ゲーム表現の独自検査と自主規制

任天堂の2019年の株主総会の質疑応答で、ゲーム表現の独自規制に否定的な見解を述べたことが話題になりました。

 IRのページにあるPDFの5ページ、Q11/A11がそれに当たります。端的には、

・ 第三者機関による年齢レーティングの取得により、客観的な情報で顧客に理解をしてもらいたい

・ プラットフォームを運営する任天堂が、発売の可否を恣意的に選択すると、ゲームソフトの多様性や公平性を阻害すると考える

という内容になります。任天堂はあくまで自社の対応についてしか述べませんが、質問者も回答側も、Wall Street Journalが2019年4月16日に報じた他社の規制状況が念頭にあることは間違いないと思われます。

 通常の株主総会の質疑で、判断結果のみならず、ここまで理由に踏み込んだ回答が為されることは結構珍しいです。特に、他社の事例がすぐに聞き手に浮かぶ状況で、その事例に触れたと解釈されてもおかしくない回答をしたことには、明確な意味と意図があると考えられます。本稿では、現在のゲーム表現規制がどのような背景の元でどのような位置づけにあるか、今回の回答や事例がどのような意味があるかを、私見ながら整理してみたいと思います。

自主規制と法的規制の意味合いと位置づけ

 一般に規制と呼ばれるものには、法的規制と自主規制の大きく2種類があります。日本のゲームの表現で言えば、法的規制は刑法の「わいせつ物頒布等の罪」や各自治体条例での有害図書指定などが該当し、自主規制は端的にはCEROの年齢レーティングが該当します。

 まず、法律や条約、条例などで定められる法的規制は、当然のことながら強い拘束力を持ちます。通常このレベルの規制では、違反したときの罰則も定められており、刑事処分や行政処分(課徴金等)によりルールを強制します。一方で自主規制は、あくまで業界団体などが団体内部の自主ルールとして定めるもので、法律的には基本的に強制力を持ちません。むしろ、競合関係にある企業同士が独自の約束をすることは一種の談合・カルテルにもあたるため、規制に反する企業にペナルティを独自に科すと、独占禁止法上の制裁を受ける可能性すらあります。

 その一方で、安全性などきめ細かい規制については、法律や政令・省令などの改廃に手間を要する法的規制より、技術的にも社会的要請についても専門知識を持つ業界の当事者が自主的にルールを決めた方が実体的にはうまく行くケースがあります。他にも、位置付けの中途半端な自主規制が法的規制より運用上望ましい場面がいくつかあり、そのような場合には商品表示に関する公正競争規約のように明示的に独占禁止法の適用除外にしたり、法令や通達などで民間の自主規制ルールを政府から参照・追認することにより、自主規制に実効性を持たせるケースもあります。

 ゲームや映画の表現制限について言えば、特に強制力の強い警察が所掌官庁になることもあり、「何が猥褻か」などの判断を毎回警察に委ねることが、表現の自由の保証との観点から望ましくないことや、「お上」が特定の作品に「不適」烙印を押すことが、表現の自由や政府による検閲の禁止との兼ね合いから極めて大きな影響を持つことが、法的規制にかわり自主規制を持ち出す一つの理由になります。【表現者たちが自ら話し合って、許容される表現の基準を決める】ことが、表現の自由と社会的要請を両立させるベスト・プラクティスである、という考え方かと思います。社会的な様々な主張を十分に聞いて取り入れながら当事者である業界が一定の基準を定め、行政機関などもその【自主基準を判断基準の一つとして尊重する】ことで、規制と自由のバランスを実現しようとしているわけです。

 もちろん、表現規制については、自主規制すら自粛を招く表現の自由への攻撃であって好ましくないという原理的な考え方もありますが、特に商業的な事例については多くの場合、猥褻などの一定の表現が法的に制限されること自体は仕方がないという前提で、直接の法的規制よりは多少なりともマシなものと捉えられています。

現在のゲーム表現の規制のなりたち

 現在の家庭用ゲーム機の表現規制は基本的に、日本ではCERO(コンピュータエンターテインメントレーティング機構)が定める自主規制基準がベースになっています。CEROのレイティングの取得自体は任意ですが、SIE・任天堂・マイクロソフトがCEROレイティングの取得をライセンスの条件にすること、CEROの母体であるゲームソフトの業界団体CESA(コンピュータエンターテインメント協会)がレイティングのないソフトの販売自粛を販売店と申し合わせていることから、事実上は一定の強制力をもつ自主規制として機能しています。

