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第128話「交換条件」

前回、第127話「精霊縛りの印」

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「バカな。なぜ発動しない」

 ユインはイライラしながら部屋の中を歩き回って行ったり来たりしていた。

 リンは部屋の隅っこで憮然としながら座っている。

「確かにシルフに印を押したんだろうな」

「ええ、間違いありませんよ」

 リンは億劫そうに答えた。

「だったらなぜ生贄魔法が発動しない」

「知りませんよ。そんなこと」

「召喚魔法すら発動しないということは……印自体が機能していない? これが王族の精霊の力だというのか?」

「それよりも早く僕を解放してくださいよ。もう依頼は果たしたんですから」

「待て。まだだ」

「はあ?」

「まだ黒竜が召喚されていない。それまでは解放するわけにはいかないな」

「……師匠、それはないでしょう? いくら失敗したからといって、約束は約束ですよ。こっちは依頼をこなしたんですから、師匠も約束を守ってくださいよ」

 二人が事前に交わした約束では、シルフに印を刻んだあかつきに、ユインはリンを奴隷から解放して塔攻略に協力するということになっていた。

「なるほど。約束は守らなければならない。だが、私は成功しなくても解放するなどとは言っていない」

(ぐっ。こいつ。ここまで腐ってやがったか)

「まだ何かやらせるつもりですか?」

「次はより強力な魔法を使う。印を押すだけではダメだということが分かったからな。魔法の力を増幅するための魔法陣もあらかじめ控え室にこしらえておく。その上で印を押してもらう」

「なっ、ちょっと待ってください」

「私も近くに待機する。準備ができたら使い魔を押しつぶして解放しろ。それを魔法発動の合図にして……」

「ちょっと待ってくださいよ。それじゃ僕がやったっていう歴とした証拠が残ってしまうじゃありませんか。冗談じゃない。これ以上は付き合えませんよ」

「おい、どこに行く」

「もう師匠との関係はこれっきりです。お世話になりました。さようなら」

「ふざけるなよ。こんな中途半端な状態で解放すると思っているのか。今、事が露見してみろ。お前も捕まることになるんだぞ」

「でもそうなれば師匠も捕まりますよ。師匠にできるんですか。当局に僕を告発するなんてこと」

「まだ立場が分かっていないようだな。お前は私の奴隷で……」

「ではこういうのはどうでしょう。師匠からの命令を受諾します。そしてこの部屋から出て行ったその足で、魔導師協会に駆け込みます。そこで今までの師匠の悪行について洗いざらい白状します。これであえなく二人共お縄にかかります」

「貴様……」

 ユインは目に見えてひるんだ。

「事を一番穏やかに済ませるには、今ここで全て清算するのが得策だと思いませんか? 師匠は僕を奴隷から解放する。僕は師匠の罪について墓場まで持って行く。それで何もなかった事になります。めでたしめでたしですよ」

「私を脅すつもりか」

「いいえ。ただ約束を守っていただけないのであれば、こちらにも考えがあるというだけです」

「分かっているのか。君がこの塔にいられるのかどうかは私次第……」

「師匠の計画が露見するかどうかも僕次第ですよね」

「……」

 不思議な事に共犯者として犯行未遂後の今の方が、リンはユインに対して優位に立っていた。

 彼の犯行計画及びそれに必要な備品も全てリンの手に握られているのだから。

 当局に対してタレコミすればユインを破滅させられる立場にあった。

「自分が何を言っているのか分かっているのか? 私が捕まれば共謀者であるお前も捕まる事になるんだぞ?」

「それでも今なら未遂で済みます。調べましたよ。他人の精霊に悪意を持って危害を加える場合、たとえ未遂でも実刑判決を食らう事になる」

「……」

「僕にとって数年間牢屋に入るのはまだ人生やり直しのきく範囲内ですが、師匠にとっては致命的ではありませんか? もういい大人なのに暗い牢獄でいたずらに時を過ごすのは嫌でしょう? もうこの辺りで引き下がりましょうよ」

