やっぱり、そうだったか!

子どもの頃…まだ幼稚園に上がる前。
そう、家族以外との世界へ出向くようになってから。

人生の大半は、いじめられてきました(苦笑)。
特に、学生時代ね。

あの狭い世界だけで完結してたから。
あの世界だけが、全てだと勘違いして、人生に絶望していたけれど。

そんな中で、ずっともやもやしていたことがありました。

「どうして、嫌いなのに絡んでくるの?」

私なら、嫌いなものからは離れます。
関心を寄せません。
興味もないから、どうでもいい。
その人がどうなろうと知ったこっちゃない。

いじめる人は凄いよね。
逐一行動とか観察してさ。
粗探しして、わざわざご丁寧に叩く材料を探しに行く。
そして、勝手に拡大解釈と言う名の妄想で、攻撃してくるのね。

「この人たち、ほんとは私が好きなんじゃないの?」そう思っちゃうくらい。

まるで、激しい恋だよね。
自分に関心を向けさせて、服従させようとしてるじゃない?

じゃあ、なんでそこまでするのか?

人をいじめる人は、自分のことが嫌いなんだ、と気がつきました。

自分のことが嫌いだから、相手に自分と同じところを見つけ、攻撃する。(同族嫌悪ってやつですね)

自分のことが嫌いだから、相手にある自分に足りないところが羨ましくて、攻撃する。(憧れとか嫉妬、無い物ねだりだよね)

しかも!
「自分は自分のことが嫌い!」と、大抵気が付いていません。残念なことに。

自分のことを正当化するために、マウンティングするんです。
自分の中の正義を振りかざして。

人間は、完璧ないきものではありません。
不完全なとこもある。
失敗だってする。
過ちを犯すことだってある。

もし、人をいじめた結果。
たとえば、相手が病気になった。怪我を負った。障害が残った。一生かけても償いきれない損害を被った。命を絶った。

それで、満足ですか?
ますます、自分が嫌いになるのではないですか?

あなたが本当に欲しいものは、征服感ではなく。
あなたが本当に欲しいものは、あなたを受け入れ、認めて、許して、愛してくれる人じゃないの?

自分とちゃんと向き合って、愛することができるようになったら、周りの人にも優しくなれる。

与えたものは得るものだから、あなたが周りに与えた愛は、やがてもっと大きくなって戻ってくる。

愛は循環していくものだから。

本当は、愛が欲しいのでしょう?
愛は、他人からもらうものではありません。
自分の中から、泉のように溢れてくるものです。
溢れるから、周りにも分けられる。

シャンパンタワーだって、最初のグラスが満たされなければ、下のグラスに注がれない。

愛が欲しいなら、まず自分から。
それだけのことなのですよ。

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