後編)

■前編はこちら

■バトルフィールドに生きるものどもとは?

早速。まずは、「コカ・コーラ  エナジー」の「エナジー」とはなんぞやと。そこから考えていきたいと思います。

結論から申し上げると、エナジードリンク界隈とは、IT業界の如きベンチャー企業が日々札束でボコボコに殴り合い続けるバトルフィールドです。

特に、日本国内での認知度の2強である「レッドブル」(2006年〜)と「モンスター・エナジー」(2012年〜)は、普通に人が死にかねない(昨今のコンプラ的には全力で敬遠される)スポーツに惜しみなくスポンサードをぶち込むヤバめな奴らです。

極端な例:レッドブルがスポンサーに入っていた地上約40km(成層圏の上の方)からのフリーフォールチャレンジ。1,300km/hを超える速度での自由落下は余裕の音速超え。
こうした高高度気球に関する「研究」は、冷戦期にはNASAやソ連の設計局が国策として実施していたレベルのものです。

...商品に「エナジー」を冠する、ということは、少なくともコカ・コーラ社にとっては、「コカ・コーラ」という「あの」定番・伝統・信頼のブランドを一旦傍に置いて、(いい意味で)トチ狂った連中とブランド価値をかけた競い合いをする必要がある、ということなのです。

それゆえ発売前には、「コカ・コーラはガチ喧嘩をするつもりなのか」、それとも「デカビタ」「オロナミンC」程度の、ライトカジュアルな「エナドリ風情」を目指しているのか、一体どっち志向なんだ? という疑問が湧くのは当然だったのであります。

■「コカ・コーラ  エナジー」のエナジーはいかほどのエナジーか

果たして、どの程度のガチ具合なのか。この疑問を解消するため、「コカ・コーラ  エナジー」のスペックを確認しましょう。

エナジードリンクは、アミノ酸(アルギニンなど)、国により配合可否がある物質(タウリンなど)、ビタミンの種類や、ガラナなどフレーバー等々の要素を総合的に扱うことでキャラ立ちします。
しかし、ここではシンプルにエナジードリンクをエナジードリンクたらしめる、カフェイン含有量を比較しましょう。

下に示した各飲料上の数字(mg)は100gあたりのカフェイン量を示しています。(販売中止になったドリンクも載っているので注意)

備考:
この表を作成したことによる(個人的な)発見があった。各飲料の名称下に記載した「」(鉤括弧)は、「その商品の表現・表記」なのだが、「キーバ」より左に位置するカフェイン満20mg/100g以上配合飲料では「エナジードリンク」という表記があることが発見された(別に「エナジードリンク」を名乗ることと配合成分量には法的な因果関係はない)。ここから、
〈エナジー/ソフトドリンク カフェイン配合量20mg境界(E-S境界)〉という断層が浮かび上がってくる。これは学会発表レベルじゃないのか?

...ここで、スコア32mg/100gの「コカ・コーラ  エナジー」は、いわば「中堅エナジードリンク」と言ってよさそうです。

しかし、この30〜32mg級。ボクシングで言うところのバンダム・フェザー級の如き層の厚い階級なのです。
さらに、コカ・コーラ社が初めて手がけたエナジードリンク「バーン」(2012〜15年?国内販売終了)、ハウス食品「サムライド」(2014年発売〜15年販売終了)、サントリー「リゲイン エナジードリンク」(2014年単年で販売終了)という、選手寿命が爆裂に短いドリンクどもの墓場なのであります。

エナジードリンクとは(ごく一部の例外を除き)日本での定着が極めて困難な品種であり...繰り返しますが、凄惨なバトルフィールドなのです

というわけで、実は今回の「コカ・コーラ  エナジー」は、コカ・コーラ社にとっては界隈への「リベンジマッチ」であるという。「エナジー」発売前後の苛烈な広告キャンペーンは、「死の中間集団の二の舞を踏みたくない」という強い意志によるものと考えられます。

■「コカ・コーラ」は何をサポートするドリンクか

急ですが、でかい話をしたいと思います。

「なぜコカ・コーラ社は(改めて)エナジー界隈に踏み出さなくてはならないのか?」

という疑問。まあとりあえず、こちらを見てください。

米コカ・コーラ社は1928年のアムステルダム大会から90年以上にわたってオリンピックをサポートし続け、サッカーのFIFAワールドカップのスポンサーとしても名を連ねるスポンサーシップ・マーケティングのパイオニアといえる企業だ(引用:日経BP SPORTS INNOVATORS ONLINE