 リンはにこやかになだめるような調子で言った。

 今や立場は完全に逆転していた。

「ふー。そうか」

 ユインが諦めたようにため息をついた。

「分かったよ。私の負けだ。いや参ったよ。君も成長したものだね。わたしは君を見くびっていたようだ。もう君は黙っていいように利用される子供ではないというわけだ」

「はあ……どうも」

 リンはユインの態度を不気味に思いながら聞いていた。

 こんな風におだててくるなんて彼にあるまじき態度だ。

 何か企んでいるんじゃないかと油断しないように気を引き締めた。

 口封じのために突然、攻撃してくることもありうる。

 リンは何が起きても対応できるよう、杖を握りしめて身構えた。

「ではこういうのはどうだろう。ここからは一人の大人と大人。対等な立場で話し合おうじゃないか」

「……どういう事です?」

「交換条件だよ」

「交換条件?」

「そう。君を奴隷から解放する」

 ユインは紙切れを取り出すと手早く書状を認め、リンの方に飛ばして渡した。

 手渡された書状にはリンを奴隷から解放する旨記されている。

「その上で、今度は別の条件と引き換えに依頼に当たってもらいたい」

「師匠……僕はもう師匠からの依頼を受けるつもりは……」

「君のご両親について知りたくないかい?」

 リンはこの質問に動揺した。

「なっ、何をっ、何を言ってるんですか。今さら両親なんて……、どうして……」

 リンは動揺を悟られまいと、必死に平静を装おうとした。

 しかしユインにはリンの心情が手に取るように分かった。

「君がもし私の願いを聞いてくれるというのなら、君の両親のことについて教えてあげてもいいんだけどね」

「なんで師匠が僕の両親について知ってるんですか。また僕を騙して思い通りにしようって魂胆でしょう? その手には乗りませんよ」

「どうして私が君の両親について知っているのかは言えない。企業秘密ってやつだ。ただ知っているのは嘘じゃない。本当だよ」

「ウソだ。知ってたとしても……、どうせもう死んでいるとかそんなことでしょう?」

「答えられないな。それに答えれば貴重な取引材料である情報の一部を漏らしたも同然だからね」

 リンは膝が震えそうになるのを手で抑えようとした。

「悪かったね。ショックを与えるようなことを言ってしまって」

「僕は……別にショックを受けてなんか……」

「そうか。それは良かった。君が癇癪を起こさない冷静な人間で助かるよ。ただ私にも時間がなくってね。君がアテにならないとなれば他のアテを探さなければならない。答えを聞かせてくれるかな? 私の依頼を受けるのかどうか」

「そんな……急に言われても。少し考える時間を……」

「一時間だ」

 ユインは紋様時計に目を落としながら言った。

「一時間後、もう一度ここに集合しよう。そして答えを聞く。もし君が私の依頼を断ったり、ここに来なかったりし
た時はそれまでの関係。それ以降はお互いに秘密を墓場まで持って行こう」

 ユインはそれだけ言うと立ち上がった。

「それじゃあ私はこれで失礼するよ。あまり君に時間を取らせても申し訳ないしね。ゆっくり考えたまえ」

 ユインはいつになく慇懃な態度でリンに接してきた。リンは顔を歪めた。

 ユインは出て行く。



 リンは考えてみた。自分は両親に会いたいのか。そもそも彼らは生きているのか。

 ユインは本当に自分の両親について知っているのか。だとしたらなぜ知っているのか。

 しかし考えれば考えるほどリンは分からなくなってきた。

 ちょうど一時間後、ユインは帰ってくる。

 リンは答えを迫られた。



「リン。おいリン」

 ヘルドが声をかける。

「……」

「リン。おい、リンったら」

「えっ? なんですか?」

 リンはヘルドの呼びかけにハッとして反応する。

「大丈夫か?」

「えっ? だ、大丈夫ですよ」

「そうか。何か考え事をしているように見えたが」

「大丈夫です。僕は大丈夫ですから。行きましょう」

 リンはヘルドと一緒に挨拶回りをしているところだったが、その様子はいかにも気もそぞろという感じだった。

 ヘルドもそんなリンの様子に気づいていた。

(何か後ろめたいことがバレそうな人間の顔だな)

 ヘルドは溜息をついた。

(この様子だと相当ヤバいことに巻き込まれてるな。どうしたものか)

 ヘルドは思案した。

(まだこいつに消えてもらうわけにはいかない。仕方ない。助けてやるか)

 ヘルドはその日の仕事を終えて、部屋に帰ると手紙を書き始めた。

 匿名のまま、イリーウィアへと手紙を送る。



 その日、執務を終えて自室で一人になったイリーウィアはカラットに話しかけた。

「カラット。教えてちょうだい。パーティーではレインとどんなお話をしたの? いつも通りリンのお話を聞かせて」

 イリーウィアはカラットの話に耳を傾ける。

「ふむふむ。なるほど。リンといえどもこれは見過ごせませんね」

 イリーウィアは先ほど読んだ匿名の手紙をもう一度取り出してみる。

 彼女はそれを見ながらじっくり考えた後、机に向かって手紙を書き始めた。



 来月になった。

 イリーウィアのお茶会。

 リンはいつも通り彼女の取り巻き用の席に招かれて、そのあと少し席を外した。

 先ほどシルフを間近で見たが、以前押したはずの印はすでに消えていた。

 おそらくシルフの力が打ち消したのだろう。

 リンは頃合いを見て、パーティーを抜け出し、控室に駆け込んだ。

 幸いにも控え室には誰もいなかった。

 リンは塗料を取り出して魔法陣を描く準備をする。

(本当にいいのか?)