 米国では、Entertainment Software Rating Board (ESRB) が、やはりゲームソフトの業界団体である Interactive Digital Software Association (現ESA)を母体として設立され、表現の審査を行っています。設立には米国議会の「業界で自主的に有効な規制ができなければ議会が法的規制をするぞ」との脅しが効いていますが、結果的にはそれ以前のハードメーカーごとの審査から、ソフトメーカー側が自主基準を定める形に移行して落ち着いています。

 これらの2団体に共通する重要な点は、ゲームソフト業界自らが審査団体の母体となり、審査基準を定めている点にあります。ゲームの表現の規制ルールを定める主体としては、国会とか政府とか、ハードメーカーとか販売店の団体とか色々考えられますが、先ほどの【表現者自らがルールを決める】という一つの理想の形を考えたとき、理想に最も近い形態になっているとも言えるかと思います。

 なお、世界全体を見回すと、ゲーム表現規制の形態は国によって様々です。ヨーロッパ全般ではPEGI(Pan European Game Information)がソフトウェア業界団体 ISFE を母体に運営され、EUによって支持されていますが、ドイツでは独自の公的なUSKレーティングが必須とされているほか、イギリスでも性的コンテンツに関しては別の国内強制力のあるレーティングの取得が求められています。オーストラリアやニュージーランドでは政府機関が直接審査を行っています。また、フィンランドや韓国、前述のイギリスなどでは、審査そのものは民間団体が行うものの、その取得が法的規制として強制されている場合もあります。日本でも一部の自治体での有害図書指定が、CERO等のレーティングを元に包括的にされるケースがあります。

文化多様性と世界共通レーティング

 「文化多様性」は、時代や地域によって様々な形態を取る文化について、人類の様々な集団や社会個々のアイデンティティを唯一無比のものとして、その多様性を民主主義の基礎と不可分な交流・革新・創造の源として尊重し、より充実した知的・感情的・道徳的・精神的生活を達成するための手段として理解すべき(文部科学省「文化的多様性に関する世界宣言(仮訳)」より再構成)とする考え方です。この世界宣言では、多様性を実現するためには、「全ての人が各自で選択する文化的生活に参加し、各自の文化的慣習に従って行動することができなくてはならない」(同仮訳より)とされるほか、特にグローバリゼーションについては、「異文化間・異文明間の新たな対話のための条件を整えるものである」と同時に、「文化的多様性にとっての問題点も提起している」とされています。

 一般に、ある表現や行動が妥当・適切・正義で有るか否かの判断には、文化的背景が常につきまといます。例えば、基本的人権である表現の自由と個人の尊厳の両方に関わる、ヘイトスピーチに準じる表現について、社会による批判で対処すべきか、法的に規制を掛けるべきかどうかは、アメリカとヨーロッパでも明確に判断が異なります。単一の文化圏での倫理観を全世界に適用することは、文化的多様性を損なう側面があり、これまで映画や図書・ゲームなどのレーティングや規制が、主として各国の国内規制で行われてきていることも、文化的多様性に対する一定の配慮と考えることができます。

 一方で、スマートフォンのゲームや、インディーズゲームの隆興により、各国でレーティングを個別に取得することのコスト負担や手間の煩雑さもまた、純粋に経済的側面から指摘されるようになってきています。このような背景から、IARC (International Age Rating Coalition) というレーティング取得の共通化・機械化のプロセスが提唱され実現されています。一見するとこれは文化多様性と対立するグローバリゼーションの流れと見ることもできますが、IARCの仕組みは

・ 一回の申請で、【各国のルールに従った個別レーティング】を、その他の国向けの共通レーティングとともに取得できるものであること

・ 少なくとも現状のコンシューマゲームでは、個別レーティング申請の代用として、あくまでも「任意で」利用できるものであること。

・ 制度名の「Coalition」(連合・連立)にあるとおり、全世界を管轄する単一の新しい機関ではなく、各国のレーティング機関が参加して運営するものである

等の点で多様性が担保されていること、特に従来のレーティングの考え方を全世界共通ルールに置き換えるものではないことに留意する必要があります。

プラットフォーマーと「超国家権力」への懸念

 一方で、グローバリゼーションの極端な流れとして、Google, Amazon, Facebook, Apple(所謂 GAFA)などの「巨大プラットフォーマー」がもたらず正負両側面の影響が盛んに議論されるようになっています。特にGAFAが米国に集中していることもあり、米国対欧州(時に日本)という形で捉えられることも多いですが、例えば経済産業省・公正取引委員会・総務省がまとめた「プラットフォーマー型ビジネスの台頭に対応したルール整備の基本原則」の中では、「市場へのアクセスの可能性を飛躍的に高め、消費者にとっては、その便益向上にもつながるなど」のメリットの一方で、公正な競争の面では「不公正な取引慣行やプライバシーの侵害等の温床となるおそれがある」ことから、「例えば、一定の重要なルールや取引条件を開示・明示する等、透明性及び公正性確保の観点からの規律」が必要であるとされています。

