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【海はそんなに好きじゃない】消防士時代の話

楽しくBBQしてたであろう
椅子やクーラーボックス

その景色に合わない消防の集団
本当なら救助服姿でなんて海に行きたくない
なぜいるのか…

それは若者が海に流され行方不明になったから

あれは北海道の5月末にしては季節外れの猛暑の日
かんかん照りの空でBBQ日和な日だった。

「水難救助鳴らないと良いですね…」
なんて先輩と話していた矢先
神経を逆なでするような指令音が鳴り響いた。

"水難救助指令、水難救助指令"

やっぱりかと思いながらも急いで
消防車に駆け込んでいく。
サイレンを鳴らし現場へ向かっていると
指令員より無線が入る

「10代の男性が遊泳中に姿が見えなくなったとの通報。なお、通報現場にあっては遊泳禁止区域の模様。以上。」

当時の自分は運転しながら
「なぜ毎年のように死者が出ている区域で海に入ってしまう?テレビは見ていないのか?親の教育はどうなっているんだ?海なんて楽しいこと一つもないのになぜ行くんだ!!」
と苛立ちの言葉をぶつぶつとつぶやきながら
現場へ向かっていた。
遊泳禁止エリアの怖さを知らないことに
苛立っていたのだと思う。

現場につくと本当に5月なのか目を疑うレベルの人混みだった。
面白半分で近くに来る人。
スマートフォンで活動を撮影する人。
そんな中に周りよりも明らかに動揺している若者グループがいた。
流された少年の友人たちだ。

その付近にはBBQをしていたであろう道具たちと
散乱した椅子が転がっていた。
BBQをしたくなる気持ちはわかるがなぜ海に…
一瞬そんなことを思ったがすぐに救助活動に移った。

海を見渡すと天気に比べ波が恐ろしく高かった。
隊員は流されるし船はひっくり返りそうになるし
自分勝手な行動での出来事に消防も身体を張る必要があるのか?
なんて思ったり。

捜索活動が行われていき数時間経過した。

そこに惨状を聞きつけてきた少年のご家族を見た時に苛立ちやなぜなんだ…という気持ちは消えた

日光に熱せされた砂浜の上に正座し
両手を合わせ息子の無事を祈り泣いている母

その横で母をなだめつつじっと海を見つめる父

ふざけて一緒に遊んでいた友人達が
後悔と懺悔で俯いた顔

なんとしても見つけてあげないとこの人たちの心に深い傷が残ってしまう
例え見つけた時にもう助からない命だったとしても親元に返してあげなければいけないと。
結局見つけることは出来ず、その人たちにも深い傷が残ってしまった。

自分は東日本大震災を見て
「こんな時に直接人を助けられる人になりたい」
と思い中学3年生から消防を目指していた。
消防に就職してからも毎日勉強や訓練を必死に行い、救助隊という人命救助のプロと呼ばれる隊に4年目から配属されていた。

「どんな現場でも完璧に対処して人を助ける」

自信満々な当時の自分は今思えば慢心や驕りだったと思う。
そんな自信を粉砕された現場だった。

どれだけ訓練しようと勉強しようと頑張ろうと、助からない命はある。

仕事に対する姿勢や志を考えさせられた
ある日の出動でした。

7年間という消防生活の中でいろんな現場を見てきたが
死には二つ種類があると思う。

「仕方ない」と思えるもの。
「仕方ない」と思えないもの。

90歳で老衰してしまったご家族がいたら
「長生きしたしもう90歳だもの仕方ないよね」と思える。

では30歳で突然亡くなった場合に仕方ないと思えるだろうか。
きっと思えない。

仕方ないと思えない人の死というのは
心に深い傷を残す。
あったであろうその人との未来が未練に変わる。
自分の大切な親や友人、奥さんやお子さんに一生かけて消えるか消えないかの深い傷を負わせてしまう。

そんな心の傷を負ったところに追い討ちで

お葬式の費用
日々の生活費はどうしよう
子供の教育資金は…

という経済的なダメージが一気にのしかかってくる。

そんな残された人を助けられるのは
消防士さんでもお医者さんでも看護師さんでもない。

そこを助けることができるのが今の千葉の仕事です。

頑張ります!!

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