...なるほど。とはいうものの、コカ・コーラ社自体は、別に「スポーツフレンドリーな企業である」というわけではありません

あくまで、スポーツというライトなものから、戦争というハードなものにまでおよぶ、「ナショナリズムを発揚するインターナショナル・イベントで大活躍する企業である」と読みかえなくてはならないのです。

こちらは、第二次大戦中のコカ・コーラの広告です。日本という共通敵をもつ米中の友好(”They belong with friendliness and freedom”)の証がコカ・コーラである、と。戦争とは、究極のナショナリズムの衝突と交流のイベントであり、それを「サポート」するのはコカ・コーラだ、というわけです。戦時中には、コカ・コーラがレーション(軍需物資)として世界中の戦場に運び込まれたこともあり、同様の広告が大量に作成されました。

こうした事例からは、コカ・コーラが「近現代の『国家』という概念に依拠して存在してきた」という図式が見えてきます。それは、今日の五輪、FIFAワールドカップとの関わりにおいても何ら変わらない、というわけですね。

■オリンピックの揺らぎ

ところが、(コカ・コーラにとって)揺るぎなきものと思われた「ナショナリズムの衝突と交流のイベント」=オリンピックの方が、むしろ昨今急速な変化を遂げつつあります
主に2000年代以降、五輪競技に加わりつつある下記のスポーツ。

自転車競技:マウンテンバイク(夏季、1996年〜)
自転車競技:BXM(夏季、2008年〜)
スノーボード:ハーフパイプ(冬季、1998年〜)
スノーボード:スノーボードクロス(冬季、2006年〜)
スノーボード:ビッグエア(冬季、2018年〜)
スポーツクライミング(夏季、2020年実施予定)
スケートボード(夏季、2020年実施予定)
サーフィン(夏季、2020年実施予定)
ブレイクダンス(ブレイキン)(夏季、2024年実施予定)

そう、すべて五輪競技史観では「在野」「外道」「不良」(言い過ぎか?)の存在だった「アーバンスポーツ」と呼ばれる系統に位置するスポーツです。そして、こうしたスポーツのサポーターこそ、他でもない「レッドブル」「モンスター」といったエナジードリンク界隈の連中である、という図式があります。

これらスポーツの(本来的な)フィールドは、各国代表が揃いのブレザーを着て入場するオリンピックではなく、それぞれの選手が個性的なウェアに身を包み、ヒップホップのライブが催される、フェスのようなX-Gamesやワールドカップです。

オリンピック的な「国家を背負って戦う」のではなく「各者がパフォーマンスを競う」世界観。インターナショナルではなくグローバル。現代のオリンピックは、若者から支持されるイベントを目指して、全く異なる思想の「スポーツ」を取り込まなくてはならなくなっているという事実があります。

■Re:「コカ・コーラ」は何をサポートするドリンクか?

昨今の「オリンピック、若者に対する訴求力なさすぎ問題」を受けて、こうした「アーバンスポーツ」の取り込みなど、大きな変貌を余儀なくされているオリンピック。

今日までその歩みと二人三脚でやってきたコカ・コーラに対しても、「おまえら、一体いつまで近代五種とその延長にある『保守的な』スポーツのサポーターであり続けるつもりなんだ?」というプレッシャーが発生していることは想像に難くありません。

となると、コカ・コーラもまた、前述の「アーバンスポーツ」(「アンチ・フォーマルスポーツ」と言い換えられそうである)に属する「エナジードリンク」というカルチャーに、改めてコミットし直すくらいしか策がない。

国家的権威性(近代国家の正しさ)を拠り所にしてきたコカ・コーラにとって、非国体的なあり方のものを認めようとすることは極めて困難でしょうが...。とはいえ、オリンピックを契機にこのバトルフィールドに飛び出してしまったことを、一過的なパフォーマンスに留めることなく、確実な浸透を狙ってほしいと思うのです。若者のためのコーラよ、再び…。

■Ghost 『Out Of』 The Shell か、 『Is』 The Shell か

...さて、話を変えて、「コカ・コーラ  エナジー」のパッケージ(外装)について述べたいと思います。正直言って、ここまで力の入ったパッケージのドリンクはここ数年なかった。そこは本当に高く評価されるべきであると思います。赤い上蓋、白抜きの「ENERGY」も鮮烈なアクセントです。

ところが。

コンビニに行って、「レッドブル」「モンスター」のパッケージを見てきてください。「レッドブル」のクソ薄いアルミ缶。文字が版ズレしている「モンスター」。「今時、こんな簡素なパッケージってUX無視の手抜きなのでは...?」と、不安になる仕上がりにも思えます。

