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「もう1回」 1年相澤亮太

プロフィール
名前:相澤 亮太/AIZAWA RYOTA
学年:1年
学部:工学部都市環境システムコース
出身校:県立前橋高校(群馬県)
ポジション:CB、SB


千葉大学工学部都市環境システムコース1年の相澤亮太です。私は自他共に認める文章力の無さゆえ、拙い文章ですが最後まで読んで頂けたら幸いです。

出身は群馬県前橋市のはずれの方です。あたりは田んぼに囲まれ、大きな建物があればそれは牛舎か養豚場、小学校は1学年1クラス最といったド田舎で生まれ育ちました。

僕とサッカーについて少し話したいと思います。僕がサッカーをはじめたのは小1からでした。小さい頃はよく父とキャッチボールをしていましたが、友達に誘われて隣の小学校のチームにはいりました。

中学では「前橋ジュニアユース」という地元では名の知れたクラブチームに入りましたが、僕はずっとBチームでしたが、最後の関東大会に味方の負傷により出場させてもらうことができました。それが一番の思い出です。

高校はサッカーの成績のおかげで「県立前橋高校」に進学しました。自転車で30~40分かけて通っていました。頭はついていけなかったので、せめて部活は頑張ろうと思っていました。良い仲間にも恵まれ、毎日が充実した日々でした。しかし高校3年の春、新型コロナウィルスの影響で県総体とインターハイ予選は中止になってしまいました。受験生であるにも関わらずやりきれない気持ちで勉強が手につきませんでした。このまま引退しようかと思っていましたが、仲間に「一緒に選手権まで残ろう」と言われ、勉強をしたくなかったからもひとつの要因ですが、何よりまたみんなでサッカーがしたくて、残ることをきめました。結果はベスト8でとても悔しかったですが、涙は出ませんでした。またみんなとボールを蹴って、部室で馬鹿みたいに遊び回る日々がまだ続くと思ってしまったからだとおもいます。その後勉強をしはじめ、もうあの頃の日々は戻ってこないことを実感し、夜1人で思い出の写真を見ていたら自然と涙がでてきました。僕は自分たちのチームのサッカーがとても好きで、ほんとにサッカーを楽しめていた3年間だった思います。

その後千葉大学に入学することができました。最初は部活には入らないとおもっていましたが、高校の時の試合のビデオを1人で見ていたら、めちゃめちゃサッカーがしたくなり、もう一度また本気でサッカーがやりたくて入部をきめました。優しい先輩やまた切磋琢磨できる同期と出会えて今は入部してとても良かったと思っています。

自分のことについて書いてきましたが、少しはどんな人間かわかっていただけたでしょうか?読みにくい文章は疲れてしまうと思うのでこの辺りで終わりにしたいと思います。


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