 特にこの中でも、透明性・公平性の問題は大きなポイントで、一部では「プラットフォーマーの超国家化」の問題とも言われています。例えば、骨董通り法律事務所の福井健策氏によるコラムでは、プラットフォーム寡占のポイントの1つとして、「情報のルールメイク」の権限の独占の問題として、巨大プラットフォームが特定国の法律に縛られにくく、その利用を強制されることにより、プラットフォームの運営者の判断や制限に利用者が束縛され日本法の保護が届きにくくなってしまうことが指摘されています。上記の省庁の基本原則でも、公正競争のための「法執行性の確保」は重要な要素として掲げられています。

 これらの特徴の多くは、個人情報を扱うGoogleやFacebook等でなくても、巨大ビジネスプラットフォーム全般に共通するものです。例えば、スマートフォンにおいて、Apple Storeがアプリ市場で寡占であることにより、Appleと競合するアプリケーションが出せないことや、売り上げの30%を手数料として徴収されること、Appleの倫理基準審査に通らないアプリが全世界で公開できないことなどは、これらの「ルールメイクの寡占」によるものと言うことができます。
 また、世界に事実上3つしかないコンシューマゲームプラットフォームも、ライセンスの可否判断を通じて特定ソフトメーカーを排除できる強力な力があり、ルールメイクの寡占構造を同様に持っています。表現の世界において、これらの寡占プラットフォーマーがルールを一方的に定めることは、「お上」が倫理基準を定めて強制するのと類似した構造と効果を持ち、表現の萎縮などをもたらす強い効果があります。

改めて、任天堂の方針表明を見る

 ここまでの背景を踏まえて、任天堂の質疑応答の回答内容を改めてみると、【客観的】【恣意的】【多様性】【公平性】の4つのキーワードが浮かび上がります。

 まず1つのポイントは、プラットフォーマーとして独自の判断をすることが、恣意性を含み公平性を阻害するという価値観です。先ほど述べたとおり、寡占的なプラットフォーマーとソフトメーカーの間にはルール作成力において上下関係があり、ある意味で政府機関と同じような権力集中構造が生じます。また、任天堂はプラットフォーマーとしての存在と同時に、単年度ミリオンセラー16本を擁する「世界最強のソフトメーカーの1つ」でもあります。その立場は他のソフトメーカーにとっては潜在的ライバルであり、どんなに任天堂が自らの恣意性を律しても、不公平さの疑いの深層的な気持ちを排除できない利益相反の構造があります。そのような立場を踏まえて、自社のソフトも外部のソフトも、同じソフトメーカー主導で設立した第三者機関に審査を委ねることが、公平性を確保できる1つの方法であると考えているのではないかと推測できます。

 2つ目が、ソフトウェアの多様性の確保の観点からも、客観的な第三者評価が必要であるという価値観です。文化的多様性に関しては、各国それぞれの子会社でそれぞれの基準で審査をするような方法も有り得ますが、プラットフォーマーの透明性の説明の難しさを考えたときに、きちんと各国で熟慮されて構築された、各文化圏ごとの第三者機関に評価を委ねることが、客観的にレーティングの妥当性を担保できる一つの方法であると考えることができるのです。

 もちろん、このような方針をとり、他者である第三者機関に審査を委ねることは、自社プラットフォームに「社会的に批判されうる」ゲームが発売され、飛び火が飛んでくるリスクを負うことになります。特に客観的のレーティングの基準は、表現の自由の中でも重要な保護対象である「内心の自由」に踏み込まないため、ある程度「外形的な表現」に対するルールに意図的に片寄せられている印象があります。その結果、個々の表現はルール上は確かに抵触しないけど、全体としては極端な意味表現を持つようなゲームがリリースされることが有り得ます。例えばNintendo Switchであれば、筆者は実在の女性タレントを用いた疑似恋愛ゲーム「電愛」シリーズがダウンロードソフトとして発表されたときに、「これがCERO Dのレーティングを取れるのか」という印象を持ちましたが、恐らく外形上の表現は問題ないと判断されたと思われます。こういったリスクを勘案しても、任天堂は透明性と多様性を重要な社会的価値として尊重することを優先したと考えられます。

