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今振り返ると僕の人生が決まった塾の先生の言葉

いきなりだけど、僕のライフワークは、「教育」だと思ってる。

と言っても、教員試験を受けて学校の先生になった訳ではない。

ゼネコンで9年働いて、メディア企業に転職して13年。教育とは縁遠い仕事をやりながら、プライベートで大学の非常勤講師をやったり、ビジネス書作家を呼んでセミナーを主催したりして、間接的に教育に関わってきた。そして、今は奇跡的なタイミングと沢山の人の助けもあり、ついに本業でビジネススクールの学長をやっている。ライフワークとライスワークが融合したのだ。

なんだかんだ言いながら教育に関わる仕事に拘っているのは、小学校時代の原体験があるからだ。小学校の時に通っていた塾の先生に忘れられない言葉を貰った。

それまで違う塾に通ってたが、優しい女の先生だったのをいい事にサボってばかりいた。見かねた母親が、自分の高校の同級生がやっていた厳しくて有名なその塾に変更した。小原先生という塾長は厳しかったが、とても話が面白く、僕を可愛がってくれたので、塾が楽しくなってちゃんと通うようになった。すぐに勉強が面白くなった僕は、ぐんぐんと成績が上がっていった。「こんなにも教え方で成績が変わるもんなんだなあ」と子供ながらに感心していた。

その先生が小学4年生の秋のある日、真面目な顔でこんなことを僕らに言った。

「君達は毎週2日2時間もの時間、この塾に来て勉強している。この時間を他のことに使えば、もしかするとプロ野球選手になるかもしれないし、世界的な料理人になるかもしれない。宇宙飛行士にだってなれるかもしれない。けれど君達はその可能性を捨てて、この塾に来ている。だから僕はその可能性を捨てさせることに対する責任として、一生懸命授業をするんだ。」

小学校4年生の僕らはその話を聞いて、みんなきょとんとしていたが、その時の黒板の前に立つ先生の真面目な顔は未だに忘れられない。

だから僕は講義をする時、他の可能性を捨てて来てくれている人のために一生懸命講義をするようにしている。今はあの時の小原先生の気持ちが少しだけわかる。

先日、20年振りに小原先生と電話で話す機会があった。塾はもう随分前に閉校して引退されていた。「今は何をやられてるんですか?」と聞くと、「畑仕事をしながら、歴史小説を書いてるよ。丁度お米が獲れたから、新米を送ってやるよ。」と陽気な声で返事が返ってきた。

いつまでたっても、憧れる生き方をする先生だ。

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