しかし、これでよいのです。

なぜなら、これらエナジードリンクにおいては、「ゴースト」たる中身(飲料そのもの)と、「シェル」つまりパッケージは、まったく別の場所に存在している、という、超絶対的なロジックが存在しているからです。

真っ赤な雄牛がプリントされたパワーボート。
「m」のステッカーが貼られたジェイミー・アンダーソンのヘルメット。
これこそが、彼らの「シェル」です。念のために言いますが、これらは広告ではありません。パッケージそのものの存在性が委託されたものと言ってよいものです。結果、「レッドブル」「モンスター」は、自ら飛び、跳ね(時にぶっ壊れる)鮮烈で過激なパッケージを獲得している。一方で、コンビニの棚に陳列された缶は、液状のゴーストを固定するための、便宜的な膜に過ぎないのです。

この「膜」表面のプリントは、ゴーストとシェルの関連性を示す単なる記号であり、こうした状態を、仮にゴースト『out of』ザ・シェル的様相と名付けることにします。

すると、一方でコカ・コーラは「飲料とパッケージが完全に一体化してしまっている状態」=ゴースト『is』ザ・シェル的な佇まいを見せます。何が言いたいかというと、コカ・コーラというブランドの最大の特徴は、
「コカ・コーラは、コカ・コーラのパッケージから、コカ・コーラを飲むことによってしか、己を表現できない」ということなのです。

先に挙げた第二次大戦中の広告も、このバブル絶頂期のキャンペーン映像も、現在の綾瀬はるかのTVCMも、本質的には全く同じものを表現しています。コカ・コーラは、パッケージ/中身体験を、それぞれ切り分けて論じることができない、何とも不器用な商品である、ということ。
この2種の全く異なる「データ構造」が、今後の戦いの上でどこまでの差を生むのでしょうか...?

■脱 コカ・コーラ的宣伝戦略+「ポジティブなエナジー」とは何なのだろう?

...そうした観点から「コカ・コーラ  エナジー」のTVCMを見てみます。

まず、年末年始の家族団欒の化身、綾瀬はるかをCMに起用しなかった。これは言うまでもなく「正」なのですが、このCMで注目されるべきは一切飲むシーンがない点と、具体的な人物像が描写されていないです。

先に、「コカ・コーラは、コカ・コーラを『飲む』ことでしか、その体験(『売り』)を記述できない不器用なブランドだ」と述べました。
このCMではかなり意識的にそのポイントに注目している印象を受けます。ペルソナ(先の広告で言う兵士、リーマン、OLなど)も存在しない、抽象的な肉体的躍動のみが表現される。「飲む」という肉体的経験を記述せずとも、「コカ・コーラ」ブランドの強さを描き出すことは可能なのか? という点に、果敢にも挑もうとしているように感じられるのです。

ただ、考えてみると、結局この挑戦自体について、

「コカ・コーラ  エナジー」を、「コカ・コーラ」という従来のフレームから完全に脱却させようとしている。

のか、

「コカ・コーラ  エナジー」をあくまで「コカ・コーラ」ブランドの影響下に位置付けたままで、従来の「飲む」描写以外においても生き残ることのできるタフネスさを持った「コカ・コーラ」かを試そうとしている。

のか、という、全く異なる2パターンの捉え方が可能であり、むしろ、その点の判断ができかねたままリリースしました、という印象を受けます。かなりアンビバレント。そこで効いてくるのが

「ポジティブなエナジーを拡散せよ」

というかなり意味深長なフレーズなのです。別に、このフレーズは競合となる「モンスター」「レッドブル」を「ネガティブなエナジー」と言っているのではないはず。むしろ、これまでに述べた
・歴史的なあり方
・オリンピックの変化とそのパートナーとしてのあり方
・コカ・コーラからの脱却か/タフネスさの試行か
といった、「コカ・コーラ  エナジー」リリースに至るまでの一連の経緯について、決してネガティブな要素を受けてリリースしているわけではなく、成長的なあり方を求めての模索・探求である、という自らへの励ましであるように思われてならないのです...。

前編の末尾を、「『コカ・コーラ  エナジー』は、コカ・コーラのポストモダンの始まりだ」と締めました
旧来のインターナショナルスタイル(という名の、国体的枠組みとの同期)からの脱却として、これまでのコカ・コーラのブランド価値を解体しながら発展させていく。
こうしたあり方の第一歩として注目されるべきものであると思います。

(ゆ)

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にゃんちあき

不良サラリーマン。本職は雑誌屋。noteは完全に趣味の世界。

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