 個人的には、この判断の背景には、多少極端な表現のソフトウェアがあっても、任天堂自身が強力なソフトを次々リリースできることにより、ソフトウェアの陳列棚全体の雰囲気を十分に健全に保ち、会社イメージを維持できるという自信もあったのではないかと推測します。実際、Nintendo DSやNintendo 3DSにも結構際どい表現のソフトウェア(例えば「どきどき魔女神判!」や「閃乱カグラ」シリーズ)がありましたが、全体としてのDSの全年齢向けプラットフォームのイメージは崩れなかったかと思います。現在のSwitchにおいても、「ゼルダの伝説」や「スーパーマリオ」、「スプラトゥーン」や「スマッシュブラザーズ」、「ポケモン」などの強力なIPを維持することで、全年齢層対象のプラットフォームの性格は維持できていると感じます。

他社に関する報道との関係

 同時にこの質疑の回答は、直接的ではないにしろ、質問者の指摘した「他社プラットフォームで(略)独自の表現規制を適用しているという話を聞く」という内容を強く意識していることも、ほぼ間違いないと思われます。前節ではまず中立的な立場で整理をしましたが、掲げた4つのキーワード【客観的】【恣意的】【多様性】【公平性】は、いずれも他社の報道された事例に強く結びつくものです。

 Wall Street Journalで報道された他社の運用では、

・ “global reputation” の維持のために規制し、特に日本マーケットの標準を問題視していること

・ 明確なガイドラインがプラットフォーマーから提示されず、提出して審査されるまで結果が予期できないうえ、数日前に許された表現が覆されて再提出を余儀なくされること

が指摘されていますが、これらは「多様性や客観性への配慮の欠如」という表現ができるものです。また、別の報道では審査体制が「ケースバイケースで」あると指摘されており、「恣意的な運用」との表現に結びつきます。

 このように、この任天堂の回答は、世間で話題になっている業界他社の動向を十分に理解したうえで、他社を名指しでの論評は避けつつも、具体的な問題点に注目して練り上げられたものになっています。昨年中には、他社と任天堂のプラットフォームで同時リリースされたゲームにおいて、修正の差異やレーティングの内容などが話題になりましたから、任天堂サードパーティー企業などからも相談などは受けていて、十分に社内での検討がされていたのではないかと推測します。

あるべき表現自主規制の姿について

 今回の任天堂の方針表明は、文化多様性の尊重と表現規制の透明性確保(公平性・客観性を含む)の2点から、賞賛されるべきものと私は考えます。各国それぞれ異なる倫理観は文化多様性の一部であると同時に、国際的に相互干渉して少しずつ移り変わるものですが、その変化への対応はプラットフォーマーによるものでなく、各国の第三者審査機関の審査基準のソフトウェア業界自身による見直しなどにより、文化多様性と透明性を高く維持したまま為されるべきものと思います。

 プラットフォーマーによる上乗せ規制は基本的には好ましくないと考えます。少なくとも独自審査を行うに当たっては、各国の子会社等による文化多様性に配慮した審査基準・体制の確立と、その基準の明文化、社会への責任(CSR)として基本的判断方針の公開による透明性の確保を、必ず行うべきと考えます。

 なお、同様の全世界的表現規制の問題は、いわゆるコンシューマゲームだけでなく、スマートフォンのゲームでも同様の構造があります。具体的には、AppleおよびGoogleはそれぞれ表現審査を独自にしていることが知られています。AppleはApp Store Review Guidelinesの 2.3.6 でApple Store Connect内の質問に答えるよう要求しており、これにより独自のレーティングが付加されています。Googleは前述した共通評価レーティングIARCを全面的に採用しているようですが、IARCの共通システムが強制となっているほか、独自の審査基準も引き続き掲げられているように見受けられます。(私は開発者ではないので、公開されている文書ベースの分析です。)

 これらのスマートフォンアプリについても、基本的には私の意見は同じスタンスで、各国の第三者審査を活用すべきとの考えです。Appleと比較して、GoogleがIARCを採用し、各国の基準に合わせた別のレーティングを国ごとに提示することは良い方向ですが、少なくとも任意オプションとして各国の審査団体による個別審査を許容し、その結果を尊重することが最終的には望ましいと考えます。

(なお、日本ではCEROがIARCと連携していないことから、アプリメーカーが独自にCEROレーティングを取得することができますが、表示されるレーティングはIARCの「その他の国向け」となるようです。)

2019. 7. 3  きあら

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