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[彼が死んで旅に出た。その先に出会った世界]

かつて私はバックパッカーだった。
野宿とヒッチハイクで世界中あちこちを旅しながらアフリカにたどり着いた。
1985年-1990年の5年間、旅人だった。お金は無かった。
旅の先々で仕事を見つけて働いた。そしてまた旅を続けた。

西へ西へ、西へ向かって行こう。
日本を出発したときに私が計画したのはそれだけだ。

大阪の港から船に乗って日本を出たのは12月8日だった。
リュックひとつだけ、それ以外の持ち物は全部捨てた。
船の行き先は上海だ。
そこから陸路で、長い放浪がはじまった。

アフリカ大陸にたどり着き、東から西へと横断した。
ナイロビ下町のトラックだまりで、ルワンダ人ラスタファリアンのトラック運ちゃんたちに出会い、乗せてもらった。

国境を越えてケニア、ウガンダ、ルワンダ、ブルンジ、タンザニアやザイールへと、大型トラックで物資を運ぶ若者たちだった。
大都会ナイロビを出発して、地平線まで続くサバンナを走り始めたときの爽快感!
でも、それは時速20kmくらいしか出ない、カメより遅いトラックだった。
次から次に追い越される。しかも坂を登る馬力はない。
彼らは言った。Haraka haraka haina baraka. 急げ急げはいいことないよ。

彼らとの旅は本当に楽しかった。
坂を登れないトラックに乗っていると、風景がよく見える。
街道沿いの村々、暮らしの様子。動物たち。青い空と白い雲。
夕暮れ時には夕餉の煙が茅葺屋根から上がっている。
放牧から帰る牛やヤギの群れ。空を舞う無数の鳥たち。
通りすがりに思いきり手を振る子どもたち。
バナナを満載に積んだ自転車。川で洗濯する人々。
強い太陽の日差しと、風。

暗くなったら、途中途中の村々で泊めてもらった。

何日か旅を共にしたトラックと別れ、また歩いた。

ある夜、野宿した場所で信じられないほど数多くのホタルに取り囲まれた。真っ暗闇の中に、輝きながら舞う無数の光。

国境は歩いて超えた。
1つの国を出国して、次の国に入国するまで、何キロも無国籍地帯があった。
リュックを背負って、延々と歩いた。

無国籍地帯にも村はあり、人々が暮らしていた。

トラックに乗り、船で河を下り、延々と歩き、またトラックに乗り。
アフリカの大地を虫のように這いつくばって歩く旅だった。
どんどん自分が自由になっていく。

何日も何カ月も、アフリカ大陸を西へ西へと向かって行って、サバンナを越え、山を越え、ジャングルを越え、砂漠を越え、都会を抜けて、ついには海に出た。
大西洋だった。

大西洋の色は、それまで見たどんな海とも違っていた。
厳しいような、人を寄せ付けないような、でもなぜかロマンをそそる海の色だった。

わけのわからない涙が流れた。これでもか、これでもかというほど、まさに、とめどない涙が、ザーザーと。
なんだか、心が満たされていた。
ここで旅を終えよう。ただ通り過ぎていくだけの旅人としてではなく、ここで生きる人々と、私も一緒に生きてみたい。
うんざりするような繰り返しの日常を、私もまた生きていこうと思った。

それから流れ流れてナイロビに定住し、働き始めるのはもう少しあとのことだ。
やがて私はキベラスラムに出会い、懸命に生きるスラムの人々と子どもたちに出会い、
孤児や貧困児童を救済する学校を作り、彼らと人生を共にするようになった。


実はそもそも私が旅に出たのは、ある日突然、最愛の恋人を亡くした一カ月後だった。
昨日まで一緒にいた人が、急にこの世からいなくなる喪失感は途方もなく大きかった。
私が日本を出発した12月8日は、彼と長い旅に出るために大阪から出発する船を予約していた日だった。
通夜も葬式も部屋の片付けも終えてから、その船の予約をキャンセルしに行ったとき、
乗船名簿の彼の名前が、黒いマジックで消されているのを見た。
私はその帳簿の黒いマジックの上を、何度も撫でて、しばらくそこに立ちつくした。結局、自分の分はキャンセルしなかった。
彼もきっと見たかった、この世界を、私はいっぱい旅して、いつかあの世で再会したときにはそんな経験や見てきたものをたくさん語りたいと思った。
自分の持ち物は全部いらなくなってしまって、リュック1つ分以外は捨てた。
大学も辞めた。
日本を出る最後の夜は、難病で寝たり起きたりだった彼の母親の家に泊まり、夜通し一緒に過ごした。
子どもの頃からの写真を次々と見せて、お母さんは楽しそうに思い出を語った。
出発の朝、お母さんは私に白いセーターをくれた。
私はそのセーターを着て、大阪の港から船に乗った。

もうすぐ彼の命日がやってくる。33回忌。
旅先から毎週ハガキを出していたお母さんは、15年前に亡くなった。

33回忌を終えると神様の世界に行ってしまうらしい。
この特別な日に何をしようかな、とずっと考えていたけど、
彼はきっと墓にも寺にもいない。
どこにいても、どこにでもいるような気がしていた。
だから33回忌にも、何か楽しいことをしよう。
ダウン症候群の方々と一緒に歩くチャリティーウォークイベントに誘われた。
そこで楽しいアフリカの音楽を演奏してほしいと。
それがいい、と飛びついた。
雨天中止の野外イベントらしい。
きっと快晴になると信じている。

早川千晶

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みんなちがってええやん
バディウォーク関西2019 in 兵庫
2019年11月10日(日)
神戸市しあわせの村
https://bw-kansai.com/
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