 リンは自問自答した。

 これ以上行えば、間違いなくただでは済まないだろう。

 果たしてその見返りはそれほどの価値があるのだろうか。

 しかしもし両親のことについて知ることができれば自分の中のどこか欠けている部分が埋められるかもしれない。

 そんな気がした。

 リンは覚悟を決めて魔法陣を描き始める。

「そこで何をしている」

 控え室に冷たい声が響き渡った。

 冷や汗が額を伝う。

 リンが振り向くとデュークがいた。

「あ、デュークさん……」

「それは魔法陣を描くための塗料だな。魔法の力を増幅させる。こんなところで一体何の魔法を使うからそんなものを描いているんだ?」

 デュークはリンに杖を向けた。

「いや、その。これは……」

 リンが全て喋り終わる前にデュークは魔法を放った。

 リンは吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。

 意識が遠くなる。

 デュークはリンを拘束した上で、懐を探り始める。

 よからぬ企みの証拠を見つけようとして。

「何の騒ぎだ。デューク? 何をしている」

 ヘルドの声が響き渡った。

 リンは薄れゆく意識の中でヘルドとデュークが言い争いしているのを聞いた。

 


 リンは柔らかいベッドの上で目を覚ました。

「ここは……」

「大丈夫ですか?」

 リンが声の方を向くとイリーウィアがいた。

 ベッドに腰掛けて寄り添ってくれていたようだ。

「イリーウィアさん……僕は……」

「ヘルドから聞きました。デュークに暴行を加えられたそうですね」

 リンは懐を探ってみた。

 先ほどまであった印はそこに無くなっていた。

 リンは観念したようにため息をつく。

「イリーウィアさん。デュークさんは悪くありません。悪いのは僕です」

「リン……」

「すみません。せっかく色々と取り計らっていただいたのに。こんな風に恩を仇で返すようなことになってしまって」

「悪い子ですね」

 イリーウィアがリンの頬に手を添えようとする。

 その慈愛に満ちた態度はすべてを許してくれそうな気さえした。

 リンはほだされそうになったが、ここで甘えてはいけない、と思って彼女の手から逃げる。

「レイン!」

 リンが呼ぶと部屋の隅っこでカラットと戯れていたレインがリンの胸元に入ってくる。

「もう僕はここに来ない方がいいようです」

「そんな……。そんなことは……」

「一つだけお願いがあります。ユヴェン、彼女だけは今まで通りこの場所に呼んであげてくれませんか」

「リン……」

「では、もう行きます」



「忘れ物だぞ」

 リンが屋敷のロビーから玄関に出ようとしたとき、階上から印鑑が投げられる。

 リンが印鑑の飛んできた方向を振り仰いでみるとデュークが立っていた。

「デュークさん……」

「満足かね。私をイリーウィア様の側から離すことができて」

「……」

「姫のお気に入りに手を出したんだ。私はもうここへはいられない。すぐに退去を命じられるだろう」

 デュークは乾いた自嘲気味な笑いを漏らした。

「もうわかっただろう。君はここに来るべき人間ではない」

「……」

「君が何をしようとしていたのか。深く聞くつもりはない。正直なところ、こういうことをするのは君だけではなくてね。一人一人の事情をいちいち聞いていてはきりがないんだよ。だから君のことについても聞かないでおいてやろう。その印鑑について当局への通報もしないでおいてやる。その代わり!」

 デュークは刺すような視線をリンに向けた。

「二度とここへは来ないことだ。君がここに来てもろくなことにはならない。お互いにとってね」

「そうみたいですね。デュークさんに初めてそう言われた時、すぐ気づくべきでした」

 リンは素直に言った。

「ご迷惑をおかけしました」

 ぺこりと頭を下げて退出しようとした時、荒々しく屋敷の玄関のドアが開いて黒いローブを着た数人の人間が入ってきた。

 カツカツと靴音を立てて一人の男が前に進み出る。

「失礼。私は魔導師協会警吏部の者だ。学院魔導師のリンはいるか?」

 リンはギョッとしてデュークの方を振り返る。

 デュークも呆気にとられたような顔をしていた。

 それを見て彼が通報したわけではないと気づく。

「君がリンか」

 男は二人の反応を見て気づいた。

「魔導師ユインが塔への反逆の罪で逮捕された。さしあたっては弟子である君にも重要参考人として出頭してもらう」



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次回、第129話「追放」

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